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馬追虫の髭のそよろに来る秋は〜短詩を楽しむ③〜改訂版

 庭の草むらから虫の鳴き声が聞こえてきます。9月も下旬にもなると、ひと頃のかまびすしさは衰えているものの、それでもその声を聞いていると秋の寂しさがひしひしと身に迫ってきます。

 盛りを過ぎて衰えた虫の鳴き声を聞いているうちに大相撲秋場所、プロ野球のペナントレースも終わりに近づき、いよいよ慌ただしい年末へ駆け込むことになります。

 秋に登場する虫を詠んだ短詩のうち、短歌、俳句、川柳の順に紹介していきます。

 馬追虫(うまおい)の髭のそよろに来る秋は
     まなこを閉じて想ひ見るべし           長塚 節

 馬追虫をじかに見たことはありませんが、本によりますと緑色の体にその倍近い触覚を持ち、その鳴き声はスイッチョと馬を追う声に似ているので、この名前になったとあります。
 節(たかし)は、馬追虫が細く長い髭をそろそろと動かすが、その動きのようにしのびやかに訪れてくる秋の気配は、眼を閉じて静やかに感じ取るべきであると
詠っております。
 節(たかし)の代表作として多くの人に親しまれている一首です。

松本にて


 糞ころがしと生まれ糞押すほかはなし     加藤楸邨

 俳人楸邨(しゅうそん)異色の作品です。
 私の持っている3冊の歳時記に「ふんころがし」が季語として載っていないので、この句は無季の俳句なのかなと思っております。

 糞ころがしの学名は「糞虫」と呼ばれ、主に哺乳類の糞を餌とする一群の昆虫を指すようです。
 糞ころがしは、糞を丸めてその中に卵を産みつけ、卵はその中で孵り、やがて
成虫になり、糞に養われて育つようです。
 糞に卵を産みつけるために糞を押して丸めるので、この名前がついたようです。

 ファーブルが「昆虫記」の中で、この虫の仲間に何度も触れ、その習性を詳しく調べたことはよく知られていることです。

 私達人間の立場で眺めると、糞の中で生まれ、糞の中で育つということは、何ともみじめなことになりますが、この虫にとっては糞を押すことだけが唯一の生きがいであり、神聖な行為であり、この句はこのことを訴えており、読む者に深い感動を与えてくれます。

群馬県高山村にて


 鳴く虫のそばにいなごの芸がなし      岸本 水府

 12月は忘年会のシーズンで、忘年会ともなると得意・不得意にかかわらず、一芸を披露することが義務づけられます。
 私も芸のない男で忘年会というと楽しいよりも苦しいというのが本音です。

 岸本水府は、大阪の柳人で「番傘」という最大の吟社の代表だった方です。
水府自身は仲々粋な人だったようで、一芸で悩むようなことはなかったと思います。

 が、しかし、この一句は強烈です。数多いる秋の虫は、ほとんど鳴いて私達を楽しませてくれる中で、不思議なことにいなごは鳴かないのです。
 水府は、鳴かない「いなご」を拾いあげ、いなごは無芸の代表に詠んでいるところが滑稽です。

紫の美しさ

  
  虫といふあだ名の教師のありたるを    
             われ虫になり師走をこもる
                         馬場 あき子

 歌人でもあり、評論家でもある馬場あき子さんは、2019年、文化功労者に選ばれました。馬場さんには多数の歌集・評論がありますが、この一首は、短歌界の大御所、馬場あき子さんのユニークな歌であり、馬場さんがかつて教師をしていたのでしょうか。そのことを匂わす歌であります。

 生徒達から虫というあだ名を頂戴し、このあだ名をうとましく思っていたのか、
いっそのことあだ名の虫のように、冬ごもりをしたいと詠っています。
 
 冬ごもりは、今で言えば「引きこもり」であり、長い人生には、しゃしゃり出たい日も引きこもりたい日もあることでしょう。

 
  なめくじのふり向き行かむ意志久し
                  中村 草田男

 なめくじやかたつむりは、二本の角(つの)を持っており、この長い方の角の先に目があると言います。這う時はこの角を振り回し、周囲を見回しながらゆっくりと進むようです。

 ゆっくりしか進むことのできないなめくじやかたつむりに、神様が気の毒に思い、目玉を視野の広い部位の角の先にこさえてくれたのでしょう。

 なめくじやかたつむりは、あたかも振り向いては自省し、自省しては進むということを繰り返しているように見えます。

 草田男は自身をなめくじに見立てて、自省をしつつ前に進みたいと思い、この句を詠んだのでしょう。自省の句とでも言うべき一句です。



  虫すだくわが懐中は無一文
               奥田 白虎

 秋にすだく虫の音を聞きつつ、風流を味わっているものの、懐に手を入れたら懐は相も変わらず無一文だというのです。この一句は、白虎自身のことを詠んだのではなく、周囲の貧しい川柳人達を詠んだ一句のようです。

 何となれば、白虎自身は、設計会社や不動産会社の役員を務めており、懐中は無一文ではなかったようです。

 白虎は名著『川柳歳時記』の編者です。

我が家の庭で孵化した蝶


 
 草むらの石を起こせばいるわいるわ
        すず虫おけらえんまこおろぎ (短歌)
 バッタ捕えいたぶる子猫いじめっ子     (俳句)
 来世こそそなたの仲間かたつむり      (川柳)

 少しおまけの文章を入れました。(2024.2.17)
  


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