「好き」の気持ちは心を健全にすることに気づいた
突然ですが、私は昔からテレビっ子です。
子どもが生まれるまでは、毎クールのドラマを楽しみに毎晩観ていたのですが、育児に追われる毎日では、のんびりとドラマを観るよりは1分1秒でも長く寝たい!という思いの方が強く、好きだったドラマはあまり楽しめていません。
ですが、毎クールごとに「これ!」と思う1~2本だけ、子が奇跡的に早く寝た日に録画で観る、という感じでなんとか好きを継続しています。
この夏は面白そうなドラマが盛りだくさんだったのでどれを観るか悩んだのですが、木曜に放送している「ハヤブサ消防団」が私的に大ヒットでした。
そして、もう1本。
毎週土曜日放送の「最高の教師 1年後、私は生徒に□された」も楽しみに観ています。
録画しておいた第6話を2日前に観たのですが、その中で心に留まったセリフがありました。
なぜそのセリフが心に留まったのか、私の価値観に訴える部分は何だったのか。
そのことについて深堀りしながらここに記していこうと思います。
「好き」の看板を掲げられない私
今回、心に留まったのは、主人公・九条里奈のこのセリフ。
まず感じたのは、「あぁ、そうだなぁ。その通りだなぁ」という共感です。
高校生の時、私は同人活動をしていて、描くことや、好きな漫画について語ることがすごく好きでした。
同じ「好き」をもった仲間には、共感があるからさらけ出せていたけど、同級生や同じ「好き」でない友だちには理解してもらえないものと思っていました。
「私=〇〇が好きな人」と看板を掲げて歩けば、周りから「おたく」と言われたり、馬鹿にされて笑われたりするものだと思っていました。
だから、大人になっても「私、これ好きなんです!」となかなか自分の心をオープンにできなくて。
でも、オープンにしたい、分かってもらいたい!という気持ちも強くて。
でもきっと、分かってもらいたいが強ければ強いほど、分かってもらえなかった時の恐怖も強いですよね。
私が「好き」の看板を掲げられないのは、「〇〇が好きな自分」のことを認めてもらえなかったらどうしよう、という恐怖がそうさせているんです。
感情の滞りを起こさせるのは何か
自分の心をオープンにできないのは、苦しいことです。
私がいつも感じている心の中の世界は、一番中心の丸裸な私を取り囲むように、幾重にも壁が立っていて、その壁ひとつひとつに小さなドアがついていて、その扉を何枚開けられるかは、人によって違う。
一番外側は割とオープンで、初めまして、の時はきっとみんな気さくな人と思うんだろうけど、奥に進むにつれて、扉は押しても引いても開かない。
心の内をさらけ出すのが怖いんです。
一番外側の、誰に対しても良い人に映るように取り繕った自分がいつも前面に出ていて、なんだかいつも仮面を被っているような気持ちで。
人に会う度に疲れていました。
もちろん、自分の好きなんて、出せません。
「話す人より、聞く人の方が好まれるから」
と良い人ぶって、
「あなたはどう?」
と聞かれても、
「私の話はたいしたことありませんから」
と自分を下げて、逃げていた気がします。
歳を重ねるにつれて、時代も個性を大事にするようになり、私も昔よりは「好き」を表に出せるようになった気がするけれど、やっぱり昔からの癖はなかなかに染みついていて。
「好きな気持ちは出さないと便秘になる」
と、大学の恩師に言われたのですが、まさにいつもそんな感じ。
自分の心をオープンにできなくて、溜まりに溜まって重苦しい便秘になり。
よく、「好きの迷子」になります。
あれ?私、何が好きだったっけ?って。
勇気をもって扉を開くこと
「勇気」という言葉。
この言葉には、わくわく、どきどき、キラキラしたものを感じます。
いつでも勇気をもって、前へ進みたい。
そんな自分の中の願いがあるのかもしれません。
心が滞っているとき、やっぱりいつも勇気が湧いてこない気がします。
今いる場所をぐるぐる、ぐるぐる廻って。
どこまでも続く、終わりのないトンネルに入っているような気になっているけど、それはずっと廻り続けているから。
「好き」の気持ちをたくさん抱えて、表に出して。
心の循環を良くしてあげれば、勇気は湧いてくるのかな?
心に留まったひとつのセリフ。
深掘りしたら、自分の気持ちが少しは見えた?
なぜ? 心に留まったのか
好きを表に出すことは怖いこと、という価値観に共感したからそもそも? なんでそう感じたの?
好きをもっと出していきたいという気持ちが奥底に眠っているから本当に? 好きを出すことは必要?
心の中の便秘、滞りを防ぎ、自分の気持ちがスムーズに流れ出る状態は健全だと感じるからそれで? どうしていきたいの?
否定されることを必要以上に怖がらず、勇気をもって「好き」を伝えていきたい
否定されることを恐れず、扉を開ける。
そこにもしかしたら、私にしかない何かがあるのかもしれない。
余談ですが。
昔から、ドラマや映画、漫画や小説など、ふとした瞬間にぐっっと心に響くセリフや言葉に出会うことがあって、それが人生のヒントになったり、底辺まで落ちつくした私の心を救い上げてくれたりしたものです。
そんな創り手になりたいな、という願望も、「言葉」に出会う度に感じていたかもしれません。