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リンダ・グラットン「ワーク・シフト」の予言とクリエイターエコノミーの現在

リンダ・グラットンの「ワーク・シフト」を読んでいる。

原著が2011年に出版された「ワーク・シフト」は、著者が立ち上げたロンドン・ビジネススクールの共同研究プロジェクト、「働き方の未来コンソーシアム」から得られた知見をまとめたもの。

働き方の未来に大きな影響を及ぼす5つの要因を挙げ、こうした影響のもとで「漫然と迎える未来」はとても暗いものになるが、「主体的に築く未来」を実現することができれば、大きな可能性が広がってくることを示している。

そして、明るい未来を生み出すためには、これまでの固定観念を問いなおし、仕事に関する3つの「シフト」を実現する必要があると説く。

「ワーク・シフト」は、1990年には当たり前だった常識が、2010年には、いまの現実とどれだけかけ離れたものになっているのかを振りかえり、その20年間の変化の動きをさらに未来に伸ばしていくことで、2015年の未来の仕事と働き方に、さらにどういう変化が生まれているかを予測する。

ここに「予言」された未来まであと5年、そして出版から10年が経っているいまの時点でこの本を読みなおすと、いまでは当たり前に考えられていることが、ほんの10年前にはまったく認識が異なっていたことを知って驚いたり。

たとえば中国へのまなざしの変化。

いくら経済が急成長していると言っても、2010年の段階で、中国はまだ新興国だ。

世界経済フォーラム (WEF、通称ダボス会議)が発表する「国際競争力ランキング」では30位、国連開発計画(UNDP)の「人間開発指数」では81位にとどまっている。

充実したインフラ、高い識字率、高度な専門技能をもつ労働力などを武器に、中国は国際競争力を強めていくだろうが、製造業と知識産業が急成長を遂げることの恩恵を、人口の大多数を占める地方部の住人に行き渡らせることが大きな課題となる。

これからの中国には米国一国では対抗できない。そうした認識を軸にバイデン大統領の外交戦略が展開されることになる未来は、まだここにはぜんぜん示されていない。

また、この本の出版から10年を振りかえり、途中段階で「予言」の答え合わせをしているような楽しさもある。

たとえば、こういう「予言」は、かならずしもその通りにはいかなかったことを知っている。

大勢の人々が結びついて、 集積効果を生み出すようになった結果、専門家より正しい判断をくだせる「賢い群衆」が誕生し、 世界の最も優れたアイデアを結集させるオープンソース運動が実現するようになった。

それにともない、古いヒエラルキーが崩れはじめた。

未来の世界では、対等の関係の人間同士が協力して仕事を進めるケースが増え、世界が抱える課題を解決するうえで集合知の重要性がもっと評価されるようになるだろう。

この10年、米国のトランプ大統領の誕生や欧州諸国での極右勢力の台頭が、「賢い群衆」を生み出すはずの、SNSを中心としたネットワーク環境の広がりに後押しされていたり、同じようにSNSを通じて結びついたリベラルの主張が、若者を中心にどんどん先鋭化し、「協創」よりも「分断」をつくり出すということが分かってきた。

テクノロジーに支えられた「明るい未来のシナリオが現実になれば、協力とコ・クリエーション(協創)が当たり前になり、 世界中の人々がアイデアと情熱と労力を提供し合って、共同でものごとを成し遂げるようになる」というグラットンの主張は、インターネット創成期にさかんに語られていた「グローバル・ヴィレッジ」論に近い。

この10年間が教えてくれたことは、ネットワークで結びついた「世界中の人々がアイデアと情熱と労力を」提供し合えるようになると、分断の規模も深度もグローバルに拡大する、ということだったような気がする。

読んでいて面白いなと思ったのは、ちょっと小ネタ的に盛り込まれた、「クリエイティブ系」の職種に関する「予言」。

2025年のいまは、暮らしている町の境界を軽々と飛び越えて、広い世界で創造性を思う存分発揮している。

かごバッグの仕事をしていないときは、楽譜作成ソフトウェア「シベリウス」のユーザーで構成されるコミュニティを舞台に、セミプロ作曲家として活発に楽曲を発表している。

2010年にバオ・ユーが利用しはじめたとき、すでに4万五千人がシベリウス・コミュニティで楽曲を発表していて、公開される楽曲の数は一日平均20点に上っていた。2025年にはさらに多くの人が世界中から参加し、複雑な楽曲を共同で制作しているだろう。

シベリウスのようなテクノロジーや場が登場して、世界中の大勢の人たちが自己実現を経験できるようになった。2025年の世界では、創造性は「クリエイティブ系」の職種に就くごく一握りの人だけのものではなく、もっと多くの人が実践できるものになる。

この10年、暮らしている町の境界を飛びこえて、創造性を広い世界で存分に発揮できるようになったことは、ボカロPの台頭をみてもよく分かる。

つい最近話題になった、茨城の二足わらじの音楽プロデューサー、トリル・ダイナスティさんの話なんか、「ワーク・シフト」の予言のさらに先をいっている。

平日は会社で働いた後、時に明け方まで楽曲を作る。土日はほとんどの時間を音楽に注ぎ込む。音楽ソフトを使い、ビートやメロディーを打ち込んでいく。

海外の音楽プロデューサーに認知されるよう、会員制交流サイト(SNS)を通して何度も曲を売り込んだ。「音楽を始めるのが遅かったから、早く有名になりたいと思った」

活動を通して得たつながりで、一線級のプロデューサーたちと曲作りをするようになった。ビルボード獲得を何度も経験した仲間がいるから、快挙にも「やっと一枚」と感じた。ビルボードもあくまで通過点だ。

これは音楽だけにかぎった話じゃないことは、今月初旬には、クリエイターエコノミー協会が設立されたことからも分かる。

この記事によれば、2021年5月の時点で、クリエイターエコノミーの総市場規模は、約1042億ドル。世界で5000万人がクリエイターを自認し、すくなくとも200万人以上がフルタイム以上の収入を得ているそうな。

こんな風に、この10年の移りゆきを念頭に置いて、「ワーク・シフト」の「予言」の答え合わせをしながら読んでいると、グラットンが語る「枝分かれ」の実験結果を検証しているような面白さを感じる。

過去から現在へ、そして未来へと、一本の線がまっすぐ続いているわけではない。どのような未来が訪れるかという点に関しては、いくつもの可能性がある。現在から未来に向けて、いくつもの道が枝分かれしているのだ。どの道に進むかは、私たちが自分で選択できる。

実験結果を検証するといっても、「枝分かれ」のどちらに進むのかを決めているのは1人ひとりの人間なわけで、だから答え合わせの成否を分けるのは、環境に影響を受けながらも、新しい環境をつくり出そうとする人間の力だということになる。

津田左右吉という歴史学者(皇国史観を否定する、天皇機関説というラディカルな説を1935年に唱えて軍部の怒りを買った反骨の人です)がいて、こうした環境と人間のダイナミズムについて、こんなことを言っている。

人は環境に対して受動的な地位にあるのみではなくして、能動的なはたらきをするのである。けれども環境の力は強い。みづから環境を作りつゝ、その環境から強いはたらきをうけるのである。

上に自己の言行思慮が自己を制約するといつたが、それは即ち自己の言行などがそのまゝ環境を形づくることなのである。…

たゞ剛毅なる精神と確乎たる生活の理念とをもつてゐるものが、よく環境に対して能動的なはたらきをなし、環境を生活に適応するやうに断えず改めてゆき、それによつて生活の主体としての人の力を発揮し、生活をして真の生活たらしめる

かゝる人に於いて、生活が人の生活であり自己の生活であることが、最もよく知られる。

グラットンが語る、「主体的に築く未来」を実現するために必要な、これまでの常識や行動からの「シフト」。これと、戦前の日本の歴史学者の説く「剛毅なる精神と確乎たる生活の理念」が、なんとなくつながり合ってくるところが面白い。

こうした視点で今後の動向を見守りつつ、これから5年が過ぎさった後に、最終的な答え合わせをするのが楽しみになってきた。

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