「オリバーな犬」と「アストリッドとラファエル」で学ぶノンバーバル・コミュニケーションの広さと深さ
オダギリー・ジョー 脚本・演出・編集・主演によるNHKのドラマ「オリバーな犬」、待望の第2シーズンがはじまった。
揃いぶみの豪華キャストがさらにパワーアップしていたり、ますます「ブルー・ベルベット」っぽさが出ていたり、カット割りも(無意味に?)複雑になっていたりと、楽しめるポイントは満載だけど、第5回でとても印象に残ったのは、池松壮亮と麻生久美子が約1分間にわたって「え?」という言葉だけをやり取りする場面。
この場面は、オダギリ・ジョーがアメリカの大学の俳優養成コースで学んだ、「メソッド」と呼ばれる演技法の訓練の1つ(同じ言葉をエンエンと繰り返す)を脚本に反映したもの(2022年9月16日に放送された「あさイチ」でそう言ってた)。
「え?」のキャッチボールの場面だけでなく、同じくNHKで放送されているフランスのドラマ「アストリッドとラファエル」で、主人公のアストリッド・ニールセンが「あっ」「ん」「ふふ」といった言葉を口にする場面を見たりすると、ノンバーバル・コミュニケーションの広さと深さがみえてくる。
投げ返された感情としての「え?」
「メソッド」と呼ばれる演技法は、スタニスラフスキーというロシアの演出家の演技法をもとにアメリカで発展した演技法。カラダで表現する型を覚えるのではなく、ココロの内面に生まれる感情を重視し、紋切り型ではない自然な演技を生み出すことを目的としている。
(これについては、メソッド演技法を批判したマッツ・ミケルセンのインタビューについて触れた以前の記事の中でも触れています)
ひたすら「え?」が繰り返されるわけだけど、その言葉(音?)の背後には、「だって、ないでしょ」「あるわよ」「問題あんの?」「ゴリゴリじゃないですか」といったさまざまな感情がうごめいていることが脚本に記されている。
いろんなインタビューから、この場面にこめられた意図についてまとめた「『オリバーな犬』で延々と「え?」の応酬」という記事によれば、ここには、オダギリ・ジョーのこんな意図がこめられているそうな。
それが「だって、ないでしょ」とか、「問題あんの?」とか言っているように感じられるのかはともかく、たしかにこの「え?」のやり取りの中には、同じ「え?」はひとつもないように思える。
文字としては同じだけど、表情や姿勢、トーンにタイミングといったさまざまな要素を伴うかたちで発せられる「え?」を聞いて(見て)いると、そこに込められた言葉以外の(ノンバーバルな)コミュニケーションの意味は、いくらでも広がっていくし、深まっていくということがよく分かる。
ノンバーバル/非言語と呼ぶのはやめるべきだと思う
「オリバーな犬」の「え?」の場面は、クスっと笑える余興のようなものだけど、そこに生まれている状況は、コミュニケーションを考えるにあたって、とても重要なことを示唆している。
つぎつぎと繰り出される「え?」のバリエーションを目に(耳に)すると、文字以外のこうしたコミュニケーション要素を、ノンバーバル(「ノン」+「バーバル」)なコミュニケーション、あるいは非言語(「非」+「言語」)コミュニケーションと表現するのは間違っているような気がしてくるからだ。
非言語、つまり言語「ではない形の」コミュニケーションというと、本筋のメッセージの脇に置かれたコミュニケーション要素だという気がするけど、この場面は、それが間違いだということを雄弁に物語っている。
「周辺言語」と呼ばれることもあるけど、これもいけない。
文字であらわされる言語が中心にあって、それ以外の要素は、あくまでその周りにある副次的な要素なのだ、と思ってしまうから。
言語には「非ざる」ものだけど、言語に代わる何か、とか、言語の中心ではないけど、その周りにある何か、といった受け止め方をしていると、そのバリエーションの広がりや深みが見えなくなってしまうかもしれない。
言葉による意思確認が困難な患者を看ている看護師の方と話をしていると、患者さんに「話しかけられている」感覚がある、みたいなことを聞くことがある。
きっとそれは、言語に代わる何かや、その周りにある何かを感じるのではなく、むしろ言語とはまったく違う楽器で奏でられる、まったく違った旋律を聴く(感じる)ことなんだろうなと思う。
エンエンとつづく「え?」のキャッチボールに描き出されるさまざまな意味の広がりと深みは、そうしたメロディを聴きとる感性を高めるうえでのヒントを与えてくれるような気がする。
言語という雑音をそぎ落とした感情
ちょっとした余興としてつくられた「え?」のキャッチボールと同じような場面だけど、物語の流れとしっかりと一体化した「音」を聞くことができるのが「アストリッドとラファエル」
自閉症を患い、対人関係に困難を抱える文書係のアストリッド・ニールセンが、ガサツの極みのような行動派警視のラファエル・コストとバディを組んで難事件を解決するドラマだ。
このドラマで毎回舌を巻くのは、主人公のアストリッド・ニールセンを吹き替えている貫地谷しほりの(ノンバーバルな)演技力。
なにしろアストリッドは他人とのコミュニケーションが苦手なので、台詞が少なく、しかもハッキリとした感情があらわれない言い回しで語られないといけないんだけど、そのあたりの台詞回しがすばらしい。
さらに、「あっ」とか、「ん」とか、(ごく弱い笑いの)「ふふっ」といった、言葉にならない「音」がおりに触れて発せられるんだけど、こうした「音」の表現力がとてつもなく広く、そして深い。
「びっくりした!」の「あっ」もあれば、何かを思いついたときの「あっ」もあるし、「やめてくれっ!」って意味にもなる「あっ」になったり。
同じ「ん」でも、納得した感じの「ん」に、何だか分からないぞの「ん」、戸惑いが垣間見える「ん」もある。
同じ「ふふっ」でも、いらずらっぽいときもあれば、相手を包みこむような、あるいは満足感にあふれたような「ふふっ」もある。
もちろん、アストリッド・ニールセンを演じるサラ・モーテンセンの演技がすばらしいのは言うまでもないけど、これを吹き替える貫地谷しほりの発する千変万化の「音」を聴いていると、たしかにこれは言語に代わる何かでも、その周りにある何かでもなく、言語という雑音をそぎ落とした感情のように響く。
そんなこんなで、「オリバーな犬」の「え?」の場面の裏側を知ってからは、「アストリッドとラファエル」を観るときに、「あっ」と「ん」と「ふふっ」に感嘆しつつも、「貫地谷しほりってメソッド演技法を学んだのだろうか?」と思うようになった。