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【書評】遠藤周作 海と毒薬

高校時代から大学時代にかけて、何冊か読んだ遠藤周作。
一つ一つが重い作品なので、読むのに覚悟がいる。

今回は高校時代に初めて読んだこちらの本を再読したので、感想をしたためようと思う。

遠藤周作 海と毒薬


舞台は福岡にある大学病院。
実際にあった、戦時下の米軍捕虜の生体解剖事件が主軸となっている。
内容だけに、解剖や手術にまつわるかなりグロテスクなシーンもあり、途中読みながらめまいがしたが、記憶にあるより実際の解剖シーンは少なく、物語も呆気なく終わった。

事件自体より、事件の背景や罪の意識などの描写のほうが圧倒的に多かった。

とくに、この解剖事件に関わった医師の勝呂と戸田、看護婦の上田の独白部分が多かった。
以下、それぞれについての感想を書いてみた。

①勝呂
冒頭に出てくる中年医師となった姿とは違い、解剖に関わった若いときの勝呂は弱さがあり、人間らしさが垣間見える。
本人もどうしたらよかったのかを自問自答している。
たぶん、それはいまも続いているだろう。
初めて読んだときより、勝呂がずっと悩んでいたこと、弱かったことに今回気づいた。
事件後、どのような人生を歩んだのだろう。
九州から遠くはなれた関東で医院を開業するまで、何があったのか知りたくなった。
妻である看護師が誰なのかも気になった。

②戸田
内容が内容なだけに、共感するところがあると言ったら語弊が出てしまうのだが、戸田の小学生時代の話はいまの時代にも通ずる優等生の思考あるあるの部分もある。
今昔問わず、周りに期待された子どもは、多かれ少なかれ「大人が期待する優等生」を演じてしまうのであろう。
殺人とまではいかないが、ライフステージごとに罪を犯し、それに対する罪悪感がないことに本人は悩む。
ただ、読んでいる側からしたら、罪悪感がないわけてばなく、自分でうまく気付けていないだけではないのだろうかと感じた。
解剖に立ち会い、その後の描写でも、それは感じた。

③上田
我が子を亡くしていることもあり、解剖に立ち会っている時点では、既に心が醒めきっているように感じた。
浅井を受け入れたときの内心や、ヒルダに対する態度、婦長に対する蔑んだ描写はさすが。
不謹慎であるが、嫌悪感を抱くツボが絶妙である。
解剖が終わり帰宅し、亡くなった我が子の産着をひざにのせてぼんやりするシーンがさりげなく挟まれており、彼女にとって子どもの死産が人生のターニングポイントであったことがここらも深く伺えた。

また、この作品の冒頭(戦後10~20年だろうか)から、大人の大半が戦争経験者であった時代、近所で普通に暮らしている方が戦地に赴き、戦っていた時代であったことが伺えた。
わたしの祖父母世代だと思われるが、やはりいまとは全く違う。

以前のふたりのイーダの書評でも書いたが、戦争はわたしたちの記憶から遠ざかっている。
自分達の世代の本だけでなく、このようにさまざまな世代の本を読むことは、社会を生きていく上でも大切なことであると感じた。

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