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もう消耗しない。どまじめ会社員が見つけた3つの不要なこと

この記事を書いている僕は、どまじめHSP歴35年。都会でサラリーマンとして働き、仕事のストレスで「うつ」になり退職したことがある。

会社で働いたなかで、

「まじめな人が手放したほうが幸せになれるんじゃないか」

と感じた3つのことを、シェアさせていただきたい。

よりリアリティある内容として受け取っていただけるよう、当時の具体的なエピソード、そのとき感じた気持ちも文章に起こした。

5,000字以上と、少し長くて恐縮だけれど。

かつての僕と同じく「まじめで会社に行くのが辛い人」に、少しでも希望をもってもらえるよう、ぜひ参考にしていただけると嬉しいです。


どまじめ会社員生活で見つけた3つの不要なこと

1. 嫌われないよう神経質になること

まじめな人は、人に嫌われることを恐れる傾向が強い。

  • 「こう言ったら相手が不快になるかも・・」

  • 「さっきの一言であの人怒らせてないかな・・」

↑こうあれこれ心配しながら人付き合いし、消耗しがちだ。

僕がいた会社は、従業員が数十人くらいの中小企業。社内連絡はチャットワークを使っていた。

文章でのやりとりはお互いの顔が見えない。そのぶん、意図せず相手をカチンとさせる文章を書いて送ってしまいやすい。

じっさい当時の職場では、「読み手の気持ち考えてないのかな・・」と周囲が思うほど不愛想な雰囲気の文章を書いて送る人もいた。

なので僕自身、チャットワークで社内連絡するとき、

  • 「あ、この部分ちょっと書き直したほうがいいかな」

  • 「こういう書き方だとへんな受け取り方されるかも」

と、自分の書いた文章のあちこちを気にしては修正。さいごにもう一度全文を読みなおし、問題ないと判断して初めて送信するようにしていた。
(そのぶん時間がかかる・・笑)

文章を送るにしろ、対面で話すにしろ、相手の気分を害さないよう言動の端々に気をつかう。たしかに思いやりがあって誠実と言えるかもしれない。

自分自身のそんな姿に感心する人がいたり、ある日べつの部署の人に「いつもすばらしいですね」と言われて嬉しくなった経験がある人もいるかもしれない。

ただ。

ふだん他人に気をつかって誠実でいても、ときに職場では、意図せず相手に嫌われることがある。

その典型的な例が「誤解」だ。

職場は基本的に、自分と違うタイプの人たちが一緒に働く場所。

年齢、経歴、性格、考え方。
すべてが違う人たちと関わる以上、「自分が感じていることと同じ感じ方を相手がする」なんてことはまずない。

ときに、こちらの伝えた情報が「本来の意図とはまったく違う受けとり方」をされ、相手を怒らせてしまうのはリアルにある。

もちろん、伝え方に原因があったのかもしれない。言葉足らずとか、へんに相手の感情を「逆なで」する単語を説明中に言ってしまった、とか。

でも現実問題。
誤解を解くのって、けっこう大変だ。

イチから説明し直して納得してもらうのは、なかなかの時間と労力がかかる。

怒っている相手をなだめつつ、自分が当時言った言葉の意図を正しく理解してもらうよう話すのはストレス。そのつど相手から返ってくる攻撃的な反論・感情的な批判にぐっと耐え、冷静に対応しないといけないからだ。

あるとき、職場の人の誤解を解こうと必死になって、相手と話し終わったあとグッタリ疲弊している自分に気づいた。

「いったい相手の機嫌を直すことに、どれだけの時間とエネルギーを費やしたんだ・・?」

とくに貴重なのは、時間だ。
いちど失うと取り返せない。

そんな貴重な時間を、「自分とは根本的に考え方が違う職場の人にされた誤解を解くこと」につぎこむ。いまだ解けていない上司の誤解のことで悩み、帰宅したあとも頭から離れない。

それは、本当に「有意義な時間の過ごし方」と言えるだろうか。


*  *  *


誤解だけじゃない。

自分がどれだけ誠実でも、そのバカていねいな仕事のしかた・要領の悪さが気に入らず、内心で不満を持っている人って意外といる。自分がいない休憩室で「あの人ってなんかさぁ・・」と、うわさ話をする人たちもいる。

どうしようもない。
それならいっそ、開き直ったほうがいいんじゃないか。

つまり、

どんなに誠実な人でも、ときに他人を意図せず怒らせたりイラつかせたりし、嫌われることがある。

でも、いちいち気にして貴重なエネルギーや時間を失うくらいなら、もはや嫌われることは気にせず、「そういうもんだ」と割りきって働くほうがいいんじゃないか。

ということ。
むしろいちいち気にしてると、たぶん社会でやっていくのは難しいのかなと。

打ち合わせで自分がした発言に、先輩がイライラしていたと後で知ったとしても。同僚たちに裏で不満・悪口を言われているとしても。「ふーん、そうなんだ」と軽く流したほうがいい。

どうせ他人の気持ちは、自分ではコントロールできない。誠実にやるべきことをやっているなら、結果的に嫌われようと気にする必要はないんじゃないか。


2. 他人のビジネスのために犠牲になること

僕とかはたぶん「まじめ」の代表例だ。会社の仕事を、やっったら頑張ることがある。

Word資料の作成・取引先との交渉などやるとき、なぜか人一倍の「使命感」みたいなものを感じながら真剣に打ち込んでいたこともある。

ただ、そういうまじめさは、会社組織ではときにアダになる。人の頼みを断れないからだ。

たとえば仕事中、たまにエグい突発案件が飛びこんでくる。

ほかの業務で目が回りそうなとき、他部署の無責任な先輩からいきなり電話がきて「これ明後日までにやっといてー」と丸投げ。

「ちょ、まじかよ・・!」

そう頭のなかで叫びつつ、相手は役職者なので逆らえない。表向きには「あー・・。はい、わかりました」と無難な対応。

(理由つけてやんわり断るとか、日程調整の相談とかしろよって話だが、、笑)

仕事が終わらないとき、家にもちかえって週末に働く。完璧主義による要領の悪さも一因だろう。もちろん勤務時間外労働なので、タダ働き。

けど、そんな自己犠牲みたいなことをしても、誰かが喜ぶわけじゃない。仕事を丸投げしてきた先輩に感謝されるわけでもないし、人事評価が上がるでもない。

もちろん、そうやって休日返上で会社の仕事をすることで、得られるものもときにはある。
(業務経験・スキルアップなど)

でもけっきょく、その行動は「会社という他人が作ったビジネスのために、二度と取り返せない自分の貴重な人生の時間を投げうった」ということじゃないだろうか。


*  *  *


時間は有限だ。

「会社の仕事こそ俺 (私) の生きがいだ!」と思う人ならともかく。たいていの人にとって、会社のために自分の自由時間を削ることは、けして有意義なんかじゃないはず。

自分の趣味。情熱をもてる活動。好きな人たちと一緒にやる休日のバーベキュー。そういう「自分にとって大切なこと」に時間を使うほうが、ずっと幸せなはずだ。

もし、そんな貴重な自由時間が、会社のために奪われていく日々が続くなら。

「勤務時間外にも働くこと」を遠回しに促され、業務効率化や工夫・上司との相談など、自分ができるどんな対策をしても改善のしようがないなら。

本当にその職場でこれからも働き続けていいのか、いちど考え直してみたほうがいいのかもしれない。


3. 競争を強いられる環境で必死に働くこと

一般的な傾向として、まじめな人は繊細なところがある。

心優しく穏やか。
争いごとが苦手。
そういう性格だから、「会社で人と競争する」のは肌に合わないことが多い。

言うまでもないが、会社は「競争の場」。

経営者は従業員に、まわりと競って成果をあげ、売上に貢献することを求めてくる。スーツ姿で働くまじめな人なら、そんな環境が息苦しく、生きづらいと感じた経験があると思う。

ここで個人的な疑問がある。
それは、

競争を強いられる息苦しさ・不安に耐えて何年間もあくせく働くのは、本当に自分にとって幸せな生き方なんだろうか?

ということ。


*  *  *


こんなエピソードがある。

かつて仕事のストレスでうつになり、退職する前。当時いた会社では、広告担当だった。

広告部門が立ち上がったばかりで、担当者は僕一人だった。

社内には、広告の専門的なノウハウがまだほとんどない状態。自分ひとりで広告戦略・施策をあれこれ考えて上に提案し、実行していく。大きな裁量権があって楽しかった。

なにより、営業部や販売部門のように、同僚・先輩といった競争相手が同じ現場にいないなか、業務を独占的にやれる。競わずマイペースに働きたい自分にとって、最高の環境だった。

でも。
そんな幸せな状態は、つねに物事が移り変わる「会社」という場所ではそう長く続かない。

あるとき「Yさん」という人が中途入社してから、状況が変わり始めた。

Yさんは前職で、広告・デザイン関係の仕事をしていた人。僕のいた広告部門ではないEC事業部 (商品のネット販売がおもな部門) に配属された。

「Yさんに広告関連のスキルがある」ことが周囲に知られるにつれ、もともと自分が担当していた業務の一部が、Yさんにも振られるようになった。

広告部門とEC事業部は、業務において共通する部分がある。EC事業部でもセール告知用のバナーを作るといった業務があり、「ECサイトに載せる告知バナーの作成とかは、その部署にいるYさんに任せよう」という話が出てきた。

Yさんが入社するまで、ECサイトに載せるバナー作成も含め、社内の広告業務をすべて僕一人で回していた。つねに余裕がなく、アップアップだった。

だから、

「いま抱えている業務がほかの人にも振られたのはありがたい。これで自分の仕事もすこしラクになる」

と個人的には考えていた。

ところがある日。
直属上司との人事評価面談のとき、上司にこんなことを言われた。

「君、危機感もったほうがいい。そのうちYさんに仕事とられちゃうよ」

他部署の人に仕事を奪われ、自分の部下の裁量が小さくなっていくことを、たぶん上司は懸念していたのだろう。その気持ちはごもっともだと思う。

ただ同時に、当時の上司のその言葉が自分のなかで、50kg級のインゴットなみに重いものに感じられた。

ひとりが抱える業務負担が重いなら、ほかの人に業務の一部を割り振ってバランスをとるのは組織にとって合理的。

その業務を抱えていた自分としても、浮いた時間でべつの重要な業務に集中できる。いいことじゃないか。

そう思っていた。

けれど会社という組織は複雑だ。
人間の思考・感情・立場・利害が絡んでいるからだろうか。かならずしも自分の思っているとおりに、コトは動かない。

むしろ「仕事をほかの人に任せる=その人に仕事を奪われる」という捉え方もでき、はた目には「こいつよりYさんのほうが仕事できるってことじゃね?」ととられる。

そうなると、自分の社内評価が下がる可能性が出てくる。

そして「部下の裁量権や評価が下がる=上司である自分の評価に悪影響が出るかも」という考えも生まれ、上司は部下に「危機感もったほうがいい」とハッパをかけるのかもしれないと感じた。

(↑いま思えば、根拠なく考え過ぎだったのかもしれないが、、^^;)

仕事を奪われないために勉強し、業務スキルを上げる必要がある。でも、会社の勤務時間内だけではそのスキルアップはたぶん物理的に不可。

もしYさんに仕事をとられないようにするには、自分の自由時間を削ってでも勉強する必要があるのでは?

でも当時、個人的にブログで副業していて、会社以外の自由時間では副業するのを何より優先したかった。その時間を削り、職場で人と競うことに時間や労力を費していいのか。

そうやって焦らされ、不安になり、出社が憂鬱になる。あいかわらず大量の業務に追われる。

そんな日々が続くうち不眠・集中力低下があいつぎ、気づいたら「うつ病」と診断された。

いま思えば。
そうやって心労になったのも、そもそも競争を強いられる環境にいたのが原因だったんじゃないかなと。

本当は自分のペースで穏やかに働きたい。でも会社ではそんなことは許されない。利益を追求する以上、従業員同士を競争させることで生産性を上げようとする。

僕のようにまじめで繊細な人は、たぶんそういう競争社会には向かないんじゃないだろうか。もっと自分に合った環境があるんじゃないだろうか。

世の中、周囲と競わずにできる仕事もあると思う。

たとえばネット副業などの自営業。僕もかつて3年ほどブログをやっていたが、まさに誰とも競争する必要がなく、完全に自分のペースでできる仕事だ。

かりに副業や個人事業じゃなくても、競争色の強くない組織で働く手もある。むかし田舎の会社で働いていたが、都会の会社と違ってかなりのんびり。仕事中に談笑とかフツーにするし、競争とはほぼ無縁だった。

NPOなどの「非営利団体」で働く選択肢もある。あと、正社員ほど会社へのコミットを求められない「契約社員」「アルバイト」といった働き方も。

これを読んでくださっている方のなかには、競争させられる職場で辛いと感じながら働いている人も多いかと思う。もしいまの働き方に違和感があるなら、環境を変えるのを検討してみてもいいかもしれない。

競争とか。
追い越し合いとか。
仕事の取り合いとか。

そういうものに心を削られる生活をするのは、僕はもうやりたいと思わない。だからこそ、自分のペースで無理なく働ける仕事、自分が納得感をもてる働き方を探したい。そして見つけたい。


さいごに:幸せでいるには

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

まじめな人は誠実なので他人に好かれ、信用されやすいです。

いっぽう、嫌なこと・辛いことがあると深く落ち込んだり、ネガティブ思考に囚われて視界が狭くなってしまうこともあります。

でも大事なのは、自分のそうした特徴を理解したうえで、

「じゃあどういう生き方・働き方なら、幸せでいられるだろう?」

と考えつつ行動していくことじゃないかなと。

少なくとも、僕の小さな会社員経験のなかで、今回ご紹介した3つは「まじめな人が手放したほうが幸せでいられるんじゃないか」と個人的には思います。

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