リワーク日記127 人の使命と会社。そして猫のマインドフルネス
真夏の夜の怪談をひとつ。
パートナーの話では、ある夜の私が寝言で仕事の電話をしていたそうです。そしてそれは謝罪の電話のようで、何度も何度も「すみません、すみません…」と謝っていたと言うのです。(ひぇぇぇぇぇぇ!!!!)
疲れていますねぇ。そりゃ、いくら眠っても疲労が取れないわけです。むしろ、眠れば眠るほど疲労が溜まるという悪循環です。一度は過ごしやすくなったかと思ったらまた酷暑に逆戻りとなった意地悪な気温のせいではないでしょう。きっと先週少しお伝えしたトラブルの影響に違いありません。
そちらのトラブルはどうにか解決の方向に軌道を乗せることができました。加えて嬉しいことに、リワーク時代から目標としてきた「問題を自分1人で抱え込まないで働く」という私の労働コンセプトに沿った形でそれを実現できているのです。
前回の時点では結局は自分でやらざるを得ないというような趣旨のことを書いていましたが、上層部を引きずり出して巻き添えにすることに成功し、私個人の独力ではなく組織の力で問題に対応することができました。まぁ、もちろん細かい部分の調整や作業は私がやるのですが、せめて面舵(おもかじ)か取舵(とりかじ)かくらいは上層部が決断するべきことで、今回はそれをやらせることができました。そして当然ながら航海の全責任は船長にあるわけで、批判の矢面に立たせることもできました(あくまで船長です。船会社の社長ではありません)。
まさに私が「こうありたい」という理想とする働き方です。ですから、これを今回実践できたというのは非常に大きな自信につながりましたし、これまで歩んできた道が正しかったということの明白な証明になるものでした。
そんなわけで、トラブルの渦中にあってもそんなに精神的な負担は感じてはいなかったのですが、冒頭の悪夢を見て分かる通り実際には負担がかかっていたのですね。あぁ、背筋が凍ります。
この悪夢は、私がまだ無意識のうちに余計な「責任感」という重荷を背負ってしまっていることを示唆しています。もっと手放す必要があります。
前回も書いた通り、会社の仕事というのは本質的には「社長の仕事の一部を、報酬と引き換えに肩代わりしているだけのもの」です。社長個人が全業務の全作業を1人で行えるならそれで完結です。しかし事業規模が大きくなればなるほど全てを1人でこなすのは不可能になるため、人を雇って業務の一部を社長から切り出すわけです。ですから私たち勤め人は皆、もとは社長の業務だった作業の一部をお手伝いしているだけです。
社長からすれば、元々は自分の大事な業務だったものを人に託すわけですから雑に仕上げてもらっては困るでしょう。しかし他人に任せるのであれば、全てにおいて社長と同等の責任意識と社長流を貫かせるのは不可能だということも知るべきです。そして、いくら期待して他人に仕事を任せたとしても、その仕事は元来社長のすべき仕事であって、あくまで社員に代行させているだけである以上、最終的に全仕事の全責任を負うのは社長自身だということも忘れてはなりません。
勤め人の立場からすれば、いくら会社から責任感を持って仕事をやり遂げろと言われたとしても、ソレはあくまで社長の立場から見たらそうだというだけで、勤め人の立場で責任を引き受けるには限度があるという点を頭に置いておくべきでしょう。社長が「代わりにやってくれ」と頼んでくるから、勤務時間内に限ってソレを代行するだけです。この事業は社長が望んでやっているもので、社長の使命であり生きている意味そのものなのかもしれませんが、私たち勤め人は働くために生まれてきたわけではなく、多くの場合は職場の中ではなく職場の外にこそ生まれてきた意義と使命を保有しています。
たとえば私の場合、植物と芸術に囲まれ家族や保護猫の子猫たちと暮らすことが私のこの世の使命です。できるだけ多くの美に触れて感動し、多くの生命とその愛情を育み触れ合うことが生きる意義なのです。私の職業は決してそれに反するものではならないのです。
多くの人が誤解しているように思いますが、自らの人生の意義や使命や夢というのものは、なにも職業を通してのみ果たされるべきものではありません。自分のやりたいことやなりたいものが職業に限定されるべきだなんて誰が決めたんですか?たしかに自分のやりたいことで金銭的報酬が得られればそれは理想的です。しかし金銭的報酬、しかもそれだけで生活を成り立たせられるだけの対価を得られるかどうかは、あなたの人生の意義や使命が何かを見極める要件にはなりません。
会社の事業の成否と成長に人生を同化させるよう全社員に要求するのが可能なのは、せいぜい社員数が数人のスタートアップ企業くらいのものでしょう。人数が増えれば増えるほど、そんな要求にこだわっていたら人は集まらなくなっていきます。いつしか会社の目覚ましい発展やピカピカの創業理念よりも自分の人生の充実を重視する人を大勢雇わざるを得なくなり、当初は通用していたはずの要求は完全にナンセンスになっていきます。
純真で意固地な経営者ほど怠惰な異分子の増加を嘆くことでしょう。しかしそれは会社の質の低下を意味しません。会社の存在意義に「広く社会に雇用を提供する」という新たな社会的役割が加わったからです。会社の価値がその分だけ上がっているのは言うまでもありません。経営者はそれを喜ぶべきです。広く社会に門戸を開き多くの雇用を提供することで、会社で働く個々人が職場の外でそれぞれの使命を果たし人生を完成させる手助けができているのだ、と。そしてもはや会社が社長の個人的な感情で舵取りされて良い段階を過ぎ、「社会の公器」へと脱皮を果たしたことを涙して祝うのが正しい反応です。
そういうわけで、私はもっと自分に与えられた天命に忠実に生きていくため、もっと仕事における余計な責任感を手放していきます。どんどん責任放棄するのです!!
さて、前置きはここまでとしていよいよ本題に入っていきます(このパターンが最近のお気に入りです)。
子猫ちゃんたちはとても元気に過ごしています。甘えん坊の子と、人と距離を取る子。良い組合せの2匹です。甘えん坊の方は毎日欠かさず膝に乗ってきて甘えてきてくれます。距離を取る子もだいぶ彼なりに甘えてきてくれるようになりました。一回だけ撫でさせてくれたり、ごく短い時間だけ触れるか触れないかくらいの距離の場所に座ってリラックスするという分かりにくい愛情表現ですが。
基本的に猫にゃん達は自己中心的ですので、かまってほしいときには徹底して一歩も譲らず自己主張します。飼い主の事情など一切忖度せずに。それが性に合わないという人もいることでしょう。しかし考えようによってはこれがとても良い面を持っているということに気がつきました。
猫は、飼い主が撫でながら気が散っていると、めざとくそれに気づいてちゃんと集中しろと叱咤してきます。「僕をかわいがることだけに専念しろ」と。そしてスマートフォンを置いて猫を撫でることだけに集中すると、なんと猫を撫でる動作が「今ここ」に集中するマインドフルネスに早変わりするのです。猫の毛並み、手触り、匂い、長いヒゲのハリ感、柔らかくひんやりした肉球、猫の呼吸とともに膨らんだりしぼんだりするお腹、猫が幸せそうに細める目、温かな体温、力を抜いて体重の全てを預けてきた時に感じる重量感、体勢を変えた時の重心の移動…。そんな猫のすべてに集中する猫撫ではまさにマインドフルネスそのものです。猫はマインドフルネスの優秀なインストラクターだったのです。
きっと猫は現代人に不足している「今この瞬間を生きる」ことを思い出させるべく「ちゃんと撫でろ」と人間を指導してくれているのでしょう。ニャンコたちをお迎えして良かったと思いました。
ということで、今回の記事はここまでです。楽しかったよと言う人はスキとフォローをお願いします!それでは次回も楽しみにしていてください。