リワーク日記128 メンタル休職者は相場格言にすがる
やっぱり3連休最高!と思う人はスキとフォローをお願いします!2週連続の3連休を経て、毎週こうなら良いと思ってる苺の庭文庫です。
連休でnoteを巡回していたら偶然私の記事を初めて開いた方もいらっしゃるかもしれませんので簡単に自己紹介をしておきます。(今まで自己紹介したことあったっけ?)
私は2021年9月からメンタル不調のために会社を休職し、リワークに通って社会復帰の準備を進め、2023年5月から転職によって社会復帰を果たした内向型会社員です。家族に加えて植物と保護猫2匹と一緒に暮らし、美しいアートや鉱物や音楽に囲まれて穏やかに生きるのが人生の使命です。そんな私は、日本人の中では10万人中8位に相当するほどの超トップクラスの社交性の低さを備える根っからの「独り好きタイプ」です(ということはトップ0.008%、日本全体では9,800人しかいない)。それなのに渉外業務(いわゆる営業職)を担わされるという業の深いミスキャスト人生を歩んでいます!二度とメンタル不調を再発させないように社会復帰後もリワークの定着支援サービスを継続して受けており、毎月面談でストレス対処などの課題について実践に即した形でアドバイスをもらっています。
この「リワーク日記」シリーズでは、そんな毎日から得られたメンタル不調者の社会復帰に役立つ情報と体験談を提供して、同じ境遇に立たされ先が見えずに不安に苛まれる皆さんのお役に立てればと思っています。よければ過去の記事も読んでみてくださいね!
さて早速ですが、先日のリワークの面談でとても有用なアドバイスをもらいました。青信号の点滅サインに気づけていて酷くなる前にストレスにうまく対処できているが、どうやってうまく対処したかについての振り返りと掘り下げた分析がまだ弱いということでした。
例えば、「仕事でストレスを受けても家にそれを比較的持ち込まずに済ませることができたのはなぜか?」という掘り下げた問いを立てて振り返ってみると、「退勤時に会社を出た瞬間にイヤホンを装着する動作がオン/オフの切り替え儀式になって気持ちの切り替えができていたから」というような分析ができます。そして家に仕事のあれこれを持ち込まなかったことが毎日の帰宅後のルーティーンの遂行を支え、決まった時間に就寝する生活リズムの維持を可能にして心身の大きな不調を防いでいたと総括することができます。今の私はまだまだその辺りの分析が十分でないので、これから振り返りと分析の習慣化をめざそう、という話になりました。
念のため書いておきますが、これはメンタル不調から立ち直って社会復帰していくステップとしてはそれなりに上級編に属する課題です。リワークに通う初期段階では、まずはなるべく毎日決まった時間の起床・就寝を目指し、リワークに週3回通うことを目標にしましょう、という段階から始まります。社会復帰の段階でもやはり毎日職場に通うことが最初の課題となります。職場で受ける業務ストレスへの対処に挑戦すること自体がかなり高度な段階な訳です。私が今回受け取った課題はさらにその先に位置付けられるものと言えます。
いやあ、リワークの支援ってこんなステージまでカバーできるなんて正直知りませんでした。至れり尽くせりです。それと同時に職場のメンタルヘルスの膨大な知識・ノウハウの習得・実践練習には年単位の時間が必要なのだなとも思います。私の場合はリワークに約1年、転職して約1年半ですからおよそ2年半もの期間をストレスマネジメントの修行に充てていることになります。一つ一つの積み重ねでようやくここまで来ることができました。ようやくです。これまでnoteで偉そうなことを散々書いてきた私ですが、まだまだ勉強中の身なのです。焦らず目の前の課題に集中することが大事です。いつだってその小さな一歩は偉大な一歩なのですから。
それにしても大多数の人たちはこんな知識などほとんど持たず無防備な状態で過酷な職場で働いているのだと思うとゾッとします。以前の私も無知でしたけど。もし学校でキャリア教育をしているところがあるのなら、それとセットでストレスマネジメントやコミュニケーションスキルなどのメンタルヘルス教育も提供してあげてほしいと思います。
それらは単なる職業体験や、起業礼賛やキャリアアップ至上主義ではカバーできない個々人がどのように生きていくかを考える基礎となるものです。自分が何を快と感じ不快と感じるのか、何をストレスと感じ何なら感じないのか、充電方法は何か、学校や会社の外にある喜びは何か、自分の価値観は何か、相手を尊重しつつ自分の意見を伝えるためにどのような話法を使うか、自分はどのような権利を持っているのか…。それらのベースの理解があって初めて「自分らしさ」なるものの輪郭を描くことができ、他人の価値観に合わせた見せかけのキャリアプランではなく自分の価値観に沿った人生計画を立てることができるのではないでしょうか。すぐに答えが出るわけではないにしても、少なくともそういったものを考える土台となる知識の存在くらいは提供されて然るべきです。
実際、それらの基礎がなかった頃の私は自信が持てずひたすらに自分を抑えて漂流し立ち往生し、最終的には座礁してしまいました。
キャリアプランを含めて人生における幸せの形は人それぞれなのだということはわかってはいました。しかし自分にとってそれがどのようなものなのかについては十分な自信を持って語れるわけではありませんでした。頭に浮かぶ理想はあまりにも世間で支配的な価値観として語られるものとは違い過ぎていたからです。自分が生きるコミュニティの価値観と自身の価値観に不一致がある状況を、人間の心理はうまく消化できません。一言で言うと、苦しいんですよね。
そして苦しい時ほど正解を誰かに提示してもらいたくなります。自分専用の正解を。
はっきり言って世間一般に流通する正解は、こう言っては何ですが、まるで使い物にならならない代物な訳です。経験的な結論として。本当に有用なのは自分にとっての正解だけだという確信だけは年々強まります。だけどそれが何なのかについてはいつまで経っても全く見えず、見えるようになる兆候すらなく、途方に暮れ絶望するという終わりなき負のスパイラルに陥ります。そんな中、人生の賢者がドラマティックに現れて美しい答えを授けてくれる…なんていう展開はお分かりの通り夢想にすぎません。神仏にすら見捨てられたようで、結局人生は広大な砂漠で何十年も続く孤独なレースでしかないのかとさらに絶望のステージが引き上がるわけです。人生って砂の味ですねぇ。
まあ、世間でもてはやされる退屈で薄っぺらい正解で満足できる人は幸せだろうと心から羨ましく思います。きっとこの社会のど真ん中に頑強に敷設された幸福に至るルートを、何も疑うこともせずに暮らせるのでしょうから。私のようにそこからはみ出してしまう人間には、その幸福に辿り着くための順路が蟻の足跡ほども準備されていません。
考えてみればすごい社会ですよね。周囲に合わせる力を備えていないお前が全部悪いのだと幼い頃から学校で叩き込まれてきたのはなぜかと言えば、この社会にはそれ以外のルートが本当に存在しないからなわけです。いやいやそんなバカなって思いますけど、大通りを一本作ってその両端に出生届と死亡届が置いてあるのがこの社会です。その大通り以外の道は枝分かれも含めて1本も「無い」のです。みんなで「迷惑をかけないように」整然と並んで一斉に同じ方向へ同じペースで行進させられるわけです。そんな街、成立するわけないのですが、それを成立させるために都市計画や道路の方ではなく歩行者の方を「改良工事」して道路に適応させているのです。学校ってやけに「整列」が好きですもんね。
メンタルヘルスに関する知識がない中でそんな一本道社会で自分だけの幸福を掴もうと思ったら、鬱蒼とした道なき道を草や枝を払いながら歩まないといけません。
例えば、こんな自分を護り鼓舞する言葉を手にしながら。
「人の行く裏に道あり花の山」(方角の肯定)
自分は世間とは異なる道を行くけれども、その方が美しい花を見ることができるのだ、この道で良いのだ、と自分に言い聞かせるわけですね。しかしそれでもいまのこの苦しみは、やっぱりしっかり純度100%の苦しみのまま変わらないってすぐに気がつきます。そこで…、
「谷深ければ山高し」(高さ・低さ方向の肯定)
現在の苦境を全力で肯定する言葉を繰り出します。しかし…、山なんて見えないけどあとどれくらい歩けば良いんでしょうか?となってまた暗い気分になります。
「夜明け前が一番暗い」(期間・時間的長さの肯定)
大丈夫、ちゃんと明るくなるから!!必ず夜明けは来るでしょ?あともう少しだから!!もう必死です。しかし、気配のない夜明けの到来を信じるか、信じずそんなの幻想だよとシニカルになるか、あるいはどっちつかずで信じたいけど踏み切れないという優柔不断な状態を続けて結果的に延命するか…終わりが見えない閉塞感はエネルギーを消耗させます。本当に「その時」は来るのか?と、どうしても疑ってしまいます。そこで…
「弱気一色は買い信号」(現在価値の肯定)
いやいや、実は涙が止まらない苦しい「今」こそが絶好の買い場なんだと慰めるわけですね。真っ暗だけど今が一番美味しい時期なんだと。でもこんな惨憺たる状況で「買った」ところで何になるというの?喜んでいる人なんて誰もいませんけど?ええ、そうですよねぇ…
「強気相場は絶望の中で生まれ、懐疑の中で育つ(以下略)」(将来価値の肯定)
絶望の中にある今こそ強気相場の第一歩なんだということですね。世間の無価値な人生ゲームを横目に、自分の人生の大輪の花は今まさに生まれたばかりなんですよ、これから自分の人生はすごくなるんですよと、自分のこれからの人生を目一杯肯定するわけです。
いかがでしょう?世界には古今東西どんな絶望的な状況でもそれを肯定し好転させるための前向きな言葉がたくさん所蔵されています。日本には1本しかない人生ルートを外れてしまった人たちを、これらの言葉は支え伴走してくれます。
方向も、谷の深さも、時間的長さも、現在価値も、将来価値も全部この上ないほどに正しく歩めているのです!もう総動員という感じです。とにかく全部OKって言ってるんですから。まあ、全部投資の格言なので、本当かよって思うかもしれませんけど、リワーク通所前にはよく頼りました。いや、やっぱり今でも使うかも。意外と深みがあって良い格言も多いですからね。ともかく、こんな言葉にすがりたくなる気持ちはなんとなくわかるんではないかと思います。つくづく、こんな格言もメンタルヘルスの知識も不要な人たちはやっぱり身軽でしょうね。
ところで、もし自分がもっと世間と同質的だったら?あるいは、あのとき別の選択をしていたら?そう思ってしまう日もあるでしょう。しかし、今までが無理しすぎだったからメンタル疾患に陥ったわけです。それでも心身を壊すほどの無理をしなければ保てない世界が無事に崩壊してくれたおかげで、私たちは命拾いし再び無垢な世界のスタートラインに立つ機会を手にできたのです。あり得たかもしれないあの夢の人生ほどにはキラキラしていないとしても、手痛い失敗を経た今なら無理のない形で自分の好きなものに囲まれる暮らしを実現できるはずです。
もちろんそれが何度目かのスタートラインであっても関係ありません。あなたの人生は履歴書を読みませんし職務経歴書を気にも留めませんし失敗の繰り返しにさえ呆れたりしません。何度でもあなたの人生はあなたのためにやり直しの機会を用意してくれます。「ねぇ、こっちに行こうよ」と、あなたの服の端を引っ張ってオファーするのを諦めません。今この瞬間を転機にして自分に優しい暮らしを構築する挑戦にはいつだって正当な理由があり、その資格があるのです。遠回りしたけど、やり直せるのは幸せです。
今度はメンタルヘルスの知識を携えて今の素のままの自分を前提にした無理のない暮らしを目指しましょう!そしてメンタルヘルスの知識は投資の格言よりもずっと科学的です。自分にとって優しい暮らしとキャリアプランには必須の知識です。
ということで今回はここまでです。何だか意図せず大袈裟かつ薄い記事になってしまいましたね。まあ、肩の力を抜いて無理せず行きましょうというのが結論です。
それにしても人生は難しい迷路です。
人は何の予断も持たず自由な姿で生まれてきますが、学校という駅舎の階段を上がる毎に「身のほど」を注入され、卒業証書という名のキャリア鉄道への乗車券を渡されます。乗車券がなければ乗車はできず、かといって乗車したところで自力で立てないほど乗客が詰め込まれた息苦しい鋼鉄の箱の中でひたすら耐える暮らしが待っています。しかもあらかじめ決められた行き先にただ運搬されるのみです。
これでは精神を病むのも無理からぬことです。「車内で気分が悪くなったお客様」となった私たちは、無理せず途中下車してまずはゆっくり休み、自分に合った他の交通手段を考えればよいのです。徒歩でも自転車でも良いですよね。外の空気を吸いながらのんびり寄り道でもしながら行きたいです。
そんなことで、次回もぜひ読んでください!
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