リワーク日記130 「大人の男性が苦手」っていう人は手をあげて!!!
だいぶ涼しくなってきた気がしますね。お蕎麦屋さんで温かいお蕎麦を頼むお客が増えているように感じます。私は冷たいお蕎麦の方が好きですが。
こんにちは、お蕎麦大好きな苺の庭文庫です。
たとえ近年のトレンドである「短すぎる秋」だとしても、暑い夏を乗り越えたご褒美として、食の秋、蕎麦の秋、芸術の秋、猫の秋を楽しみたいですね。我が家の5月生まれのニャンコさんたちにとっては生まれて初めての秋です。彼らは地球がこんなに冷えるという驚きの現象を新発見することになるのです。可愛いですね。(一方、屋外で生きる野良猫さんたちはもっとダイレクトな形で気温の低下を経験します。過酷です。)
私は毎年秋に体調を崩し精神的にも落ち込むので、注意して自分を甘やかしていきたいです。
さて唐突ですが、皆さんは苦手な人はいますか?人が大好きで苦手な人なんていないよという方もいれば、やかましい人は苦手という人もいれば、ネクラな人が苦手という人もいるでしょう。うつで寝込んでいる時には誰にも会えないほど人間全てが苦手、かもしれませんが。
私の場合はもっと幅広く「大人の男性」が苦手です。年齢が上がれば上がるほど苦手、身長が高くなればなるほど苦手です。苦手な性格というのもあるのですが、それ以前に大人の男性というだけで苦手カテゴリーに自動的に振り分けられます。
となると当然のことながら、私にとって労働現場は相当な苦痛が溢れた世界に見えるわけです。女性進出が進んできているとはいえ、日本の労働現場は男性社会です。大人の男性ばかりです。特に意思決定層は高齢男性が独占しています。もうそれだけで目眩がしてしまいます。
なぜ成人男性が苦手なのか?というと…、以下はあくまで私の個人的な経験に基づくひとつの感想ですので紳士の皆様は悪しからず…、まず体が大きくて筋力が強くて声が低くて威圧感があるからです。動物的な本能としてこれらの要素からは脅威を感じてしまうのです。うなり声のような低い声を発し、服従を迫るような力強く大きな体躯を隠そうともせず、こちらの気持ちなど一才意に介さず自らの食欲と地位のみを最優先させるような攻撃的な眼差しで上から見下ろす…、私からすれば彼らは大型肉食動物でしかありません。だから猫は男性よりも女性を好むという説がありますが、私もその説に一票を投じます。
しかしながら、その外見的な特徴は次に挙げる行動面の要素がなければ、そんなに問題にならなかったかもしれません。
私にとっては子供の頃からずっと、世の成人男性諸君は行動面において「私の保護者」ではなく実際に「私を脅かす敵対者」でした。彼らは何かにつけて私をしつこく叱責し、私の自由を奪って服従させ、私の意思を軽んじて否定し、私に安全を提供せず、私が安心する時間を与えようとせず、常に暴力をちらつかせて私に緊張を強いて絶対に休ませないように追い込んできた、敵意剥き出しの独裁的なサディストなのです。そんなのだから純真な猫ニャンたちに嫌われるのです。
おいおい、随分と感情的で一方的な意見だなぁと思った方もいらっしゃるでしょう。一体何があったの?と。
まあ、色々なことが絡み合って今の私が在ります。早くから大人の代役を果たさなければならず十分に甘えられなかった子供時代の負担感と不充足感が、全てのベースにあるというのがありがちながらも最も適当な答えなのでしょう。その生育歴の中で拙いながらも培ってきた私の責任感と堅実さと問題解決能力を褒めそやしタダ乗りしてくる大人の多さも、大人への幻滅感と不信感を増大させる一因になったのは間違いありません。
大人に体良く利用されていることに心のどこかで気がつきながらも、私は評価され信頼されているのだと思い込むことでどうにかバランスを取っていたのが実態です。そしてそんな大人たちは絶対に最高の人格者であるに違いなく、というよりそうでなければならず、これは搾取ではなく選ばれた優秀な子供だけが担うことを許される名誉ある任務なのだと自分に言い聞かせていました。
しかし本当のところは、「信頼」の名の下に私への安全提供を放棄し過剰な責任を負わせてくる利己的な大人たちに、自分を安売りしてしまうことで私の自尊心は傷を深めていったのです。私にとっては、大人の男性との人間関係の形は不平等条約でしかありません。一方的に利用される関係です。彼らは自分が上に立ちたいのです。上に立って私を一方的に利用したいのです。別に私は有名子役ではありませんが、この世の中に無数に存在するであろう子供らしい子供時代をつかみ損ねた大人役の子役たちの1人なのです。
子供時代って、大人になってからよりも時間の過ぎ方が遥かに長く感じるものですよね。大人にとってはまばたきくらいにしか感じない短い1日でも、子供にとっては1年にも匹敵するほどの長時間だったりします。小学校も永遠に近いほど長い時間です。中学も高校もそれぞれたったの3年なのに、終わりなど想像もできないほどの長さでした。その無限とも言える時間をずっとそんな気持ちで過ごしたら、そりゃ成人後にこじらせます。なにせ私は一生分に相当するほどの長い期間、不充足感と大人への不信感を感じてきたのですから。
そういうわけで私は大人の男性に対して根本的に不信感を抱いています。絶対に親しくはなれません。永久に敵です。もちろん、実際には少数ながら味方もいますし、味方まではいかなくても無害な人もいますが、まずは無条件で敵カテゴリーに入れるという点は変わりません。私はたまに人との間に壁を作るタイプだと言われますが、壁を作らなければ自尊心がズタズタにされるから当然の自衛策です。もし扉を開いたら、すぐさま土足で踏み込んできて攻撃してくるでしょ、あなた方。
このことが私の職場での振る舞い方にも影響していることは言うまでもありません。私は「より成人男性らしい成人男性」により強い敵意を抱きます。したがってその敵意は、相手の役職が高位になればなるほど強まります。ですから、社長に近づくほど批判的態度で接するようになるのです。このリワーク日記シリーズを読んでいただいている方々はお気づきかもしれませんけど、そういうことです。
さて、そんな私が上司部下関係や会社と社員の理想的な関係を考えると、当然のことながら「より上位の者が下位の者を守り便宜を提供する関係」を最も健全だと位置付けることになります。これまでのリワーク日記でもそうだったでしょう?
でも別にこの考え方はこの世の中の唯一の上司部下関係でも会社従業員関係ではありません。世の中にはそれとは対立する考え方が存在します。それは「より下位の者が上位の者の手を煩わせないように尽くす関係」だったり、「従業員は会社のために全力で働き、会社の名誉を守るべく率先して泥をかぶって問題対処にあたるという関係」だったりします。他にもありますけど、特に対立するのはコレでしょうね。(近年は「会社のため」という旗を目立つ場所から下ろして「個人の成長のため」と言い換える企業も多くありますが、実質的な意味は同じです。一見、個人に寄り添うように見せていますが、会社の利益にならない個人的な成長を評価して報酬を支払う企業は存在しません。あなたの成長が会社の成長にどのような形でどの程度貢献したか、が会社の関心事である点は変わりません。しかもよりデータ重視に寄ってきているあたりは悪質性が高まってきているとさえ言えます。)
そしてコレが私の反感を強烈に呼び起こすことは、ここまでこの記事を読んでこられたみなさんには想像に難くないはずです。私にはコレは、より強き者が弱き者に不当にタダ乗りしているようにしか見えず、自分の未成年時代に重なって見えてしまうのです。とても残念なことに私の今の職場も、あるいは前の職場もコレが幅を利かせており、私をずっと悩ませています。
どうして古い日本企業は悪の帝国みたいな「主君のためなら命を投げ出すことすら躊躇しない」的な世界観を採用しちゃったんでしょうね?「弱きを助け強きを挫く」が子供向けのフィクションの中にしか存在しないことを恥ずかしいと思わないのが不思議ですが、強き者側に立つ人たちからすれば強き者に弱き者が不当にタダ乗りして組織運営を台無しにしているように見えるようです。悪の組織のボスが失敗した部下をあっさり抹殺しまくる定番の光景を見るようです。
色々書いてきましたが、もうお察しの通り私は結局のところもっと甘えたいのです。子供の頃に甘え足りなかったから、その埋め合わせを今も求めているのです。それはもしかしたら一生続くかもしれませんが、それがダメだとは思いません。その甘え足りないという内なる子供時代の自分の声を抑圧して甘えるなという社会からの要請に応えてきた結果は、自分にとって有害なものでしかありませんでした。
私がすべきは、大人のフリをして心身のバランスを崩すことではなく、自分が健康でいられるバランスを見つけることです。成人男性嫌いを治療するつもりもありません。これがあるおかげで私は横暴になりそうな時に自分を抑えることができます。弱き者、弱き猫に優しくなれます。
私が最近よく書いている「私の使命は、愛する家族と動植物に囲まれて、大好きな美しい音楽やアートや鉱物を愛でて暮らすこと」というのは自分の中の甘えたい子供時代の自分の望みそのものです。それを満たしてあげることが、私自身のメンタルのためにも私自身の人生のためにも最良なのです。失われた子供時代を取り戻すことが私の幸福な人生を成立させるためのキーストーンなのです。(何度も書きますが、「生きる意味」や「人生の意義」、「自分の使命」は仕事や職業である必要はありません。「職業上の使命」も多少は存在し得ますが、仕事が趣味という人や起業家を除いて、働くために生まれてきた人は稀です。せいぜいキーストーンとしての生きる意味に反しないことという条件付きで職業上の使命が設定できるに過ぎません。キーストーンを見定めることが仕事よりもはるかに大事です。)
まあ、そうは言ってもその成人男性たちから完全に関わらずに生活することは不可能です。現実的には、人の近くで生活して利益を確保しながらも決して人に心を許さないスズメやハトやツバメなどの距離感を参考にすることかもしれません。
ということで、今回はここまでです。個人的な恨みつらみから出発して、気がついたらずいぶん遠い場所まで来てしまいましたが、それくらい私にとっては根の深い問題でしたので筆に任せてざっと書いてみた次第です。面白かった、私も気持ちがわかると思った方はスキとフォローをお願いします!それでは次回もぜひ楽しみにしてみてください!