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リワーク日記136 常識に合わせようとか思わない方が良い。

上司と一緒にいるとき、会話が弾みません。全く。というか、私は口数が少ないのですぐ会話が終了するのです。沈黙のランチってどうなんでしょうか。私は沈黙は平気な方なのですが、上司は楽しい会話を求めるような人なので、楽しい会話を提供できず少し申し訳なさもあります。私が上司を嫌っているように見えるかもしれません。しかし、私は誰に対しても平等に沈黙を捧げるのです。

さて、そんな寡黙な私は気がつくと口がへの字になっています。子供の頃から歯を食いしばって色々なことを我慢しながら生きてきたので、この口角がクセになっているのです。私の生きる基本姿勢は「我慢」ということです。漫画やアニメの好きなキャラクターも、いつもまっすぐでニコニコしている主役ではなく、暗さを纏って滅多に笑わない脇役でした。世の中を斜めに見ているような。自分自身を投影していたわけです。

大した努力もなしに世の中のメインストリートに沿った振る舞いのできる人は、きっと私ほどの我慢もなしに自然と口角を上げて過ごすことができるのでしょう。一方で私のように世の中の常識や普通とやらがさっぱり理解できず、その把握と分析のために半生を費やさなければならなかったような人間は、安心して口角を上げる前に幾つもの検証ステップを要するのです。この常識はどのような意図があるのか、どのような効果を期待するものなのか、いつどのような経緯で形成されてきたものなのか、時代が変わっても通用するのか、誰が最も利益を得るのか、損失を被る人が出ないよう配慮がなされているものなのか…。大抵の場合は、時代を超えた普遍性のないものも多く、あまり各所に配慮などされておらず慎重に練り上げられたとは言えないような代物だとわかってがっかりしますが。

まあ、実際に様々な葛藤を経験し書籍を読み、世の中そんなものだとおおよそ理解するようになってきた今なら、浅はかな「普通」とは適度に距離を置いて自分の価値観を活かす方法を探そうと思いますが、今より多少若かった頃は、長い歴史の中で試練のふるいにかけられ残ってきた伝統や慣習やそれらが練り込まれた世間の常識には、合理主義には思いもつかないような盲点をカバーする優れた安全装置が組み込まれており社会の絶妙なバランスを実現させる機能があるのだと信じて、社会の側に自分を合わせようと必死で頑張っていました。

そういう場合もあるのでしょうが、欠陥の多い常識も珍しくありません。人間を幸せにしない伝統や悪習なら速やかに破棄すべきです。相撲の土俵に女性を上げてはいけないという「掟」が、人の命がかかった場面であっても貫徹されるべきか否かが議論になった出来事もありましたね。

ついでに言うと、みんな「ひとつ」だと思い込んでいるだけで、世の中の常識はひとつではありません。コミュニティごとに独特の常識は形成されていますが、別のコミュニティに移れば全く異なる常識が存在します。庶民の常識と政治家の世界の常識が大きく異なることは皆さんご存知でしょう?社長が交代した途端にOK/NGの線引きがひっくり返るなんてこともよくあることです。低所得者層と富裕層とではやはり話が噛み合わないでしょう。「郷に入っては郷に従え」って言葉は常識の多様さを前提にしています。「常識の正答」なんか存在しないんです。だから合わせようがないのです。

唯一正しい聖典がないからこそ、「どの常識を参照して行動するか」は常に個人の価値観や人となりを反映することになります。そしてブラックな常識を参照する人が多ければ社会はブラックな方向に傾きますし、ホワイトな常識を支持する人が増えれば社会もホワイトになります。

運動中に水分を補給することはかつてはNG行為とされていましたが、今では逆です。子供の指導方法だって強い言葉とゲンコツがセットでしたが、いまではそれはただの虐待とされています。殺傷能力のある武器を誰でも所持できる時代もあれば、所持に制限がかけられる時代もあります。いまの日本は制限付きの時代ですね。でもアメリカでは現代でも銃を所持できます。常識とはそんなものです。私たちひとりひとりの価値観と行動が社会の常識をブラックにもホワイトにも変えるんです。

それならば、私はいつも口をへの字に曲げて我慢してまで自分を幸福にしない「常識」に合わせる生き方ではなく、いつも口角を上げて自分を幸福にする常識に1票入れる生き方を選びたいです。まずは口角を上げることから始めます。それは自分を大切にして生きるという宣言であり、不幸な常識お断りというステッカーなのです。

好きなものに囲まれる、猫を愛する、植物の世話をする、自発的に仕事をしすぎない、猫にご飯をあげる、仕事の責任は上司に取らせる、定時で帰る、休みをたっぷり取る、猫を撫でてあげる、難題を一人で抱え込まない、余裕があれば人を助ける、猫のトイレ掃除をする、嫌なことを言ってくる人の相手はしない、自分を幸福にする答えは他人ではなく自分の中にあると信じる、猫と遊んであげる、毎日ワクワクする好きなことをする、猫がワクワクする好きなことをさせてあげる。それが自分を大切にするということです。

ですので、先週末に急に降ってわいた無茶苦茶な案件もさっそく上司に投げつけました。自分たちがトンマで手遅れにしてしまったくせにそのことは棚に上げて、上から目線で一方的に人を脅して言うことを聞かせようなんて無礼です。土日をそんな仕事の不愉快な心配事で埋め尽くしたくありません。私には猫ニャンたちをかわいがるという重大なミッションがあるのですから。その案件を持ち込んできた傲慢な輩の常識と私の常識とは異なりますが、猫飼いにはニャンコさんを可愛がる義務があるというのは全世界共通の普遍的な常識です。

ということで今回はここまでです。休日大好き!っていう人はスキとフォローをお願いします。次回も楽しみにしていてください。

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