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春来草自生

桜が咲くと春も本番。
春と言えば思い出す禅語があります。

兀然無事坐 春来草自生

兀然こつぜんとして無事に坐すれば、春来たりて草自ずから生ず

こつこつと心を無にして坐り続けていたら、そのうち機が来て悟る……

という意味だそうです。

けれども、わたしはこの言葉をそのまんまに読んでいました。

こつこつと心を無にして坐り続けていると、春が来て草が生える。

ただただ座る。
春が来ると草が生えることに気づく。
何もしない。待つことすらしない。
わたしが何もしなくても、世界は完璧なタイミングで営む。
くつろいで、それを見る……

ただ在ることのアートだなぁ、と。

「坐すれば」の接続を、原因・理由ではなく、偶然と解釈する。
この読みが結構気に入っているのでした。


人をれこころも枯れて冬ごもりいつしか荒野に見ゆる草はも
──烏有

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