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海月のように生きてみたい
海月を見に行った。何に魅力を感じるかと言えば、あの形にあの動き、あの透明感に心底惚れたのかもしれない。
「海月を見て何になるんだよ」
海月の何がいいかわからない、そんな言葉をもらったけど、その言葉と引き換えに、その人は海月に捕まった。私と一緒ね。布教できた。
薄暗い部屋に入れば、この世界に存在する海月がお出迎えしてくれた。見た目に反して、大砲を撃つような名をもつ者もいるし、水と同化してしまいそうな者もいる。
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泳いでいるのか、流されているのか。自由なのか不自由なのかはわからないけど、見ているこちらが惹きつける何かを海月は持っていると思う。
「心臓も脳も骨もない」
海月の紹介アナウンスで、強く記憶に残った言葉。どうして誕生したのか、どうやって生きているのか、何を思うのか、思うことすらないのか。
私のような人間の当たり前が、彼らにはなく、彼らの当たり前が、人間にとって当てはまらないのか。
同じ地球で生物として生きているけど、住む世界が違うというのは、こうゆうことなのかなと思う。
人間とその他生き物に関して言えば、互いに生きる時代、ステージ、空間、場所が違えば、そうゆうものだよねと受け入れるのに、人間同士になったらそれが出来なくなるのはどうしてだろう。
受け入れる、ということがこうも難しく絡まってしまう人間は、中々複雑な生き方をしなければいけない運命なのかな。厳しいね。
海月に対してひとつ思うのは、優雅に水中を漂う海月の姿に憧れを抱いたということだ。
生きている海月は、その時その時を生きていて、泳いだり、水流に乗っている。
身軽な体だから出来るのか。余計なものを抱えていないからなのか。
これは、今を生きる私にとって、真似をしたいと思った。
身軽な体、漂う体。そんな心持ちで生きていきたい。
余計な心配や他人の目、自己犠牲しまくる思考、過剰な完璧主義。
そうゆうものを手放して身軽になって、水流にゆらゆら揺れるように身を任せる生き方。
今は、まだそこまで出来ていない。目標だね。ゆらゆらふわふわ生きる。
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たくさんの海月を見れたことは、この上ない幸せだ。海月を通して生き方まで考えさせられた。ありがとう海月。
そして、帰りに食べた生しらす丼は、目が見開くほど美味しかった。