自分は何者かと悩む前に

皆様こんにちは。
自分って何者なんだろう。一体この世の中で何する為に生きているんだろう。
こう考えて今を生きてる人って多いと思います。

昔よりも「人より突出した何か」を重視する世の中に変わったから、こんな意見が出ているんだと思います。

「何が出来るか」だけでなく「他人よりも○○が秀でている」「人より○○の部分で貢献できる」でないと、個人として認識されない時代です。
「人並みに出来ます!」では物足りない。当たり前。あとは何かあるかな?と言われて終わりです。

つまり、「何者か」にならなければ社会に溶け込めない。
社会に溶け込まなければ生きていけない以上、
これからの時代は半強制的に自己を見つめなければいけないのです。

ただ私はその現状に「待った」をかけたい。
本当にそうしなければ進めないのか、何も見出す事は出来ないのか。
今回はちょっとした提案をしてみたいと思います。

自己実現に悩む人が増え続けている

―――自己研鑽、自己意識、自己肯定、自己決定。
ネットのそこかしこに『自己』に悩む人に向けた記事や動画が溢れています。
まるで社会全体がそれを強要しているかのように。

昔はレールの上を歩いていれば、死ぬまでそれなりに生きれたのに。
いつから見たくもない『自己』を見なければならなくなったのでしょう。

無意識レベルで突出した物を発揮し、幼い頃から認められた人は、その誰に対しても見えている長所を極めていけばいいわけですから。
そもそも『自己』を見つめる事に抵抗は無いし、何なら『自己』を見つめる必要なく生きる術を早期から持っているわけです。

ですが成人してからも周りに評価された物を持ち合わせていない人は、

・自分で突出した物を一から作り出すか、
・『自己』を見つめて見つけ出さなければ、

早期発見の人に対抗できません。
個を重視する時代ですから、遅れていても関係なく悩み続けなければならないのです。

「何者か」には決してなれない

最初に「何者か」にならなければ社会生活が営めない。と話しておきながら、どうしてと思うかもしれません。

ここで重要なのは「何者か」になっても長続きしなければ意味がないということです。

自分ではない者の仮面を被ったところで、自分が嘘をついている事実が意識下で付きまといます。

「本当はそんな人間じゃない」「お前は○○なんかじゃない」

その自己意識とのズレで、それによるストレスで必ず心に歪みが生じます。
ただでさえ社会に出たらストレスが溜まるのにダブルパンチです。
生き延びる為に「何者か」になったのに、調子を崩したら何の意味もありません。

人生100年時代、死ぬまで「何者か」でいる人ってどれ位いるんでしょうか
現実的ではないと、思いませんか?

自分に悩む前に環境を振り替える癖をつけよう

自分って何者なんだろうと考えてる人って、何かしらストレスが溜まる環境に追い込まれている人だと思うんです。

成長の為に自分を見つめたいと言う人もいるでしょう。
ただ成長ってそもそも何でしょうか。
現状打破したい何かがある、あるいは何か言われた。
憧れの環境に適応したい想いからする事だと私は認識しています。

周りに受け入れられてて、ストレスフリーな人がそんな事を考えるでしょうか。
普通に生きてて、自分の事を四六時中考えてる人ってそういません。

まず環境を見直してみる事も一つ重要なんじゃないかと思っています。

・悩むような環境に飛び込まない。
・今まで適応出来なかった環境がどんな環境だったか。
・逆にそれなりに楽な環境はどこだったか。

自分でなく環境を見るようにすれば最初の段階で大きな負担を感じる事はないはずです。

全部環境のせいにしろということではありません。
自分を見ようとする段階ってもう極限の状態なんですよ。

よく危機に瀕した時に「思い出が走馬灯のように蘇った」なんていいますが、それを普段からしなければならない状態って相当な事じゃありませんか?

一旦立ち止まって冷静に。
気持ちを楽にするために考えてみてもいいんじゃないでしょうか。

苦しむのはいつでも出来ますから。

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