いつまで陰にいる子ども達を黙殺するのか
大谷翔平のワールドシリーズ制覇に日本中が沸いた。
私は野茂英雄時代からドジャース推しであったから、それがまた新たな日本選手の活躍によって達成されたとなれば実に嬉しい。
まさに絵に描いたような活躍で、彼は、やはり特別な星のもとに生まれた人なんだろう。
余談だが、私の友人のひとりが元警官で、今はドジャースのセキュリティ担当をしている。大谷が歩いている横で、ボディーガードとしているので良くテレビにも映っている。
彼曰く、大谷は正真正銘の人格者だそうだ。
人気選手の中には態度が悪い者も多いが、彼はその人間性で周りからリスペクトされているらしい。日本人として誇らしいことだ。
世間の野球少年たちは、どんな思いでみているのだろう?
「自分も大谷のようになれるかも知れない、なれるように頑張ろう」そう思っているか、
「どうせ自分はあんな風になれるわけはない」そう思っているのだろうか。
アスリートの成功につながる要素は、実はまだまだ知られていない。
DNAに恵まれればいいというものでもないし、努力のみで叶うものでもない。
家庭環境、関わる人々、練習方法、食事、睡眠・・・ありとあらゆる要素が複合的に関わるため、成功パターンなるものを簡単に見出すことが出来ない。
研究はされているようだが、そのサンプル数があまりに少なく、理論が導き出せないのだ。
野球少年をもつ親は子どもにどう声をかけているだろう。
「頑張れば、あなたも大谷になれるよ!」
そう話している親も多いだろう。そういう言葉がけは大事なことだし、私もそうあるべきだとは思うが、確率論でいえば、大谷翔平になれる人は、何千万人という今まで野球に打ち込んできた選手の人数分、その1、ということになるわけで、努力でその確率を多少上げる以外、大谷の域は相当に難しいとなる。
しかし、子どもに大谷翔平の話をするのであれば、彼が、ものすごい記録を作ったことや、若い頃に自分に課した目標を見事に達成した選手であるという光の部分だけでなく、また彼も怪我の恐怖にさんざんさいなまれながら、2度の手術、リハビリ、選手生命の危機を乗り越えてここまできたことも話すべきだ。
毎年若い選手がチームに華々しく加入する裏で、決まった枠から外れて戦力外だと告げられる選手もいる。
夢を最終的に叶えられる人なんで実際はほんのひと握り。
金メダル最有力候補と言われながら、本番で力が出せなかったり、そうかと思えば、男子体操の選手のようにひとりで3つも金メダルをとってしまう人もいる。
残念ながら世の中はそういうものだ。
先般の選挙で政治家たちが言っていた。
「すべての皆さんの夢と希望が叶う、そんな日本に変えていきたいのです!」
・・・どういうつもりでそういう言葉を発しているのだろうと不思議に思った。
こんな私もこの学校を世間から認められる学校として作り上げたいという夢がある。
眠りが浅い時、その学校の校舎の中を歩く自分の夢を、何度見たことか。目が覚めてはそれが現実ではないことに気づき、ため息をつく。
それなりに人生を生きてきたから、努力すれば何でも叶うなどとは思っていない。
でも何もしなければ何もおきないし、私の場合、ここから落ちていくだけだ。
「諦めたらそこで終わり」
それだけを毎日自分に言い聞かせている。
さて、先日またショッキングなニュースが流れた。
「不登校の小中学生34万人で過去最多」
少子化の時代の過去最多数となれば、その深刻さが良くわかる。
今や、どこの教育委員会も最大の悩みは、不登校児童のことらしい。
さらには、教員の成り手不足、精神的に病んでしまう教員、保護者のクレーム対応・・・先生達は疲れ切っているのだ・・・。
文科省に言わせれば、不登校の原因は・・・「不明」。
あまりに色々な状況が複合的に絡み合ってのことなので、明確な答えはないらしい。
学校に楽しく行っている子達ばかりではないのだ。
こんな今も、「自分は人と同じことが出来ない悪い子だ」と自分を責め続けている子もいれば、「育てた私が悪いのだ」と落ち込んでいる親がいる。
まさに、学校教育のダークサイド。
本当にどうにかしないといけない。
もうそろそろ、文科省も教育委員会も自分たちですべての対応が出来ないことを認めて、我々認可外のものにも助けを求めてはどうか。
私たち、フリースクールやオルタナティブと位置付けられる学校を運営している者も、子ども達がとにかく楽しい毎日を、子どもらしく過ごせるようにと願っているが、実際、一切の行政支援を受けられない状態では子ども達により良い環境をつくることが出来ない。
SNSで2040のガザというビデオをみた。
トルコで作られたものらしいが、2040年になってガザの戦争を振り返る時、それを知った子ども達が、自分の親などに「何でこんなひどいことを何とかしようとしなかったの?」と口々にし、言われた大人が目線を落とす・・・そんな内容だ。
同じような捉え方をしないといけないのではないか。
不登校になって居場所がない子たちの最後の拠り所として各地域で奮闘している認可外施設も多くあり、またそこで奮闘している大人も多くいるが、大抵の人にとっては関心事ではない。
そのうち文科省が、教育委員会が、誰かが変えてくれるだろう、日本の教育も良くなっていくだろうと思っているのかも知れない。
私はもはやそういう状況ではないとみている。
日本の学校教育の陰の部分とそろそろ真剣に向き合うべきではないか。
「大人である自分が未来を生きる子ども達のためにするべきことは何か」
を考えるべきではないかと思う。
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