文科省は日本の教育を変えていけるのか
遅ればせながらどなた様も新年おめでとうございます。
今年初めての記事を、少し緊張気味に書いている。
毎年毎年、「今年こそは」と始めてみても、年の終わりになると、結局時間だけが過ぎて、また歳をとったなとそういう感じの時間が続いている。
それでも自分に言い聞かせる。
今年こそは。と。
そもそものところ、私は、岐阜市の端にある普通の幼稚園の園長だった。
以前は、うちを訪ねてわざわざ見にくる人など皆無であったし、サニーサイドなんていう名前を知る人も岐阜を出れば誰もいなかったと思うが、IB教育に取り組んでこれで12年、IBの世界では割と認知してもらえるようになった。
私自身は、やはり「日本の教育が変わっていくために、社会に何らかの一石を投じたい」そういう思いをいつからか強く持つようになり、いばらの道にみずから足を踏み入れた。
思いつきで行動する癖が昔からあり、常に慎重さに欠けていたので、たくさんの人に心配をかけ、迷惑をかけてきた。
最後は、広げた風呂敷を自分でしっかり畳まねば、その方々に示しがつかない。
さて、日本の教育シーンは年々、もはや壊滅に向かっているのではという感覚すらある。
文科省と全国各地の教育委員会が牽引してきた日本の学校教育は、一時代においては、それなりに功績が認められると思うが、この急速な変化の時代についていけていないのは私の目には、はっきりわかる。
その現状について、いろいろな観察があると思うが、私は、文科省という大きな教育行政組織が、全国の学校教育を管理、コントロールするシステムを作り上げたことが、逆に、この変化の時代にあって、いわゆる柔軟性、独自性、創造性を奪う形になってしまっているのではとみている。
今後ますます深刻化する教員不足に対応するひとつの方法として、私もひとつ考えがある。
それは、生徒に主体性を育むことだ。
日本の生徒は、大抵は、大人の言うことを素直に聞いて行動できる従順性を持ち合わせていると思うが、同時に「言われて行動する」ことに慣れすぎて、自分で考えて行動する主体性が足りていないと感じている。
言われればやるけれど、言われないとやらないのは、例えば、教師がひとたび教室を離れると、今だと言わんばかりにさぼったり、遊び始める・・・私の時代はそういう感じだったと記憶している。
サニーサイドの生徒は、教師がいてもいなくても、基本的に学びに向かう姿勢は変わらない。
うちに見学にきた幼稚園の先生たちが特にいうのは、「時間がゆっくり流れているように感じる」とか「先生たちが誰も大声を使っていない」というコメントだ。
幼稚園児に主体性とか持たせることが出来るのか、と疑問に思われる方もいるだろうが、実は、育て方次第で幼稚園児でも自分で考えて行動ができたり、グループで話し合いをして物事を決めることもできる。
主体性が子どもに育つと、実はそれは先生にとってとてもやりやすい、働きやすい環境を作ることにつながるのだ。
家庭生活でもまったく同じことが言える。
逆に、先生が言わないと何も自分たちでは動けない生徒にしてしまえばしまうほど、先生の負担は大きくなる。
子どもに考えて正しい行動をする習慣が身についてなければ、親は四六時中大声を出してイライラしていないといけなくなる。
どのようにして、子どもの主体性、自ら考えて行動する力を育むのかは、実は重要な課題であると思われる。
話変わって、先日、ある文教系の代議士に私はたずねた。
「先生は、文科省や教育委員会が今後、日本の教育を変えていくことは出来ると思っていますか?」
「私は出来ないと思います。」彼はそう言った。
今さら誰かを責め立てることでもない。それは恐らく無意味なことだ。
組織は大きくなれば大きくなるほど、決まり事が増え、それによって統制を取ることができる一方で、柔軟性を失ってしまう。
統制があるのは悪い話ばかりではない。コロナの時は、文科省の号令で、また都道府県教育委員会の号令で、休校にするかとか、どのように給食を食べるかとか、色々な指示が出された。
校長からしたら、それが正しいかどうか、実は正解がない中で、「上からそういう指示があったので」と言えば、色々な意見をもつ保護者にも対応できるから、それはそれで便利でもあるのだ。
しかし、コロナ同様、正解がひとつでない時代にあって、学校も、「言われたことはやるけれど、言われていないことはやらない」では、何も変えていくことができない。
これからの時代、教育行政も上から管理するのではなく、それぞれの学校や、地域の教育委員会に主体性を持たせることが必要だと考える。
それを不安に感じる人もいるかも知れないけれど、教育の問題は、学校のみの責任ではなく、本来は親の責任、社会全体の責任であるから、そこは地域一体となって、子どもたちを育てていこうとする考え方が必要ではないか。
年末、文科大臣がアナウンスを出した。
「これからは、地域裁量を増やしていく、それぞれの創意工夫で教育をやってほしい」
部活動を地域の民間組織に委託することにしたという流れも含め、もはや、文科省や教育委員会は、自分たちの力だけではすべてを支えきれないという、ある種、白旗を上げつつあるという見方もある。
一部の自治体からは「文科省は無責任だ、ただでさえ課題が山積していて現場は疲弊しているのに、そこに創意工夫で考えてやれとはどういうことだ!」大きな不満が噴出している。
しかし、その不満をぶつけたところで何も変わらない。
我々学校経営者も、逆に、文科省や、教育委員会に依存していてはダメだ。職員で膝を突き合わせ、今までやってこなかったことにもどんどん挑戦し、海外にも目を向けて、新しいものを取り入れていく、そういうことを、さらに大胆にやっていかないと、日本の学校教育は本当に沈んでいってしまうかも知れない。
目の前の子ども達としっかり向き合い、できることをすべてやる。
おそらくまた、あっという間にこの一年も過ぎていくだろう。
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