【好き】という感情に責任を持つということ
「この人私のこと好きかなあ」
異性と一緒にいると、無意識にこう考えてしまっている自分がいることに最近気づいた。
振り返れば、小学生の時から男の子と話している時に相手が楽しそうにしていると、こんな風に考えていた気がする。
でも蓋を開けてみると、別のかわいいクラスメイトのことが好きらしいよと噂で聞き、自分は相手のことを好きでも何でもないくせに、謎にちょっとショックを受ける。こんなことがよくあった。
そして先日、23歳になった今でもこの思考は変わっていないという衝撃的な事実を突きつけられたのだ。
学生時代の男友達と一緒にカラオケに行くことになった。コロナになって大学に行かなくなってからの方が連絡を取るようになり、就活の時期もわりと情報共有をしたりした仲だ。
コロナも収まり、流れで会うことになった。私は彼のLINEを既読して勝手に終わらせるくらいにはただの友達だと思っているし(冷静に酷いことしたなと反省中)、彼もまたZoomに超ラフな格好で出てくるくらい私のことを異性だとすら認識していないと思っている。
会う当日、いつも通り「やっほー」くらいのテンションで合流。
適当に好きな歌うたって、普通に楽しかった。ラブソングを歌いながら「やっぱこの曲いいよな~」とか「この曲マジで好き」とかごちゃごちゃ言いながら。
ふと思った。彼は誰を思い浮かべながら、この曲を歌ったんだろう、と。別に好きでも何でもないはずだし、今好きな人がいるんだと聞いたら全力で応援するだろう。だけどちょっとだけ、気になった。
帰る段になり「また会いたいねー」という話になった。もちろん友達に『会いたい』という感情は自然なはずだが、私はまた、何となく「この人私のこと好きかなあ」と思ってしまっていた。
自分が好きな人に、自分の事を好きでいて欲しいから「この人私のこと好きかなあ」と思ってしまうならまだ分かる。
でも、自分は相手のことを好きでも何でもないのに「この人私のこと好きかなあ」はさすがにお門違いではないか。
自分が相手のことを好きかどうかは棚に上げて、相手が自分のことを好きではないと分かると勝手に何故かショックを受ける。
こんな自己中心的な人間が他にいるだろうか。
【好き】ってその人自身ですらよく分からない感情なのに、それを相手に丸投げするのって、すごく他人本位だ。
今の私じゃ、たとえ「この人私のこと好きかなあ」と思った人が本当に私の事を好きだったとしても、その感情を受け止めきれないと思う。
なぜなら自分の感情と向き合うことを放棄して、人の感情に自分の人生を委ねようとしているから。
相手がどう感じているかはその人の問題であって
私は自分がどう感じているのか
それを相手に伝える必要があれば伝える
それだけで十分なはずだ。
誰かの【好き】という感情に期待をするのでなく自分の【好き】という感情に責任を持てる、
そんな人間になりたいと、つくづく思う。
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