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【短歌一首】 鉄塊のオブジェは深き草木に解かれいつかは土に帰らん

鉄塊の
オブジェは深き
草木(そうもく)に
解かれいつかは
土に帰らん


千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館に行った。
美術館をゆっくりと回ることが大好きなのだが、ゆっくりじっくりとブラブラ見て回りたいので、時間に余裕がない時にはなかなか足が向かない。

素晴らしい自然に囲まれ、建物や庭園も美しいDIC川村記念美術館は以前から関心があったが、ようやく訪れることができた。


美しい庭園

絵画や彫刻などは大好きであるが、特に詳しいわけでもなく、また、あまり深く解説・説明を事前に見たり調べたりすることもない。 いつもその時に自分で実際に見て、そして何を感じたかを第一優先としている。(もちろん、そこで関心が高まれば後にいろいろ調べることはあるし、それでいっそう感動が深まる。)

フランク・ステラの「リュネビル」という作品

今回、DIC美術館で最も印象的で惹かれたのは、アメリカのフランクステラの「リュネビル」(1994)という.ステンレスを使った彫刻作品。 今回初めて知った芸術家であるが、最近87歳で逝去した20世紀アメリカ現代美術の巨匠とのこと。

溶けた鉄塊

この作品は美術館の入り口のすぐそばにあるのだが、その重量感、大きさ、周りの草や木と対立するような大きな負のエネルギーを感じ、しばし足を止めて見入った。

よく観察してみると、ステンレスのパイプや、板材や、鉄屑を加工したり、鋳造したりして組み上げているものと思われる。

鉄と一部木の組み合わせ

眺めれば眺めるほどいろいろな想像を掻き立てられる。

一つ強く感じたことは、これは人間の作り上げた文明の残骸や成れの果てを表しているのではないか、ということ。「鉄は国家なり」という言葉が象徴するとおり、鉄により枠組みを作り、進歩・発展させてきた近代国家、機械、武器、建造物、乗り物、制度・仕組み・システムなどが、時に暴走したり、衝突したり、破綻したりして、大きな負のエナジーを出しながら最後は朽ちてゆく。そんなことが表されているような気がした。

ところどころに見える鉄の溶けて変形した一部が、断末魔の叫びをあげている人間や悪魔の顔のようにも見えてきた。 そういえば金剛力士像や四天王に踏みつけられている餓鬼のようにも見えてくる。

そして最後にはあらゆる人も物も大自然の中で分解され土に帰ってゆく。そんなことを感じた。

大自然に囲まれた休憩所

庭園や森の中を散歩していると本当に気持ちがいい時間が過ぎてゆく。何時間でも散歩していられそうだ。大自然の中に佇む休憩所には、スケッチをしている人、ノートPCで作業をしている人、ゆっくりお茶を飲んでいる人などがいて、ゆったりといい時間が建物の中を流れていた。

美術館のカフェ

美術館に行くとそこのカフェでゆっくりするのも楽しみの一つ。2時間近く美術館の中や外の森や庭を歩いてかなり汗をかいた。 あまりに気持ち良いので、その後にカフェで調子に乗って(弱いのに)白ワインを一杯だけ飲んだらすぐに回ってしまった。

この素晴らしい美術館が現在の予定では2025年3月末で休館となるらしい。一つの企業グループが維持・運営している美術館なので、経営的な面からはいろいろと課題があるのだろう。
何らかの形で素晴らしい美術館がこれからも存続してほしい。

猫間英介



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