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【短歌一首】 来る者を拒むが如く親王の墓のきざはしいよいよ険し
来る者を
拒むが如く
親王の
墓のきざはし
いよいよ険し
鎌倉にある護良(もりなが、またはもりよし)親王のお墓を久しぶりに訪れた。 護良親王は鎌倉幕府を倒し建武の新政(1333年)を行った後醍醐天皇の息子で、討幕の立役者の一人。
いつもここを訪れると、なぜだか短歌をたくさん詠みたくなる。
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前回2024年2月に訪れたときには工事中で中に入ることができなかったが、その工事が完了したようで、階段が真新しいコンクリートになった。
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入口には「後醍醐天皇皇子 護良親王墓」と記された石柱が立っている。
護良親王の御墓は、歴代の天皇や皇后と同じように山全体が山陵と呼ばれる墳墓をなっている。閑静な住宅地を通り抜けていくと、突然、お墓(宮内庁管理)となっている山が現れる。
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山陵には山を登るための長い階段がどこまでも続く。 以前は階段全体が苔むしており、一部破損しているところもあり足を滑らせる危険性もあった。今回工事により新しいコンクリート作りとなった。
さらに中央部分には以前はなかった手すりも設けられ、より安全を期している。あまり安全を優先しすぎて趣のない無機質な階段になってほしくはないが。
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階段は大きく3つの区分に分かれているのだが、今回登りながら段数を数えてみたら、46段ー84段ー36段 =166段であった。石段の一つ一つが小さく勾配角度が急なので、166段を一気に登るのはけっこう体力を消耗する。
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2番目の階段は84段と最も段数が多く、さらに傾斜も急なのでここを一気に登るのはとても体力を消耗する。
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長い階段を登り終わり、ようやく山陵の頂上付近に着いた。汗が噴き出てくる。
護良親王は若くして天台座主(天台宗のトップ)を務め、鎌倉幕府を倒すために還俗し征夷大将軍にも任ぜられ、討幕では八面六臂の大活躍をした学問にも武芸にも秀でたエリートであったが、あまりにも突出した力量が災いしたのか、同じ討幕メンバーである足利尊氏との対立や父の後醍醐天皇との確執などいろいろな事情から、土を掘って作った牢(土牢)に幽閉され、その後27歳の若さで斬首された。
この階段の長さ、険しさは、まるで若くして非業の死を遂げた護良親王が来る者を拒絶しているかのようだ。実際に鎌倉の他の観光スポットと異なり、この場所で人を見かけたことがない。
猫間英介
鎌倉の短歌を集めました。