まなざしの地獄、とは?
見田宗介の「まなざしの地獄」(1973)は、連続射殺魔と呼ばれた永山則夫についての考察だ。
タイトルにある「地獄」は、サルトルが言った「地獄とは他人のことだ」(『出口なし』)に由来すると思われる。
都会における、地方出身者・永山への偏見が彼をして事件に至らしめたというのが論旨である。
だとすると、かなりの環境決定論かつ免責論と言える。
概して、思想的に左寄りの人たちは犯罪の原因を社会に求めすぎる傾向がある。
そもそも、東京出身のエリート学者である見田が、地方出身の中卒者の心性にどこまで迫れるのだろうか?
緻密な分析と旺盛な想像力で、そうしたギャップを補っているようにも見える。
だが、永山を苦しめた階層間の隔たりや「関係の絶対性」の存在を論証すればするほど、永山とは属する階層が違う著者が彼を理解するのは不可能だと証明していることにもなる。
なんともパラドクシカルな構造だ。
私は以前から、死刑囚の中で永山ばかりを特別視する風潮が嫌いだった。
それは今も変わっていない。
私は死刑制度自体を好まない立場だが、彼が獄中で勉学に励もうがベストセラーを執筆しようが、それらは死刑存廃論の本質には何の関係もないことだ。
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