花屋の花はオンリーワンか?――「世界に一つだけの花」試論
槇原敬之が作詞作曲したSMAPの「世界に一つだけの花」(2002)。
No.1にならなくてもいい
もともと特別な only one
というのが主なメッセージである。
そのためのレトリックとして花が出てくるのだが、花屋の花を例示する歌詞に昔から違和感を覚えていた。
というのも、花屋で売られている花は品種改良や大量生産によるものだからだ。
それらは少しでも付加価値を高めようと手を加えられた人工物であり、経済効率と利潤追求のため画一化された代替可能物なのだ。
そう考えると、作品のメッセージとは合致しづらい。
そもそも市場原理において価格が決められ、貨幣によって交換可能な商品のどこに、人間のあるべき姿を見出しえようか?
反共の人達ですら「人間疎外だ!」と抗議することだろう。
せめて野花を賛美すればいいのにと思ったら、槇原は2005年にダ・カーポの「野に咲く花のように」をカヴァーしているようだ。
本人も、花屋の花に対して何か思うところがあったのだろうか?