「現代文」への不満
「国語」という教科の中に、「現代文」という科目がある。
大学受験生だった頃、この現代文に頭を悩ませていた。
何やら難解な文章が出され、言い換えやら要約をしなければならない。
どう解けばいいのかと藁にもすがる思いで、予備校の現代文の授業を取ってみる。
しかし講師の説明は大抵、行き当たりばったりに見えて仕方がない。
雲をつかむような授業内容に、狐につままれたようになる。
結局、摩訶不思議な現代文の問題を解くには、摩訶不思議なテクニックを身に付けなければならないらしい。
そうした仙術めいた特殊技法を体得するには、自分はまだ修行が足りないようだ。
いつかはマスターできるはずと信じ、とりあえず訳の分からない授業に出続ける。
…と、こんなことをやっていて成績が上がるはずもなかった。
そもそも文章の読解というのは、読書経験を積むことで自然と出来るようになるものだ。
どうしても解らないときや、自分の読み方で本当に合っているのか気になったときは他人に訊けばいい。
そうすれば、現代文の授業など受けなくても読解力は身に付いてくるだろう。
だが、そういう機会に恵まれない場合も多いし、受験で出題される文章は確かに複雑だ。
こうした経験値の不足や予備知識の不足を補うために、現代文の授業があるというわけだ。
現代文でお困りの受験生の皆さんは、自分にとって解りやすい授業を選んでください。
難しい文章をさらに難しくコネくりまわす先生には、付いて行かないでください。
そして受験が終わったら、いろいろと自発的に文章を読んでいきましょう。
そのうちに文章の読解は、摩訶不思議な仙術などではなく、日常の一コマに過ぎないと気づくことでしょう。
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