お化粧楽しいって思ってみたい『美容常識の9割はウソ』
やあ、僕だよ。飽き性ちゃんだよ。
美容に全く興味のない僕だけど、歳のわりに「若い」や「肌が綺麗」だなんて褒められると「よくもまあ見え透いた社交辞令を」と思う反面、真剣に言ってくる人もいたりして不思議に思っていたんだ。
その理由がこの本を読んで分かった気がする。美容オタクの皆さん、ひいては人の前に出る方々には既知の事実ばかりかと思う(とはいえ僕個人の話ばかりなのだけど)が、お付き合い願いたい。
それじゃあ、今日も始めていこうか。
本書あらすじと感想
『美容常識の9割はウソ』落合博子
kindleunlimitedで読了。二〇一九年出版。形成外科のお医者さんがスキンケアについて、優しく丁寧にわかりやすく教えてくれる本。
こちらは医療ライターが書いた本書のレビューである。エビデンスに欠けている箇所についての補足を著者の落合先生がしてくれていて、真摯な態度と誠実な人柄が窺い知れる。ぜひ本書もこちらもご一読を。
端的に、内容を言ってしまうと以下の通り。
多くのスキンケアにそこまでの効果は見込めないし、マッサージは逆効果。
なるべくシンプルな油系の保湿剤と日々の日焼け止めさえあれば十分。
それでも困ったら医者へ行け、六週間で治るから。
だから僕は肌だけは結構強いのだ。だって何もしていないのだから。
吹き出物も出来るけれど、食生活に少し気を付けているとすぐ治る。マッサージなどしたことがないので色素沈着はほぼない。
実のところ、化粧水すら生涯でほとんど塗ったことがない。冬になると痒くなるので安いニベアもどきを塗るくらいだ(それも忘れてしまうので何日か置きにやる)。
上記レビューと共にとても説得力があったので、とりあえず日焼け止めはなるべく努力する。面倒だからまた忘れてしまうんだろうなぁ。
七歳の時に初めて化粧をした
忘れもしない、十一月のある日曜日。僕の祖母の家は紳士服のオーダーメイドを行う仕立て屋で、その近所に美容師免許を持ったおばちゃんが住んでいた。
彼女はその昔、とびきりの美人だったらしい。小さなサロンを開いていて、近所の奥様方に支持される総合美容サービスを提供していた。
ヘアセットやメイキャップもそのサービスの一環で、祖母も彼女のお得意様の一人だった(祖母は死ぬまで女でいたいタイプの女性だったし、彼女も祖母の顧客の一人だったから、そういう付き合いを大事にしていたのだ)。
そこで僕は七五三の着付けをした。
何度かおばちゃんの家に遊びに来たが、サロン部屋は初めてだった。むせかえる香水と粉っぽさと布の匂い。狭い部屋なのに不釣り合いな分厚いモスグリーンのカーテンがだらんと垂れ下がっている。
ピンクとフリルが贅沢に使われたクッションや、金に縁どられたアンティーク調の家具。
生来の才能から、僕はここに金の匂いを感じ取った(嫌な子どもである)。
可愛いと綺麗の強制が凄まじいこの部屋で、おばちゃんと僕は二人きりだった。彼女はごく楽しそうに朱色の振袖で僕を飾っていく。
祖母は買い物に出ている妹と母を迎えに行くと言っていたが、一体いつ戻ってくるのだろう。
一向に祖母も母も妹も現れないまま、僕の着付けはみるみるうちに終わった。キラキラの帯が苦しい。喉が渇いた。
「本当に飽き性ちゃんは美人ね。絶対朱色が似合うって思ってた!」
褒められれば嬉しい。僕は素直ににこっと笑っておばちゃんに応えた。
彼女は大仰な黒い箱を持ち出してきて、おもむろにぱかんと開いた。箱の内側は赤いベルベット。こんなに大きなメイクボックスはこれ以降、友人の結婚式があった二十年後まで見ない代物となる。
まさに、地獄だった。
下地にいくつかのファンデーション(あるいはコンシーラー)、それにパウダー。僕は顔に何かを塗る行為がこんなに不快なことなのだと初めて知った。
こんなに不快なのに何重にもいろんなものを塗る。
極めつけはチークだ。これも大嫌いだ。ブラシのせいで鼻が痒くて痒くて仕方がないし、さらに喉の渇きが増したように感じた。
口紅も嫌いだ。口の中に入ってくるのが不快だ。クレヨンの味がする(クレヨン食べたことないのに)。
いつ終わるとも知らない地獄が永遠と続くようだった。
そして鏡を見て驚いた。
僕はばっちり化粧をした自分の姿がちっとも可愛いと思えなかったのだ。
こんなに不快な思いをして長時間我慢したというのにこの出来は何だ。
「素敵ねぇ、本当にセーラームーンかお姫様みたいよ!」
おばちゃんは本気で言っているようだった。
化粧で整えるのは単なる見栄えだけではない
二十年ほど経ったある日、七五三の写真を引っ張りだして見たことがある。
事実、僕は超絶可愛かった。贔屓目で見ずとも、客観的に見て、本当にその道を目指し、それなりになるのではと錯覚するくらい可愛かった。
だが、同時期の普段の写真の僕もめちゃくちゃ可愛かった。
だからおばちゃんの言ったことは事実であるが、事実でないのだ。
何が言いたいかというと、僕にとっての化粧は見栄えという意味ではあまり効果がなかった。残念ながら。
反面、社会人になってから化粧の重要性を肌で感じた。
初めて販売の仕事をした時、ノーメイクで売る時と化粧して売る時だと圧倒的に化粧して売った方が売れる。営業でもそうだった。初回アポからの突破率が明らかに違う。
おそらく化粧には見栄えだけではなく、信頼や信用も含まれているのだ。
これが「女性が化粧するのはマナー」と言われる所以だ。多分男性のひげ剃りと一緒だ。
ひげを剃るか剃らないかで清潔感は何も変わらない(整ってさえいれば)。逆にひげのおかげで男前に見える男性もいるだろう。でも違う。
信頼、信用なのだ。
身なりを見慣れているものに揃えることで「常識がある」と錯覚させる。あるいは各々の信頼している誰かのイメージを借りる。
人は見た目が九割
昔のベストセラーにこんなものがあったように思う(あった)。
この本を読んでいないので題名の真意は定かでないが、僕の狭い知見から見るに「人は見た目で九割ごまかせる」だ。
要は見た目もコミュニケーション言語なのだ。
相手に自分はこういう人間だと伝える、演出する役割がある。
優れたセールスマンや販売員であればあるほど、人の目を意識せず服装や見た目を整えることはない。ハンカチ一つ取っても必ず意味が存在する。
彼ら彼女らは、ハンカチを演出するだけで何か売れるなら、こんなに楽なことはないと思っている。
そういえば僕はメガネにすごくこだわっているのだけれど、それも自分の顔と滑舌や話し方がややキツめの印象を与える(美人系ということだ、よせやい)為、なるべく柔和で無害に見えるものを選びたいからだ。
凡人程度のセールスマンだった僕がこうなのだから、そもそも僕がここに書くまでもない周知の事実なのである。
見栄えだけなら化粧しなくていい説
確かに化粧映えというのは存在する。
であれば、僕みたいに化粧映えがまるでしないタイプの人間も存在するということだ(現在は超絶可愛くはない、実に平均的な容姿をしている)。
そんな、僕と同じタイプで、費用対効果が低いから面倒と感じ、全然化粧が楽しくない(これが重要だ)と思っているのならやめてしまってもいいのではと思う。
もちろん、仕事に支障が出ない程度に。僕はファンデーションを止めたのだけれど、全然気づかれなかった。
最悪眉毛とアイシャドウさえ整っていれば大丈夫。日焼け止めだけでも意外と落ちない。
口紅も要らないだろう、色付きのリップクリームで十分それなりに見える。
今は仕事をやめてしまっているので毎日ノーメイクだ。
出会った頃の夫は僕の容姿がタイプじゃないとしきりに言っていたのだけれど、今になって「お前すげえな」と漏らすようになった(悪い意味でないことは確かだ)。
ところで、すげえなで思い出したのだけれど、「動物にもワセリン使えてすげえ」という記事にしようと思って僕はこの記事を書き始めている。
いつの間にか僕の肌自慢と化粧からの逃げを正当化した記事になってしまった。
いやはや、まったく、参っちゃうねこりゃ。