勇気を出せない時はらいおんを飼うといい『ラチとらいおん』
やあ、僕だよ。
君はお守りを買う派かい?僕は御朱印帳派なんだ。
だから滅多にお守りを持っていることは少ないのだけれど、妊婦はお守り貰いがちだよね。
出産っていうのは本人の努力が及ばない事柄がたくさんあるから、お守りを持つくらいしか出来ることがない。
…そんなの、人生で経験したことねえよぉ。こええよぉ。
今日の一冊は、「よわむし」な僕が選んだ本としてはふさわしい一冊。
「自分だけのお守り」や「勇気の出し方」についても書いていこうと思うよ。
さあ、始めようか。君が楽しんでくれると嬉しいな。
本書あらすじと感想
怖がりの「ラチ」が小さくて赤い「らいおん」と出会い、勇気を獲得する話。
絵本とはいえロングセラーの名著、これを子どもだけのものにするのはいささか勿体ない一冊だろう。
「いぬ」も「くらいへや」も「ともだち」も怖い、「せかいじゅうでいちばんよわむし」の少年には「ひこうし」の夢を叶えることは不可能だ。
何故なら彼はチャレンジをせず、「よわむし」な自分に甘んじているから。
そんな「ラチ」が「いちばんすき」な絵は黄色いライオンの絵。
「よわむし」な少年とは真逆の、堂々とした百獣の王たる風貌である。
ポイントはこの黄色いライオンが現れず、百獣の王としては少々頼りない小さな赤い「らいおん」が彼の前に現れたところだ。
これがこの本を名著たらしめていると僕は思っている。
ラスト、「らいおん」が手紙を残して去ってしまうのだが、こんなの、分かりきった陳腐な展開なのに、どうして、涙が(これ以上は書けない、この情緒不安定さはホルモンのせいだけじゃないはずだ)。
何かを成し遂げたい君は下手な自己啓発本を読み漁るより、この本を読むといい。
何度も何度も読み直して、君だけの「らいおん」を見つければ、おのずと夢は叶うものなのさ。
勇気のコストを最小限にする
僕が母と寝ていた期間は妹と比べると短い。
これは僕が差別されていたわけでなく、自ら一人で寝たいと言い出したのが早かっただけだ。
その時の僕は「一人で寝られるから」の一点張りで、母に子どもの成長を感じさせるような甘言を弄していたわけだが、実際のところ、豆電球が怖かったのである。
豆電球のついた四畳半の部屋が怖くて怖くて仕方なかった(母は豆電球派)。
真っ暗だったら想像しなくて済むことが豆電球の部屋だと事細かに想像出来てしまう。
寝つきの悪い小さな僕はよく深夜に目を覚まし、寝返りを打ちながら自分の想像と戦った。その寝返りに母はまったく動じず、口を開けて寝ている。
そんな母も怖かった。今この瞬間のその姿が、生きていると思えなかったのだ。
人間の死体なんて見たことなかったくせにその想像から逃げられなかった。
だから僕は一人で眠りたかったのだ。
そりゃ真っ暗な部屋も怖い。お化けとか怪物とか出るかもしれない。
けれど、中途半端に暗い部屋で死体と眠るよりはマシだった。
豆電球の部屋は未だにちょっとだけ怖いが、僕は少しの「勇気」で快適な眠りを手に入れた。
なるべくコストを抑えて、目的を達成する。実に合理的な子どもで嫌になるくらいだ。大人の僕よりずっと上手く「勇気」を使いこなしている。
勇気のコストが大きい時
人生、どうにもならない時は来る。
大抵そういう時は「勇気」のコストが大きい時で、自分では分かっていても二の足を踏みに踏みまくって、無理やりコストを払ったり(後からその無理が祟る)、時間が経ってさらに増大したコストに戦意喪失したりする。
コストは労力に置き換えられるだろう。
僕が記事内でしつこいほど主張する「人間は面倒くさがりで楽な方に流される怠惰な生き物」という原則は、悲しいかな、ここでも通用してしまう。
「勇気」を出すのはめちゃくちゃ面倒なのだ。
それが目的(あるいは夢)を達成するための合理的な判断だと分かっていても、労力をかけられない。
「恐怖」に関連する言い訳を並べ立てて動こうとしない。そしていつの間にかそれを忘れる。まるで最初から目的などなかったように。
忘却は心理的ストレスを軽減する役割があるので、最初の夢を忘れてしまうのは多くのフィクションで描かれるほど、悲壮なことではない。
むしろ忘却のおかげで、曖昧な夢がより質の高い目的に変化することもある(これについては次回以降考えの深度を進めよう)。
とはいえ、具体的な目的まで煮詰めた夢を叶えられないことほど悲惨なことはない。
そこまで本気になれたのなら、あとは「勇気」さえ出す。頭の中で考えてることをやっちまえばいいのだ。
「ラチ」が「いぬ」から逃げないと決めたように。
僕が真っ暗な部屋で妥協したように。
結局、「勇気」のコストが小さい時とやることは変わらない。
「勇気」のコストが大きいからといって必要以上に無理したり、放置したりすれば、いずれ必ず後悔する。
心の中に「らいおん」を飼う
要するに「勇気」を出すには精神論、根性論なのだ。
しかし、その精神論や根性論が僕らの「らいおん」となる。
この「らいおん」は何でもいい。
黄色い立派な「ライオン」を持っていそうな人の真似をしてもいいし、今まで支払ってきた「勇気」を数えてもいい。
理論だてて、いかにその「勇気」を支払うのがよいことなのか、自分を納得させるのもいい。
それこそお守りでもいいのだ。困ったときの神頼み。それで「勇気」を支払えるのなら安いものである。
大人になってからの「らいおん」はなかなか育たない。
「勇気」のコストが大きくなりすぎているし、子どもの時より「恐怖」も「怠惰」も巧妙になっているからだ。
小さな赤い「らいおん」を得た人だけが、「らいおん」と別れることが出来る。その時、目的は達成され、夢は夢でなくなり、当たり前の日常となるのだ。
そんな上手くいくなら僕だってそうしてるよ
ここまでずいぶん居丈高に書いてきたが、僕の「らいおん」はずいぶん小さいし、弱弱しい。
大抵僕の「恐怖」と「怠惰」に負ける。「らいおん」というより子猫ちゃんだ。
これが「らいおん」になるかどうかはこれからの人生にかかってる。
目下の目的は「出産を無事終えること」。
僕の子猫ちゃんが少しでも助けになってくれることを願う。
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