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映画『ゴジラ-1.0』(2023)感想〜色んな層の顔を伺いながら綺麗に要求をまとめきった名作〜

明けましておめでとう!今年もよろしく!
元旦から早速いい気分でほろ酔いしながら書いている、ということで親友の黒羽翔さんの誘いで映画『ゴジラ-1.0』(2023)を見てきてやったから早速感想・批評を書いていくぞーーーーー!

だが、その前に一言だけ言わせて欲しい。

映画見てる最中に地震来んなよ!!日本列島の地下層のマグマよ、せめて元旦の気分のいい時に水を差す真似しないでくれ!

いいか、こっちは8ヶ月ぶりに親友と楽しく談笑でき楽しく映画見れていい気分になってる時に変な横槍入れないでくれ、頼むから楽しく過ごさせてくれよ地球の神様!
まあでも地球というのは気まぐれなもんで、「ギンガマン」でもリョウマたちに地球のアースを与えただけではなく、地震で宇宙海賊バルバンを復活させた挙句地球魔獣まで誕生させやがったからな。
そんな前置きは置いといて、今年はどうも吉凶混合の年になりそうだ、辰年は龍の年で良いことと同じくらい悪いこともまた起こる年なので気をつけていきていこうか。
というわけで、評価の方を書いていこう。

評価:A(名作)100点満点中80点

好きか嫌いかで言えば「好きでもないし嫌いでもない」という微妙な感じだが、これは別に本作に限らずそもそも私自身はゴジラシリーズに対する思い入れ自体が薄いのである。
私は一応ゴジラに関しては初代から「シン」まで一通り見てはいるし子供の頃はそれこそビオランテからスペースゴジラあたりは毎年地元の古びた映画館に見に行っていた。
しかしそれは大長編ドラえもんを見に行くようなノリだから、いわゆる本格的な「映画」として見に行ったわけではないし、あの辺りのシリーズは今まともに見れたものではない。
だからゴジラに関しては基本的に「映画」としても「特撮」としても高く評価しているわけではないが、本作はそんな中でも決して悪くはなかった。

サブタイトルに書いた通り、本作は初代が好きな古参ファンから「シン」が好きなZ世代、さらに怪獣映画の原体験がないα世代まで色んな層の要求をうまくまとめた作品になっている。
だから庵野がやったようなオタク丸出しな感じはないのだが、かといって諸手あげてS(傑作)といえるかというとそうでもないから、位置付けとしては『ドラゴンボール超スーパーヒーロー』(2022)に近いかもしれない。
最大公約数としての「ゴジラ」のパブリックイメージを重視しつつ、山崎監督の昭和趣味と特撮パートへの拘りとがまとまっているので、まずは微妙だった点・悪い点を挙げてから良い点を褒めるとしよう。


怪獣映画に無駄な人間ドラマは不要

もうこれは本作に限らず、怪獣映画を見るたびに毎度ながら思うことなので改めて声を大にして言わせていただこう。

怪獣映画に無駄な人間ドラマは要らん!

何せ私は怪獣映画の最高傑作と認めている「ガメラ2」レベルの人間ドラマすら余計だと思うくらいだから、本作の序盤〜中盤で目立っていた人間関係のいざこざは本当に見ていて退屈で欠伸が出る程だった。
親友の翔さんが苦笑していたが、私は自分で思っている以上にそういう「面白い」「つまらない」のセンサーが敏感で態度に出やすいらしく、本当に最初の「海猿」みたいな臭いドラマは何なのか?と問いただしたくなる。
ウルトラマンや仮面ライダーみたいに単独ヒーローかスーパー戦隊シリーズみたいなチームヒーローならまだそのドラマでも見れるが、怪獣映画の見所はとにかくいかにその怪獣が劇中で暴れるかというところなのだ。
うだうだと安っぽい陳腐なドラマを引きずるくらいならもっとゴジラを多めに写してゴジラの暴れっぷりを見せつけんかいと言いたくなる程だったし、あとあんなに大量のエキストラを画面に出す必要はない

救いだったのは主演の神木隆之介と浜辺美波をはじめとして役者が一流の人たちばかりだったことであり、いわゆる平成ゴジラシリーズや「シン・ゴジラ」にすら若干いた大根演技の役者がいなかったことである。
特に個人的に笑えたのが山田裕貴であり、彼は近年メジャー作品での大活躍が目覚ましい売れっ子俳優だが、スーパー戦隊シリーズのファンとしては彼が「僕も作戦に参加したいです!」と抗議するシーンは妙に笑えた。
というのも、皆さんご存知の通り彼には『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011)でゴーカイブルー/ジョー・ギブケン役でヒーローとして大活躍しているという経歴があるからだ。
それを知った上で見ると、このシーンは役を通り越して山田裕貴という役者が「自分はかつてヒーローとして地球を守ったんです!だから俺にも活躍の場を与えてください!」と直談判しているようにも見えたのである。

何なら私は割とマジで「ゴーカイチェンジしてゴジラと戦えよ」なんて思ってしまったから、山田裕貴という役者を今回三枚目として配役させたというのはそういうメタ的な面白みがあったのかもしれない。
あとは安藤サクラと佐々木蔵之介をはじめとするベテランの役者たちが実に良くて、この人たちがいたからこそ本作は安定感があって見られたと思うし、元々特撮上がりじゃないからこそこのクオリティになったのだろう。
山崎監督は「三丁目の夕日」が代表作であることからもわかるように普段はヒューマンドラマ重視で昭和への憧憬が強いからこそこの作風になったのだと理解できるが、元々は特撮専門の監督ではない。
でも、そんな彼だからこそ人間ドラマが「邪魔ではあるが決して嫌いになるほどでもない」という具合に収まり、大きく評価点を損ねることのない点数となったのではないだろうか。

これが特撮上がりだとどうしても時代劇っぽい大上段からかますような芝居になってしまうし、庵野監督みたいにオタク丸出しな香ばしいテイストになってしまうのも問題ではある。
だから、本作の第二次大戦後という設定にしてあのドラマにしたのはまああり得るとは思うし、個人的な趣味嗜好には反するがそこそこリアリティはあったのだろうと納得はできる範囲だ。
これがあと10年若かったらそれこそ容赦なくクソミソに批判していたかもしれないが、今はそこまで大きくこだわっているわけでもないため大きく減点するほどではない。
とはいえ、怪獣映画において人間ドラマパートは退屈なだけなのでいい加減にしていただきたいのは変わらないが。

いつまで一寸法師戦法の擦り倒しをすれば気が済むのか?

本作で私が2つ目に残念だったのは本作におけるゴジラの倒し方であり、いつまで一寸法師戦法を繰り返せば気が済むのかというくらいに巨大な敵の倒し方がワンパターンになっている。
『シン・ウルトラマン』のメフィラスもそうだしテレビシリーズでも例えば『仮面ライダーBLACK RX』のグランザイラスがそうだが、外からの攻撃が効かない敵の倒し方は大きく分けて2つある。
1つは一寸法師戦法(敵の体内に入って弱体化させ内側から倒す)であり、もう1つがセルマックスのように明確な弱点と言える部分を一転集中で攻撃して倒すかのどちらかだ。
本作のゴジラはその中間といったところだが、あんなに猛威を振るったゴジラが敷島の命がけの特攻だけであっさりと倒されたのは意外にあっけなかった。

もちろんそこまでにゴジラを倒す作戦があったのはわかるし、ゴジラを海底に沈めて水圧で潰そうとする作戦は初代のオキシゲンデストロイヤー作戦のオマージュだったのであろう。
天才科学者の発想で倒すというのもそうだし決して無理な作戦ではなかったので納得はできたのだが、当然ながらそれで倒せるわけがなく敷島の特攻に全てがかかっていたのはある。
とはいえ、後述するがあれだけの猛威を振るって3万人も殺したゴジラがあの特攻による破壊だけで簡単に倒せるものかというと、視覚的にも物語的にも衝撃はなかった。
もう少し泥沼の総力戦にもつれ込むものだと思っていたので、もっと凄いのかと思いきや意外にもあれで表向き片付いてしまうとそれまでの悲壮な感じは何だったのかということになる。

個人的には人海戦術で人間たちがゴジラの体内に忍び込んで体内から攻撃して倒すものだと思っていたので、そこの部分がいまいちだったのは肩透かしであった。
これは決して尺の問題ではなく、もし尺の問題でこのような形になったのであれば無駄な人間ドラマを削ってゴジラを倒すことに集中すればよかったのである。
2時間もの尺を贅沢に使って戦争ドラマ風に仕立てたのであれば、もっとその部分に特化した作りにすればよかったのではないか。
最終的なゴジラの倒し方に関してはまだ「シン・ゴジラ」のひたすら電車をぶつけまくる作戦の方が泥臭い感じがあって個人的には好きだった。

本作の一寸法師戦法はその点でロジカルではあるし納得はしやすいのだが、やはり視覚的なカタルシスがどうしても得られにくいという弱点もある。
この辺りで本作は図らずもゴジラという怪獣映画のあり方そのものの限界というか致命的欠陥を図らずも露呈させてしまったのではないだろうか。
もう少しこの辺りをあともう何捻りか加えられればもっとクオリティが上がってS(傑作)にまで昇華されたであろうに。

東京を蹂躙するゴジラの迫力は「シン・ゴジラ」を超えた

さて、ここからは気持ちよく褒めていきたいところだが、本作最大の美点は何と言っても東京銀座を蹂躙しまくるゴジラの暴れぶりであろう。
最初はゴジラのデザインがあまりにも丸っぽくて厳つさが足りなかったので心配していたのだが、東京を蹂躙するシーンのゴジラは最高だった。
実写とCGの融合に関しても「シン・ゴジラ」の頃より遥かにクオリティが上がっていたし、特に引きちぎられた電車に浜辺美波が捕まるあたりのシーンの緊迫感は凄まじい。
そこからゴジラの熱線の風圧で人がなぎ飛ばされていくあたりは今までにないくらいの表現であり、このシーンに本作の全てが凝縮されているといっても過言ではないだろう。

本作は初代やシンとは違い「ゴジラとは何か?」に関する詳しいメカニズムは語られることはなく、精々伝説として恐れられる存在にして再生能力が高いことしか語られていない。
だから、バックボーンがどうしても薄く今一つキャラクターとしてのゴジラの魅力が伝わりにくいというのはあるだろう、本作はそこをどうしても視聴者に任せてしまっている。
とはいえ、それが決定的なマイナスになったのかというとそうではなく、むしろ必要以上に「ゴジラとは何か?」が語られなかったからこそ純然たる「脅威」としての見え方が可能になった
近年はどうしても視聴者がリアリティーを求めるようになったため、ゴジラがどういう存在なのか?という定義の部分から突き詰めていくことが求められるきらいはある。

しかし、それも度が過ぎると単なる「理屈をこねくり回してややこしくしているだけ」になってしまう、ゴジラは純粋にあのでかい図体と凶暴さ故にこそゴジラなのだ。
そこを本作は前面に押し出して、ゴジラをあえて掘り下げずスペックやギミックも従来から逸脱しないものにしたからこそ、純然たる「人類の脅威」としてのゴジラを描けた。
それを第二次大戦の兵士たちのPTSDや心理とうまく結びつけることで「核兵器かそれ以上の脅威」としてゴジラを描けたわけであり、純粋なゴジラの画面の運動に集中できたのである。
もちろん着ぐるみのゴジラの方がより生々しさがあって好みではあるのだが、CGでも遜色ない存在として描かれた本作のゴジラの迫力は間違いなく「シン・ゴジラ」を超えただろう。

「シン」の方のゴジラはゴジラというよりもイデオンやガンバスター、あるいは使徒みたいな感じで、いかにも庵野監督の独自色が濃いゴジラだったのでオリジンとは完全な別物である。
本作はそこをオリジンのゴジラとさほど遜色のないイメージとして描写したことで、後述する敷島たちのヒーロー性も浮き彫りとなり、これが初代とも大きく異なる点である。
本作では初代のゴジラが抱えていた「悲劇の産物」という負のイメージが消えて、純然たる脅威として描かれたのが演出としても脚本としても通底しており、大変素晴らしい。
あの破壊のシーンを見て「やはりゴジラはこうでなくちゃ!」と思えたと同時に、親友の翔さんが私にオススメしてくれたのも納得の出来栄えであった。

決して自己犠牲を肯定しない前向きな敷島たちのヒーロー性

そして本作で意外にも良かったのが決して自己犠牲を良しとしない、かといって公権力にも頼らないという前向きな敷島たちのヒーロー性であり、これがとても良かった。
令和の世になって流石に自己犠牲を肯定して欲しくはないし、かといって「命をかけて戦う」という彼らの覚悟や重みが軽く思えてしまうようなのも良くない。
その難しいところを、それこそ90年代のスーパー戦隊シリーズがくぐり抜けた「自己犠牲の壁」を実はまだゴジラシリーズはクリアしていなかったのである。
そこを本作はうまいこと乗り越えたのであり、月並みではあるが「死ぬため」ではなく「未来を生きるための戦い」と定義したのが個人的にすごくツボに刺さった。

最初の「人間ドラマは無駄」というのと矛盾すると言われることを承知の上で、それでも本作で描かれた人間たちのゴジラへの挑み方・戦い方は好印象である
無駄な軋轢や臭いメロドラマは不要だが、それぞれがそれぞれに決して「役割として」とかではなく「自分の意思で」戦うというのが全体を通して良かったシーンだ。
それがまた序盤で敷島に「お前がゴジラに特攻しろ!」と自己犠牲を強いて責任転嫁しようとした軍人たちとの大きな差にもなっているだろう。
また、それを通して形成されていくチームワークというか絆も決して薄っぺらくはなく、また態とらしくもなく生死を共にするうちに自然に育まれたものでもある。

それから、賛否両論あるだろう浜辺美波がラストで生きていたことが判明するシーンだが、あくまで結末としてはこれで間違いではなかった。
本作における女性陣はこの時代性なのか男性陣よりも精神的にタフな存在として描かれており、安藤サクラにしても非常に強烈なインパクトがある。
それが逆説的にゴジラの脅威に立ち向かう人類の強さ、それも内面的な意味での「強さ」として描かれていたというのは良かったのではないだろうか。
それが作戦にも現れており、全員が犠牲になるのではなく全員が生き延びるための戦いとして描かれていたのがとても良かった。

何と言っても、最後に敷島が自爆特攻で死ぬのではなく脱出装置を作動させて生き延びるという結末にしたのがとてもいい。
あれはあえてラストで伏せていて敷島以外の誰しもが「もしかしたら死ぬのでは?」と思わせておいて、うまくスルリと抜けたウルトラCであろう。
しかも唐突に出たのではなくセリフでも「脱出装置すらなかった」のくだりがあるので決して唐突ではないことも含めてうまくまとまった。

一般向けとしては悪くないが、個人的なツボにはもう1つ刺さり切らず

まとめに入るが、本作は出来そのものはあらゆる層が納得できるように最大公約数を取って綺麗にまとめ切っているであろう。
最初に私が述べた点もそこまで気にならない人は多いだろうし、あくまでも個人的な趣味として述べるならという範囲のことである。
しかし、美点も多数あったものの作品全体としての印象はinteresting(面白い)にはなってもenjoyable(楽しい)にはならなかった
その双方が揃ってもう少し突き抜けた要素があればもっと評価が跳ね上がったと思うだけに勿体無い気はする。

とはいえ、新年一発目に見るには申し分ない出来ではあったので、そこを汲んで評価はA(名作)として打っておこう。

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