スーパー戦隊シリーズ第20作目『激走戦隊カーレンジャー』(1996)
スーパー戦隊シリーズ第20作目『激走戦隊カーレンジャー』は前にもお伝えしたと思いますが、放送当時全くと言っていいほど興味がわかなかった戦隊です。
あの「ジャッカー」以来の失敗作と認定された「オーレンジャー」の後だったというのもありますが、それ以上にその当時は別の子供向け娯楽にハマっていました。
具体的には「爆走兄弟レッツ&ゴー」なのですが、それと同時に「スーパーマリオRPG」「ポケットモンスター」といった次世代ゲーム機ど真ん中だったのです。
また年明けの97年1月には偉大なる名作「ファイナルファンタジーVII」も発売されたこともあり、ますますスーパー戦隊シリーズには興味が湧きませんでした。
そのため、次作「メガレンジャー」共々完全に無視していて、いわゆる旧来の戦隊ファンが抱いていた「こんなふざけたもの作りやがって!」という感想はありません。
そもそも浦沢義雄先生の脚本自体は「忍たま乱太郎」などで日頃から目にしていましたし、それこそ私が大好きな「ジェットマン」なんて本作の比じゃないレベルのことしてますからね。
だから、いわゆる本作に対する差別や偏見自体はなかったのですが、そもそも「オーレンジャー」ですっかり戦隊熱が冷めてしまった私は到底見ようとは思わなかったのです。
それくらいスーパー戦隊シリーズ以外の子供向け娯楽が充実していた時代であり、スーパー戦隊がつまらないならつまらないで他に面白いものはいくらでもありました。
そのため「カーレンジャー」という作品と改めて向き直ったのは実にそれから20年後の2016年くらいなのですが、その時ようやく「面白いぞこれは!」と思ったのです。
何がそんなに面白いのか、賛否両論ありつつも熱狂的なファンがいる理由を自分なりに分析してみましたが、冷静に見ていくとかなりよくできた作品なのですよね。
単なるギャグ・コメディで楽しませるだけではなく、極めて冷静な計算のもとに年間の構成を組み立て、スーパー戦隊シリーズ自体をパロディにする形で解体しています。
前作「オーレンジャー」の反省を踏まえ、本作がどのようにしてスーパー戦隊シリーズを分解し、以後のシリーズへ継承させていったのかを見てみましょう。
(1)予想斜め上のギャグだが、設定や話の骨子は非常に王道的
本作はその設定や描写だけを見ると、どうしても「狂気の浦沢ワールド」という評判とイメージが先行してしまいがちですが、設定や話の骨子は非常に王道的なのです。
まず、敵組織に滅ぼされたダップが地球人の恭介たちと力を合わせて戦うという設定は「デンジマン」「バイオマン」の設定を本作なりに形を変えたものになっています。
恭介たち5人の「車を作りたいという夢はあるが、あまりやる気がないサラリーマン」という設定も「バトルフィーバー」「ダイナマン」で使われていた設定なのです。
更に宇宙からやってきたシグナルマンという宇宙警察の設定やデザインもギャバンやシャリバン、またジャンパーソンなどを本作なりにアレンジしたものとなっています。
それからシュールギャグやコメディに関しても、元々スーパー戦隊シリーズ自体が初代「ゴレンジャー」の時代からぶっ飛んだギャグの多いシリーズだったのです。
そのことを考えていくと、別に浦沢先生を中心に不思議コメディの世界にスーパー戦隊シリーズの世界観を染めたからといってそんなにおかしなことではありません。
きちんとRVロボやVRVロボが出てくるプロセスも丁寧に描かれていますし、「車」で統一された武器やスーツ、技のデザインなども前作よりはるかに洗練されています。
めちゃくちゃやっているように見えて、その実きちんとスーパー戦隊のセオリーを遵守して展開しているのですから、世間に言われるほどの問題作ではないのです。
そのため「異色作」というよりは「(コメディ路線への)原点回帰」と言った方がよく、しかも「カクレンジャー」と違って中途半端にせず徹底してふざけ倒します。
まさに「真面目に不真面目」を絵に描いたような作風であり、最初からそのように設定され筋の通った物語が打ち出されているのであれば、これはこれで素敵です。
少なくとも「忍たま乱太郎」や「ゴルドラン」でシュールギャグの世界観を見ていた私にとっては「カーレンジャー」程度ごく普通にしか思えません。
むしろカメラがしっかりとキャラに寄せられており、個々のメンバーのメイン回も設けてられていますから、最後まで飽きることなく見られます。
ただ、浦沢先生の脚本だけではなく荒川稔久氏や曽田先生の助力も大きいですし、田崎竜太監督をはじめ様々な演出家やキャストたちが作品を盛り上げてくれました。
何より高寺プロデューサーがきちんと細部に至るまで作品の整合性を俯瞰して管理していたからこそ、ここまで高いクオリティーになったのだと言えるでしょう。
(2)戦隊シリーズの音楽を塗り替えた佐橋サウンド
そして本作最大の特徴とも言えるのがスーパー戦隊シリーズの音楽を塗り替えた佐橋俊彦大先生によるセンセーショナルなロック風の音楽です。
これまでのスーパー戦隊シリーズももちろん数々の素敵な作曲家が作品世界を作ってくれていましたが、本作が名作たる所以は何と言っても佐橋サウンドにあります。
佐橋先生は本作の前に「ウルトラマンG」も作曲していますし、本作以後「ウルトラマンガイア」「ギンガマン」「クウガ」などをはじめ多数の名曲を生み出したのです。
その佐橋先生をスーパー戦隊シリーズに招いた高寺Pの人材発掘力も素晴らしく、佐橋先生の存在がなければここまで斬新な印象を与えられなかったでしょう。
主題歌をはじめ、英語バージョンまで出すほどの気合が入ってますし、またVRVマシンではかの伊福部サウンドのパロディも入れるなど怪獣映画ファンのツボも抑えています。
日常シーンの脱力感満載のBGMから戦闘シーンの時のかっこいいBGMまで幅広く手がけていますから、この佐橋サウンドを抜きにして本作の魅力は語れません。
のちに「ギンガマン」で最高級のクオリティをお届けしてくれる佐橋俊彦先生の音楽を本作で堪能できるというのは極めて大きなことなのです。
(3)「社会のルール」を元に対比される三者三様の形
さて、話をヒーローとヴィランに移しますが、本作の正義と悪は非常にシンプルで、「社会のルール」をもとに善悪の境界線がはっきりと分かれています。
ヒーロー側のカーレンジャーとシグナルマンは「社会人」であり、更にそこから「一般人(私)の成り上がりであるカーレンジャー」と「公権力ヒーローのシグナルマン」に分かれるのです。
そしてボーゾックは名前の通り社会のルールなぞ無視して好き放題あちこちの星を花火にして回っている野蛮な集団であり、ゆえに他者に対する想像力が欠如しています。
どうしてもコミカルな印象が目立ってしまうボーゾックですが、よくよく考えるとお遊び感覚で星を滅ぼしているわけですから、凶暴度で言えば歴代屈指です。
そして本作で掲げられている「一般人=私」と「ヒーロー=公」という設定ですが、本作ではこの2つを結びつけるキーワードが実は「夢」となっています。
カーレンジャーの5人は自分たちで夢の自動車を作り、それをクルマジックパワーでレンジャービークルにするという形で擬似的に実現しているのです。
「宇宙の平和を守る」という外的(=公的)動機で戦っていましたが、終盤ではそれが「夢」という形で内的(=私的)動機と一体化を果たします。
主題歌にある「夢見る君が ときめく君が 明日のヒーロー」とはまさに夢を持ち、そのために行動する力があれば誰でもがヒーローとなれることを意味するのです。
更に「夢を追い越した時 僕らは光になるのさ」はまさに終盤の展開で、自分たちの夢すら追い越してクルマジックパワーを己の内側に取り込んだカーレンジャーを意味しています。
最終回のカーレンジャーはクルマジックパワーをフルに引き出せるようになっていましたが、これはまさに「一般人」と「ヒーロー」が一体化を終盤で果たしたおかげなのです。
その意味で本作はギャグでありながらきちんと「カーレンジャーの5人が真のヒーローになるまで」を描いているわけであり、極めて王道的でヒロイックな物語になっています。
更にラストでは「チェンジマン」よろしくラストで敵味方の括りを超えてカーレンジャーとボーゾック、シグナルマンが共同戦線を張る展開へと繋がっていくのです。
だからこそ、終盤の「心はカーレンジャー」が説得力をもって響くのであり、一見浦沢ワールドという形で面白おかしくパロディしているようでいて、その実きちんとヒーローを描いています。
それも極めてシビアでロジカルな「社会のルール」によって峻別しているので、コメディの裏に隠された社会風刺や善と悪の明確な差別化がなされているのです。
その意味で本作はよくありがちな「善悪の相対化」や「敵側を倒すことができない」といった安易なラストにはしていません。
(4)有耶無耶になってしまったボーゾックとの決着
本作を俯瞰して見たときに、どうしても引っかかってしまうのがボーゾックとの決着を有耶無耶に終わらせてしまったことであり、ここはきちんとやって欲しかったところです。
まあ本作の場合、ほかに方法がなかったのかもしれませんし、前年の「ゴルドラン」なども最終的には敵も味方も仲良くなってしまえばいいという落ちでしたからおかしくはありません。
しかし、スーパー戦隊シリーズとして見た場合、きちんとボーゾックの持つ悪の本質と向き合って描いて欲しかったところではありますし、ここで不思議コメディと戦隊の相性の限界も見えました。
「チェンジマン」も「マジレンジャー」も最終的に敵が味方化した例はありましたが、「チェンジマン」の場合はそれに納得いく背景と善化していくまでの積み重ねがあったのです。
また、「マジレンジャー」も幾分唐突ではあるものの、敵側との因縁を解消していくステップは描かれていたため、それ相応のロジカルさみたいなものはありました。
本作の場合は基本的に「ギャグ・コメディ」としてのロジックで最終的にそこを突破してしまうので、それが時々ヒーローものの外してはいけない理屈を食ってしまうことがあります。
それが最後に少し出てしまった形なので、ここをもっと丁寧に描けていたらまた違ったのかもしれませんが、ただそれでも一応物語の流れとしては納得できなくはないです。
というのも、本作のラスボスのエグゾスが知略から肉弾戦までできるので、歴代でも屈指の強度を誇ったラスボスとしてよくできていました。
それに最後の倒し方が腐った芋羊羹というのも、それ自体を見れば単純なギャグに見えますが、実は用意周到にその伏線は序盤から貼られているのです。
そのためラストはボーゾックとの決着がきちんとつかなかったこと以外は実は全部ロジカルに組み立てられており、無駄なく伏線回収が行われています。
ですから文芸的にもアクションとしても高レベルだったのですが、だからこそもう一歩上に行けたのだと思うと惜しいなあと思ってしまうのです。
まあボーゾックが持っていた悪はその後2年後の「ギンガマン」のバルバンが形を変えて継承しているので、本作ではここまでやれただけでもよしとしましょうか。
(5)カーレンジャーの好きな回TOP5
それでは最後にカーレンジャーの好きな回TOP5を選出いたします。非常にアベレージが高い作品なので選ぶのには苦労しましたが、以下の通りです。
第5位…38話「バックオーライ!? イモヨーカン人生」
第4位…12話「宇宙から来た信号野郎」
第3位…44話「不屈のチキチキ激走チェイス!」
第2位…22話「悲劇の交通ルール体質」
第1位…30話「衝撃のデビュー!はたらく車!!」
まず5位は「ダイナマン」38話を改めて本作用にパロディしたと思しき、ピンクレーサーと芋長のおじさんとの交流が意外にも丁寧に描かれています。
4位はシグナルマン初登場回なのですが、まあとにかく宇宙警察をいい感じにパロディした回としてもよくできた初登場でした。
3位は終盤ラストの菜摘メイン回であり、菜摘が修理工になった理由とモンキーレンチの背景が描かれ、さらに最終回の伏線まで張っています。
2位はシグナルマンのキャラを掘り下げた上で、カーレンジャーが単なるギャグ・コメディで茶化しているだけではないという本質まで浮き彫りにした傑作回。
そして堂々の1位はVRVマシン初登場回ですが、すごく盛り上がる2号ロボ登場シークエンスに加えてとんでもないギャグで勢いよく流すという神業が光っていました。
この5本以外にも名編がたくさんあるので、ぜひ機会があれば1話ずつ丁寧に感想を書いてより魅力を掘り下げて語りたいものです。
(6)まとめ
シリーズ20作目という節目の作品である本作がこんなに面白おかしく茶化したパロディ系の作品であるというのは何とも奇妙な運を感じます。
しかし、パロディと言っても単なる表層的なものではなく、ヒーローものの本質を鋭く捉えたブラックジョークなので非常に高度なギャグになっているのです。
その上で最終的には「一般人」と「ヒーロー」を一体化させるという神業を成し遂げ、「ジェットマン」が切り開いた道のその先を切り開いてくれました。
総合評価はA(名作)、もう少し突き抜けて欲しかったのですが、本作でやりきったおかげで次作「メガレンジャー」以降へいい流れができたのです。
ストーリー:A(名作)100点満点中85点
キャラクター:A(名作)100点満点中80点
アクション:A(名作)100点満点中80点
メカニック:A(名作)100点満点中85点
演出:A(名作)100点満点中85点
音楽:A(名作)100点満点中85点
総合評価:A(名作)100点満点中83点
評価基準=SS(殿堂入り)、S(傑作)、A(名作)、B(良作)、C(佳作)、D(凡作)、E(不作)、F(駄作)、X(判定不能)
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