不二周助が立海転校を目指そうと思った背景と信念を考察!不二のモチーフは「神道」の風の神か?
今更ですが「不二は立海に転校する予定だった」という40.5巻の許斐先生の発言について、今回はそこを引っくるめてもう一度不二周助の心理面を考察していきます。
不二周助というと穏やかで嫋(たお)やかな優男の二番手というイメージが旧作ではありましたが、それでも読者にとっては近寄り難い存在でもありました。
何故ならば奥底で何を考えているかもわからず、また一旦激情するととんでもないやり方で報復するという恐ろしい一面を持ち合わせているからです。
そのせいか、ファンの間では何故だか「魔王」「腹黒い」と呼ばれていた時期もあり、二次創作では何故かそのような扱いを受けることもあります。
しかし新テニに入って自分の目標が見つかって覚醒してからはそういう側面もなくなり、のびのびとテニスを楽しむようになってきました。
そんな不二ですが、何故彼を許斐先生は立海まで転校させようと思ったのかについてはファンの憶測を読んでいますが、先生の回答としては「勝ちへの執着」に目覚めさせるためだそうです。
越前との練習試合で本気で勝ちに行くつもりの不二が立海に転校して越前ないし手塚と宿敵として戦うつもりであったと……しかしそうなると今の青学も立海もなかったでしょう。
また、不二も今のような爽やかな感じではなく幸村のような暗黒系テニスに突入していたかもしれず、風の攻撃技「光風」なんて生まれなかったと思います。
そんな不二が立海転校を目指そうと思った背景や信念をいわゆる「連載の都合」「大人の事情」といったメタ視点ではなく、性格や心理面から迫ってみましょう。
不二周助の根底にあるのは神道の持つアニミズム(自然信仰)
個人的な解釈ですが、不二周助という人物の根底にあるのは神道のアニミズム(自然信仰)ではないかと思います。
好きな食べ物が林檎だったり、趣味がサボテンの育成と写真というのも自然が好きだからこそですし、彼のカウンターテニスも自然が大きく影響しているのではないでしょうか。
それを表に出して主張しないだけで、不二自身は芸術的な物の中でも特に「自然」をテーマにしたものが好きだし、得意科目が「古典」で苦手科目が理科系の「化学」というのもわかる気がします。
日本の古典はそれこそ自然信仰に根ざしたものが多いし、逆に化学は自然の摂理を人工的に捻じ曲げて物を変化させているので、自然のままを良しとする不二との相性は悪いのです。
それはテニスのプレイスタイルにも現れていて、カウンターにしても風の攻撃技にしてもその根底にあるのは「風=自然」であり、彼のテニススタイルは自然を武器として戦っています。
だからこそ不二のテニスは手塚や越前のような仏教の禅宗とも、白石や幸村のようなキリスト教由来のものとも、そしてお頭やデュークのような大乗仏教とも違うものとなっているのです。
三種の返し球もその由来は「三種の神器」であると思われ、進化を繰り返しているとはいえ新テニになった今でも世界に通用する武器となっており、一部の技を除けば不二にしか使いこなせません。
そして不二が他の選手のプレイスタイルと比べてもいわゆる「怪我」「故障」と無縁なのも、自然の摂理を上手に利用したテニスになっているからではないでしょうか。
だから「天衣無縫の極み」を光風で押さえ込んでいる描写が何気なくその凄さを表していて、天衣無縫の極みは仏教の禅宗にある無我の境地の更に奥にある「テニスが楽しい」という至高の快楽です。
しかし、あくまでもそれは「心の状態」の具現化であるため物理的なものや自然との関係性とは切り離されており、だからこそ大自然の力である光風の前には太刀打ちできないのでしょう。
不二と越前の二度目の対決を通して示されていたのは実は「神道は仏教よりも上である」というもので、だからこそ越前も自然の技を極めてきた不二のカウンターテニスの前にあれだけ苦しんだと思われます。
まあ越前も幾多もの強者と渡り合った経験値と生まれ持ったテニスセンスでカウンターを全て返していましたが、不二のテニスとはそれだけ独自性の強いものであり誰も真似できないものです。
お頭とデュークが不二を「脅威」だと評し、赤也が「バケモノ」で越前が「テニスがうまい」と評したのも不二にしかそのプレイスタイルが他に類を見ない独自性の強いものだからではないでしょうか。
だからこそ不二のテニスには裏がありそうで意外になく、まただからと言って心の悟りに目覚めることもせずに自分を自然と一体化させることで柔軟に対応しているといえます。
星花火がすり鉢状の会場でしか有効に機能しないというのもその現れですし、白石戦の最後の白鯨や越前との戦いで使った狐火球がアウトになったのもアニミズムの短所です。
自然が常に人類に味方してくれるわけではありませんから、不二のプレイスタイルの弱点は「天候に左右される」ところにあるため不確定要素が大きいことではないでしょうか。
勝ちへの執着に目覚められないのは自然の摂理で動いているから
こう考えると、なぜ不二が勝ちへの執着を長いこと持てなかったのかも理解でき、これは単なる性格やプレイスタイルの問題だけではないのです。
アニミズムという自然由来の価値観で動いている不二にとって、勝ちへの執着という人間的な物欲や価値観はどこか世俗的で汚らしいものに映っていたのかもしれません。
テニスの才能にあふれテニスに愛されながらもテニスを真正面から愛せなかったのは自然の摂理と勝ちへの執着が結びつかないからだったのではないでしょうか。
だからこそ不二はどうやって勝ちへの執着を手にすればいいのかがわからず、テニスそのものに対して「面白い」「楽しい」という快楽を得られなかったのかもしれません。
そして同時にルドルフの観月戦でのみ意図的な報復行為に及んだり、或いは赤也戦の最初に敢えて膝を狙いに行ったのも今見ると理解できます。
不二は単なる弟の裕太や越前への報復といった一時的な感情で怒ったわけではなく、観月や赤也のやっていることが自然の摂理に反したものだからかもしれません。
特に弟の裕太に関しては越前や竜崎先生が示唆したように、骨格も出来上がっていない段階で無茶なショットをわざと打ち続けさせたというのがあったわけです。
それに加えて観月のあの陰険な性格があったからそうしたわけですが、だからこそ不二はあの1回だけ「テニス選手」ではなく「個人」として報復行為に及びました。
以前、テニプリの感想サイトを見回っていたときに不二のことを「天才」というより「天災」と評していたのを見かけたのですが、言い得て妙です。
カウンターショットにしても風の攻撃技にしても全ては自然の摂理で成り立つものなので、それを敵に回すことは天災が降りかかるも同然でしょう。
単純にテニスの才能があるだとか「天才」と呼ばれる人物は越前と手塚をはじめいくらでもいますが、自然の摂理をテニスに利用しているのは不二くらいではないでしょうか。
そしてだからこそ、不二が越前との練習試合をきっかけとして勝ちへの執着を得るために立海へ転校しようとしたのもこう考えると納得できます。
立海は部長の幸村をはじめとして全員が異常なまでの勝ちへの執着を持っており、勝ちへの執着を持たない不二とは正反対のスタンスの学校です。
そんな軍隊みたいな環境で不二がのびのびと楽しくテニスをできるとは思えませんし、幸村・真田・赤也とももしかすると反目していたかもしれません。
特に五感を活かしたテニスをする不二と五感を奪うテニスをする幸村は相容れないプレイスタイル同士であり、場合によっては不二がテニスを嫌いになることも考えられます。
こう考えると、何だかんだ青学で手塚や越前と一緒にすくすくと成長してきたのは不二にとっても立海にとってもよかったのではないでしょうか。
不二が目立ちにくいのは神道がメジャーな宗教ではないから
しかし、不二が「天才」と持て囃されお頭やデュークには「脅威」と評されながらも、なぜ劇中では越前・手塚・白石・幸村のような上位陣に比べて目立ちにくいのでしょうか?
これは不二の根底にあるものが「神道」であると考えると理解できるもので、神道は日本独特の信仰でありながら他の宗教のように経典を持ちません。
「かくあるべし」という具体的な教えがないので、どうしても仏教・キリスト教といった他の宗教に比べてワンランク下に見られてしまいがちです。
また不二自身も天才であるが故に人に利他的な説法をする人物ではないため、余計に他と比べて目立ちにくい影の実力者みたいな感じになっているように思われます。
しかし、そんな不二がこないだの国勢調査では1位を獲得しており、最近でもS2決定戦で越前と互角以上の戦いを繰り広げましたが、これも大きな時代の流れでしょう。
お頭やデュークが「脅威」と評したように、これからは不二のような「自然の摂理」を味方につけられる人が活躍するような時代となるのではないでしょうか。
かつて猛威を振るっていたお頭やデューク、また中学生なら幸村や跡部様、白石のような経典ある宗教をモチーフとした人たちの時代はもう終わりです。
これからは誰かの教えに縋って成長するのではなく、自分で自分なりの道を切り開ける柔軟性というかしなやかなで軽やかな強さを持った人が台頭する気がします。
こないだのドイツ戦が「地の時代の終焉」を意味する戦いだったのならば、決勝のスペイン戦は「風の時代の始まり」を意味する戦いになるのかもしれません。
だからこそ、いかにも強そうなお頭たちではなく越前・徳川・遠山といった「これから」を担う若者たちが戦い世界を獲るのではないかと思われます。
しかしそう考えるとS3の跡部様はどう考えても敗北の予感しかしません、なぜならば跡部様もまた「王様」「皇帝」といった地の時代の権威の象徴だからです。
そんな名のある権威はこれから滅んでいくので、せっかく築き上げた王国や皇帝も諸共崩れ去っていくという薄ら寒い予感がしています。
そんな「風の神」の化身と思しき不二周助、ぜひとも猛威を振るって大活躍を見せ欲しいですね、期待しています。