結婚もしてないのに流産して手術した話
流産。
それは妊娠した人が15%程度の確率で体験するものと聞いていた。
32歳、独身である。
まさか自分が今このタイミングで経験することになるとは想像していなかった。
ぶっちゃけ妊活には苦労する勢だと思っていた。同居している彼とは2年近い付き合いになるが、最初の1年は全く射精することがなかった。今でも性欲は薄く、きっと作業のようなセックスを繰り返し、排卵日を狙ってようやく授かるか否かのイメージをしていた。
そんな私たちが突然直面した、流産の話だ。
私は5年ほど前からピルを服用していた。PMS(月経前症候群)というやつがかなりキツい性質だったので、ホルモンバランスの乱れから感情的になって職場で会議中に泣き出してしまったり、生理痛が重いことに悩んでいた。それで飲み始めたピルが体に合っていたようで、かなりPMSも緩和され、避妊の目的も併せて飲み続けていた。
そして今年の4月、結婚の計画を立てるとともに、ピルの服用を中止した。妊娠を望む場合、ピルの服用を中止してから排卵が元に戻るまで長ければ半年程度かかる、と聞いていた。結婚式を終えたら妊活に入るつもりだった。私も気づけば32歳になっていた。
ピルをやめてすぐの生理はいつも通りきた。しかし次の生理がなかなか来ない。6週間たっても来ない。さすがにルナルナも困っていた。
婦人科に行くと、今回は排卵がなかったことを告げられた。ピルの影響が残っているのか排卵はまだ無いが、待っていればそのうち出血するとのことだった。
その通り、じきに生理がきた。
これは・・・
ピルを飲み始める前の、ガチの生理だ。。。
久しぶりの感覚だった。レバーのような出血に、容赦ない鈍痛。ピルで誤魔化していた生理が本気を取り戻した。
それと共に、おそらく私の体は本来の調子を取り戻したものと思われる。排卵も戻っていたようだ。なぜなら流産したというのはそういうことなのだ。排卵し、受精し、着床したから流産なのだ。
とはいえ既にピルを中止していたため、我々も流石に中に出すという暴挙は控えていた。しかし、着床したらしい。
言葉を選ばずに忠告する。若者よ、外出しは避妊にならない。気をつけろ。
きっとこれが20代前半に起きた出来事であれば、流産リスクも低く、シンプルに妊娠していたのかもしれない。しかし私は32歳、女の本厄である。着床した受精卵は成長することなく、体内では空の胎嚢だけが育っていたということだ。
驚くべきは、空の状態でも胎嚢が成長するということである。そしてなぜかつわりの症状もあった。胸も張っていて痛い。体はまだ妊娠していると勘違いしているようだった。
正直、子供を切望する訳でもなく、結婚して授からなくても2人で仲良くやっていこうと話していた。不妊治療をしてまで授かろうというほどの意志は、私たちにはない。
だからこそ、妊娠9週の稽留流産という結果は衝撃であった。残念、悲しい、という感覚は全くと言っていいほどなく、うまくやれば子供は授かれるのかもしれない、という希望さえ感じた。それでも病院で「流産」と診断されたインパクトがあまりにも衝撃的で、家に帰ってなぜか泣いた。
稽留流産とは、流産した(胎児は生きていない)が、排出されずに体内に留まっている状態らしく、放置した場合もいずれは自然に体外へ出て来るらしい。しかしその際に強い痛みや大量の出血が伴うことや、細菌感染のリスクがあり私は手術を選択した。
手術といってもメスを入れての開腹手術ではなく、麻酔をした状態で膣から器具を入れ、中身を掻き出すような15分程度のものだった。ブラックペアンの見過ぎで一瞬ビビったが、内容を聞いて少し安心した。
流産の診断は慎重だった。念には念を、と別日に他の先生にも経膣エコーで子宮の状態を見てもらい、稽留流産で間違いないことを確認した上で手術の日程を決めた。
それから1週間後に手術の予定を組んだが、それまでに出血があったらすぐに病院に来るように、病院が休みの日は耐えられそうなら耐えて翌日すぐ来い、無理なら救急に行けなどと散々脅され、3連休という不運も手伝い不安な1週間を過ごすことになった。
それらは結果杞憂に終わり、予定通り手術当日を迎えた。
前日22時以降食事禁止、当日も麻酔を打つから9時以降は水もダメ。今までつわりをサポートしてくれていた「かむかむレモン」が食べられなくなることも恐怖だった。飲まず食わずで力なく病院に着いた私は、点滴を打って横になり手術の順番を待った。
「準備ができたので手術室に移動します」
ブラックペアンのようなオペ室を想像していたが、現実は子宮がん検診でお馴染み“あのイス“である。椅子に座ると四肢を固定される。麻酔で力を失うからか、はたまた脳が興奮して無意識に暴れるのを防ぐためか。
そして点滴に麻酔が打ち込まれる。これが静脈麻酔というものか。5回深呼吸すると寝ちゃいますから、と言われ1回で堕ちた。
気づいた時には最初に点滴を打ったベッドの上で横になっていた。生理痛のような鈍い痛みで目が覚めた。目覚めた瞬間はぼうっとしていたが、ゼリーと水を飲んで横になっていると徐々にしっかりしてきた。少し痛むのでロキソニンをもらったが、正直通常時の生理痛の方が痛い。
驚くことに、その日から食欲も戻り、夕飯は鉄火丼を食べぐっすり眠った。翌日は朝からフィレオフィッシュを食べ、昼はCoCo壱、夜は鯛の塩焼きでご飯をお腹いっぱい食べた。つわりの症状も倦怠感も全くなく、体が軽い。
あぁ、これが健康な私の体なのだ、と嬉しくなった。
この1ヶ月、症状が妊娠・流産によるものだとわかってからも、思うように動かない体や何もできない自分にイライラしていた。PMSのように思考はネガティブになり、パートナーである彼のことも嫌いになりかけた。キスをしたいとも思えず、結婚を辞めて実家に帰ろうと思うこともあった。
それだけ女性は子宮に左右される。子宮で考えると表現されることもある程、ホルモンに影響され、翻弄される。こんなことなら妊娠・出産という選択をせずにずっと仲良く穏やかに暮らす選択もアリだと思った。
子供によってつわりの程度も変わるみたいだよ、と教えてくれる人もいる。それでもここまでの不調とホルモンバランスによる感情の乱れを、半年以内にまた受け入れられるだろうか。パートナーと不仲になってしまうのでは。それは本末転倒だと私は思う。
答えはまだ出せていない。
それでも1日、また1日歳をとり、リミットが迫るのが女の人生である。
人生は長いが短い。
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