最後まで希望を捨てちゃいかん、諦めたらそこで試合は終了だよ。(by安西先生)
わたしのnoteの下書きに、沢山の下書きが放置されています。
たぶん、投稿できない『なにか』があるから下書きのままなのだろう。
ただ、単純に途中で面倒くさくなって辞めた。とか、投稿前に読み直したら恥ずかしい内容だった。とか、熟成させてから投稿したい。とかだろう。
でも、書いている途中で違和感を感じて、そのまま下書きのまま残されるか、消去される下書きもあります。
下記の文章は、違和感を感じて消去する寸前の下書きでした。
その違和感は、色々な方のnoteを読んで違和感の正体が見つかりました。 とりあえず、最初に書いた下書きのまま投稿します。
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この2日間で沢山の方と知り合ったり、コメントしたりしました。
そして、沢山の人のnoteを読みました。
特に、ADHD、パニック障害、貧困、その他の病気を抱えている人、精神や肉体に問題を抱えている人の投稿を読みました。
(たまに、面白い方のnoteも観てました。)
■一般社会に適合するため?
精神疾患、病気、その他の問題を持っている人は、『一般社会』とう枠組みという『空間』には溶け込めません。
『普通の人が当たり前にできる事』が当たり前にできません。
みんな『何かしらの実力差』を味わい、自己肯定感が激しく落ちます。
また、学校教育では、あまり『こころ』を伸ばす余裕はなく、『学力』と『世の中の当たり前』だけが基準となります。
■薬を飲まなければならない現実
ほとんどの人は、病院で処方された薬を飲んで学校に行ったり、会社に行ったりしています。
ぱっと見は、普通の人と同じ行動ができています。
でも、それって『薬の力で強制的』に制御しているだけなので、どう考えても反動や副作用が出てきます。
それでも、病気は完治する!と自分を奮い起こして頑張ってました。
そう、諦めすに希望を持っていました。
昔、スラムダンクというバスケットのマンガがありました。
そこで、主人公の監督が言った言葉は、当時は凄く流行りました。
最後まで希望を捨てちゃいかん、諦めたらそこで試合は終了だよ
これって、凄く勇気づけられる言葉だ!
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ここまで書いて、なんだか違和感を感じて書くのをやめた。
■違和感の正体
病気、怪我、障害、貧困でも、軽度のものなら『心を奮い立たせる言葉は役に立ちます。』
しかし、難病、重度の怪我、重い障害、絶望的な貧困では、『希望』、『諦めない』という言葉ほどメチャメチャ辛い言葉はない。
いや、最初は希望を持っていた。そして諦めずに頑張った。
しかし、いくら希望を持っても、諦めないと頑張っても、どうにもならない事が往々にしてあるからです。
そんな時に、こんな言葉を言われたら、希望どころか絶望に落とされます。
最後まで希望を持って!諦めたらそこで病気は治らないよ。
最後まで希望を持って!諦めたらそこで怪我は早く治らないよ。
最後まで希望を持って!諦めたらそこで貧困から脱出できないよ。
アニメやドラマ、映画では、『ありがとう!』ってなりますが、、、
言われた本人にしてみれば、『あなたの言葉で余計に絶望したわ・・・』となります。
■視点を変えてみる
そんな時は、自分の環境を変えてみたり、違う思考の人と話す、または違う思考の人の投稿を読むことがヒントになるかも知れません。
■希望を持って諦めずに戦い抜いた先の答え
『泥臭い努力とトライアンドエラーを繰り返してきた人たち』
お二人の文章から『人となり』を何となく理解できました。
hirobotさんの投稿を1部抜粋します。
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「諦めないこと」が素晴らしいように言われることが多いけど、諦める方が余程難しいと思うんですよ。
よく「オレ、簡単に諦めちゃうんだよね」なんていう人がいるけど、それは「諦めてる」んじゃなくて、単に「努力するのを止めた」だけだったりする。努力するのは止めたけど、心のどこかでは「たなぼたで手に入らないかなぁ」なんて思ってる。それって、諦めてない。
「諦める」っていうのはそんな生半可なことじゃなくてね。
望むものは自分に力ではもう手に入れられないことを認めること。
自分の努力ではできないことを正面から受け止める必要がある。
それはとてもキツい。
自分を客観的に見つめ、分相応を知る。
それが諦めるということの本質。
努力するのをやめただけ、というのとは全く違う。
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普通の人が考えていた『諦める』と、hirobotさんの『諦める』の言葉は同じ言葉ですが意味の重さと深さが違います。
hirobotさんとは、まだ知り合って数日しか経っていませんが、旧知の友ぐらい仲良しさんになっています。(笑)
初めてリンクするので、ちょっとリンクの方法が不安ですが、、、こんな本もあります。(子供が入院中している時に病室で読んでました。)
ここの本では、こんな事が書かれています。
その人の生まれ育った遭遇、その時代の環境などがそうさせているのです。
運命みたいなものです。
努力や希望だけでは、解決できない事を書いています。
ただ、こうも書いてあります。(長いので要約して書きます。)
幸運、不運は循環している。
場合によっては、あなたの生きている間には、いいことがなく、あなたの子どもの代になって繁栄する、なんて場合もあるかもしれません。
要は、幸運と不運は循環しているので、場合によっては自分の番には回ってこないけど、誰にも平等に循環しているみたいです。
あと、ここだけで話は終わらないので、興味があれば購入して読んでみては如何でしょうか?
あっ、いつもの如く、また話が脱線しました。。。
あと、昨日もシェアしましたが、りこぴんさんの投稿にも大きな気づきをもらいました。
この投稿も、モノの見方を変えてみると『苦手を克服しない派』は、『諦め』と同じ意味を持っているのでは?と感じました。
りこぴんさんは、車の運転が苦手なのですが、最初は凄く努力したと思います。 hirobotさんの投稿に書いてある『望むものは自分の力ではもう手に入れられないことを認めること。』をきちんと認めてたのです。
りこぴんさんの投稿でも綴っています。
『多分、私の頭に運転能力はプログラミングされてない。だから、潔く諦めて、運転をしない人生を歩むことに決めている。』と決めたのです。
でも、こうも書いています。
『もちろん、頑張りたいならば話は別で、私はそんな人たちのことを尊敬している。』
このお二人は、希望を持って諦めずに努力した方々です。
そして、潔く諦めたのです。
そして、もっと『自分を生きせる術』を見つけた人たちです。
■スラムダンクの安西先生
話はスラムダンクの安西先生のセリフに戻ります。
若い頃は、あのセリフに感動しました。
でも、中年のおじさんと呼ばれる世代になって、何となく安西先生のセリフの解釈が変わりました。
あの言葉って『本当は自分自身に言っていたのかも!!』
そして、その時の後悔を若い世代の人たちに教えたかったのかも!
過去の安西先生は、才能のある生徒を潰してます。
たぶん、その後悔があったからこそ、同じ轍を踏まないように自分の指導スタイルを変えたのだと思う。
安西先生も、鬼の指導を『潔く諦めた』。
そして、ケンタッキーの置物(カーネスサンダース)の如く『何もしない』スタイルに変えたのだと思う。
だから、同じセリフを言っても『他の奴とは言葉の重みが違う』のだ!!
(シャアの『他のザクとは違うのだよ!』と同じ意味なんだ!!)←訳がわからない。。。
潔く諦めた人の言葉だからこそ、『最後まで希望を捨てちゃいかん、諦めたらそこで試合は終了だよ。』と言えたのだろう。
だからこそ、三井に『その言葉が心に刺さった』のだと思う。
何だか訳が分からなくなったので、ここで投稿は終わります。
最後にひと言。
最後まで希望を捨てちゃいかん、諦めたらそこで試合は終了だよ。
人生は深い。。。