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糖尿病運動記録11/22 写真の進化 芸術
今日の運動記録。
今日は運動しました。
でも必死過ぎて帰って来て写真を撮るのを忘れたと思いました。
だから今日は運動の時、撮った写真じゃありません。
今日、運動に出かける時、もう疲れている。
動きたくない思いでいっぱい。
珍しい事を思いました。
既に疲れているのはわかっているので運動が好きな自分でも踏ん切りがつかなくて、でも出かけようと思い運動して来ました。
疲れてます。
心も体もボロボロです。
それでもタフに生きていると思います。
でも自分でも限界はあるはずです。
休みたいが本音です。
ただ休むには動機が自分は必要なのです。
その動機がないのです。
自分が今、何をやっているのか?
写真を撮影してます。
休むんじゃなかったのかと思われてるかも知れませんがまだやっています。
写真が好きなんだと思いました。
確かにレンズは売りました。
売ったら撮れないです。
でも自分が売ったのはAFのレンズであって、ある意味、写真のスタイルを変更したのです。
このスタイルにしたのは画期的でした。
どうしたのか?
オールドのカメラとレンズを使い始めたのです。
たまたまAFのレンズを売った時、ニコンのフィルムカメラのFGというカメラがありました。
たまたま多重露光用に買ってたカメラで撮影したのです。
自分の今まで狙って来た写真はフィルムでも風景写真です。
既にフィルムで風景を狙う人も珍しと思います。
でもカメラもレンズもAFに対応したカメラでありレンズです。
ただ今回はMF(マニュアルフォーカス)なのです。
AFのフィルムで風景を狙う人も昨今では珍しのにMFでがち風景を狙ってい人はもうあまりいないはずです。
その撮り方をやり始めたのです。
でもフィルム時代のレンズで写真を撮影するは自分の理にかなっていると思いました。
制作過程を全てやるとなる、撮影についてはフォーカスもマニュアルならば自分の写真は撮影することに関しては全ての作業を手作業でやっているのです。
これは面白いと思いました。
フィルムで写真を撮影するだけじゃなくフォーカスも自分でピントを合わすのです。
作り込みたい写真を作れるのです。
これが写真という芸術じゃ、ないのだろうかと思いました。
本当に絵のような写真を撮り始めています。
撮影作業も作り込み、これから始めなくちゃいけないのは引き伸ばし機でプリントを焼く作業です。
プリント技術を覚えればもう超一流の芸術家だと豪語出来るなと思っています。
ここまでやれれば、写真の芸術としての復興は掲げてもいいと思っています。
今は誰にでも写真は撮れる
それはいい事です
写真を記念に残す事は素敵な事です
でもカメラの性能が良すぎて綺麗な写真ばかりなのです。
自分は綺麗な写真に魅力を感じなくなったのです。
同じ用に綺麗な写真を撮影しても写真としての意味はないからです。
自分が撮りたかったのは誰も撮れない写真だったからです。
自分に綺麗で人と同じような写真じゃ俺らしくないと言ってくれた人がいました。
俺の写真を俺らしとも
だからその俺らし写真を自分は追求しようと思いました
だからフィルムにそれを求め、そして撮る事に関してはオールドのカメラで撮影するフィルム時代のフィルムらしい写真の撮影を始めたのです。
はっきり言ってめんどしです
ファインダーが暗くて見えないよ
でもまだ出来そうだ
作っている感は半端ないので面白いかも知れません。
ただ疲れます。
それは限りなくあります。
疲れた。
もう朝しか撮影に行けないので撮影して帰って来て運動して寝るだけです。
でも写真の質は異質だなとは思いました。
これからが本領発揮となるのでしょうが脳神経外科に行けなければなりません。
まだ現状は厳しいままではあります。
でも写真を芸術まで高める作業には入ったなっては思いました。
フィルムで撮るフィルム時代のレンズで撮影するのは温故知新です。
逆に新しいと思います。
逆説の進化と名付けましょう。
また自分の写真は進化するのです。