言葉の呪縛
「臨機応変!その言葉だいっきらい!!」
よく母がそう口にしていた。
先の記事で話した栄養士が、常日頃、職場でそう捲し立てていたらしい。
今となっては、母に原因があったのか、本当にその栄養士が理不尽な人だったのか確かめようがないが、毎日夕方から酒を煽り、くわえタバコで職場の愚痴を怒鳴り散らす母の姿とその聞き役というのは、小学校4.5年生の私にはとても辛い日々だった。
ちょうど同じ頃だと思う。
ふたつ下の弟が、よく近所で物を壊してきたり、人様のものを盗んだり、喧嘩をしたりで、我が家はいわゆる「関わっちゃいけない家」だったのだろう。
しょっちゅう学校から連絡があったり、母もあちこちへ頭を下げに行ったりしていた記憶がある。
そして家に戻ると、弟への説教がはじまるのだ。
門限を破って帰宅した弟が、古い借住宅の窓際に座り、いつもの席でタバコを咥えた母が怒鳴り、長時間に渡り説教をする。
時折、「お姉ちゃんを見てごらん!毎日ちゃんと勉強もしてがんばってるのに!」と、私を肯定して弟を責める。
一見、これは私にとってはプラスなことに見えるかもしれないが大間違いだ。この言葉が私を非常に苦しめた。
なぜなら、弟はこの場合私にとっては「見せしめ」であり、もし私もなにか悪さをすれば弟のように説教をされ、締め出され怒鳴られ、時には髪の毛を掴まれ壁際に追いやって詰め寄られる、という恐怖が待っていることのある種の手本だからだ。
まだ幼い頃、母が弟に「お前のことは今日から無視するからな」と言い放ったとき、「〇〇ちゃんもそうするー!」と、母の味方になりたいだけの気持ちでそう言ったことがある。
すかさず母は「お前はいい!」と、私を睨みつけて怒鳴った。
もちろん当時私の頭の中は「?」でいっぱいだった。
母の口癖は他にもあった。
私と弟が喧嘩をすれば、「ふたりきりのきょうだいなんだから」
「お姉ちゃんなんだから」「男なんだから、女なんだから」「可愛くて可愛くてやっと生んだあなたなんだから」
…
どれもこれも、私にとっては呪縛でしかなかった。
これらの言葉は、今、母である私が絶対に使わないようにしている言葉だ。
同じく二児の母となった今ではやっと、ひとり親で苦労していた母の気持ちが少しはわかる気がするが…
生んだのは親の都合。
たったふたりのきょうだいになったのも偶然のこと。こどもにその責任は一切ない。可愛くて可愛くてやっと生んだ子どもに対して、髪の毛を掴んで怒鳴り散らすようなことは決してできない。
大人がなにげなく発する言葉は、こどもの心には鎖のように絡みついて縛り続けるほどの力があることを知っておいてほしい。