私自身が私の世界を生きていると思っている。 私という個の世界。 その思いはそれで正解なんだと思う。 でも、その私の上には全体としての世界がある。 全てが一つになった世界。 そうなると、 私の世界ってめちゃくちゃ小さい。 とってもとっても小さな世界なんだなぁ。 どんなに苦悩していても、 それはその小さな世界の中で起きていること。 全体を見てしまうと、 胡麻粒くらいの中で起きている苦悩なんだ。 全体になってしまおう。 胡麻粒の苦悩を上から見てみよう。 きっと見つけ
自動で湧き上がってくる思考に巻き込まれてしまう時 私がどうしているかというお話 今回はあえて、いつも使わない「自分」を使います。 思考からの文章になります。 先日、とても大切な人を怒らせてしまいました。 とても近い存在だと、どうしても 思い通りに動いてくれない… というコントロール欲も強まってしまうものです。 それはもう、どうしよう… と、頭の中には思考がいっぱいになっているわけです。 それでも、その頭の中の出てくる思考にも もちろん気づいているんです。 あぁ、飲み込
とにかく気づく。 諦めずに気づく。 ひたすら気づく。 と、思考に気づき続けていると 思考って、すーっと消えていく。 これも訓練なのかもしれないけれど、 気づき続けていたらそれはもう ただ、ただ、目の前で起こることが 映画を観ているような ひたすら俯瞰して 観察しているようになってくる。 思考に気づき続けていると、 あ、これは自分ではないんだな! っていうことがよく分かる。 思考に気づいている方が 本当の自分だから。 思考から離れられるようになると、 身体からも離れた
私は車を運転する時 車と身体が一体化した感覚になる。 運転している私 というよりも 私が道路を走っている感じ。 子供が後ろの席に乗っていたら 子供も私の一部になっている。 そして 気づくと走っている道路までも 一体化してくる。 道路脇に生えている草や木も どんどんと広がっていく。 そうしていくうちに 周りと私が全て一体化して、 全てが一つの意識 ワンネスにつながっていく。 無意識でそうしているんじゃなくて 意識的に感じるようにしている。 日常生活の中では 忘れが
この身体が、 私自身では無いと気づいてから とても、身体が大事なものなんだと思った。 この身体を通して見るもの 聞くもの 香るもの 味わうもの 5感を感じることが出来る それは何が感じているのかというと 「意識」が、感じている。 身体は意識の 乗り物のようなもの。 一生涯、借り続けている乗り物。 乗り物から降りない限り その乗り物を見ることはできない。 見られるのはほんの一部分だけ。 この乗り物は どんな背中をしているのか、 どんな顔をしているのか、 どんなつむじして
ここのところ エゴ(思考)について考えていた。 エゴはいつでも 突然に自然と湧いてくる。 自分がそうしたいと思っていなくても 勝手に湧いてきている。 そして、ネガティヴなことを 私に言い聞かせてくる。 誰だって そんなことを考えたく無いのに。 勝手に考えさせられる。 そこに気づくと あ、エゴが湧いてるな。 考えさせられてるな。 飲み込まれないようにしておこう。 と、なるけれど。 きっとほとんどの人が 勝手に湧いてくるものだ、とか 考えさせられてることに気づかない。
現実は自分が作り出している と、スピリチュアルな話が好きな方は よく聞くフレーズですよね。 それはどういう事なのかというと 自分の思い込みが 現実になっている。 そういう事なのかなぁと。 思い込みは 小さい頃から教えられてきた常識や、 テレビで聞いた事、 ドラマだって影響していると思うんです。 子供の頃から 恋愛ドラマが好きで、 大人になったら、こんな彼氏が欲しいなぁ。 誕生日とかクリスマスにはプレゼントくれて 素敵なレストランに連れて行って 美味しいものをご馳走してく
自分自身を肯定したり否定したり あれこれ自分自身に対する思い込み それって自分を苦しめてしまうんではないかな。 私は人見知りだから 私はお金が無いから 私はあの人よりここが優れている 私はあの人より高い物持ってる そういう自分を決めつけてしまう 思い込み 人との比較は そうじゃなくなってしまった場合 とっても苦しくなってしまうんじゃないかと思う。 もちろん、 その思い込みは思考が作り出したものだから そういった 自分自身を縛り付けるような 思い込みはもう必要ないよね。
何度も言いますが 思考は頭の中に湧いてくる雲のようなもので それは本当の自分自身の考えでもなんでも無いんです。 どうして思考は 苦しみを与えたりしてくるんでしょう。 辛い感情に振り回させるんでしょうか。 どうして本当の私は その思考で隠れてしまっているんだろう。 なかなか姿を見せてくれないのはなぜ? 今はそれが私にとって とても不思議なことなので考えていました。 本当の私が言うには 姿を隠したい訳ではない。 ただ、あなたが思考の雲をモクモクと湧き上がらせて隠してしまっ
年明け、今年はどんな年になるかなぁ と、考えていた時に ふと、願望が出てきた。 気づきを体感してからというもの あまり望みも無くなっていたので、 少しだけ驚いたのと、 あまり考えたことも無く、 叶うはずない!と思い込んで 心の奥底にしまい込んでいたような願望だった。 へぇー! こんなこと叶えたいと思っているんだぁ。 ふいに出てきたその願望は 多分、エゴ目線からの願望では無さそうだ。 てことは、ほんとの自分が叶えたいと思っていること?? ちょっとここでは何とは言えないの
タイトルの思いというのは 思考の無い状態でいつづけたい ということ。 気づきがあって 私の本当の姿を知って 思考は自分自身では無いと 分かったのだけれども 思考はまだまだ 湧いて出てくる。 そこに気づくのは早くなったけれども 湧いてくる思考は やっぱり不安な気持ちにさせてくる。 それはできれば無くしたい。 その為にはどうしたらいいのか 考えてみた。 そして、最近思いついてやっていることは 私の行動を常に実況中継してみること。 思考していると気づいた時には 体の動きに
身体はいつも何かを感じている。 皮膚があって その皮膚の内側と外側という感覚は皆あると思う。そして、その皮膚から外は自分では無いと 普通は思っている。 ただ、本当の私の姿が光の様だと気づいたら その身体は他のものと何も違いの無いものの様に思えてくる。 目から見える景色の中に映る テーブルや椅子、座っているソファや テーブルの上にあるパソコンやペンと何も違いが無い。 身体もただ見える景色の一部みたい。 見えている景色に映り込んだ 自分の手や足。 その様に見えてくると 確かに
今まで散々スピリチュアルな世界で聞いてきたこの 無条件の愛、無償の愛について なかなか理解ができない… あなたの本当の姿は無条件の愛なんですよ。 なんて言われても訳わからない。 でも、それを理解しないといけない。 と、思い込んでいて、 子供を叱ってしまった時、 仕事が上手くいかずイライラしてしまった時、 人に嫌な気持ちにさせられて憎しみが湧いた時、 あぁー、また無条件の愛の存在からかけ離れてしまったなぁ〜。 こんなんじゃダメだ。 と、自己否定に繋がってしまっていました。
気づきが起きたのは YouTubeで非二元についてお話しされている ミラクルキャットさんのセッションを受けている最中でした。 ずっと続いている自己探求をもう終わりにしたい。 気づきたい。 とお伝えして、あるワークをやっていただいてる時に あ!!!これなのかぁー!! みたいになりました。笑 2つのワークを行ったのですが、 ひとつ目は子供の頃のワンシーンを思い出すこと。 私は小学生の時に、友達とボール遊びをしていて その友達にボールを投げている というワンシーンが思い浮かび
本当の私に気づくことができたのは たった1週間前のことでした。 探究が始まったのは5年くらい前だったかな。 日々生きるのが苦しくて苦しくて その苦しみから逃れたくてYouTubeで 「願望実現」やら「引き寄せの法則」など スピリチュアルな世界に魅了され そこから今までずーっと探し求めていました。 願望実現も引き寄せも うまくいかないことがほとんどで 気づいたらお金も無いし・・・ 離婚して旦那さんもいなくなるし・・・ 当時中学生だった長男は不登校になるし・・・ 子供二人連れ