「恋は、健康にいいのよ」 (カフェ「ドゥ-ムーラン」の女主人のセリフ) 映画 「アメリ」より
「チャンスとは、ツール・ド・フランスのようなものだ。待ち時間は長いが、あっという間に終わる」 (隣家の老人が、アメリへのセリフ) 映画「アメリ」より
「愛のない女は、太陽のない花と同じ」 (売店の女主人のセリフ) 映画「アメリ」より
「笑え」 (近づいてくる巨大サメに向かって、ロイ・シャイダーのセリフ) 映画 「ジョーズ」より
「私、お金、嫌いなの」(フランソワーズ-サガン) 映画「サガン」より
「確実なことは、二つしかない。死と、税金だ」 映画「ウォール街」より
1位 「アメリ」(2001年 ジャン-ピエール-ジュネ監督) 20代の頃は、「天井桟敷の人々」や「シェルブールの雨傘」が名作だと信じていたが、今は「アメリ」が一番。 身近な世界が舞台で、発見があり、楽しくて、繰り返し観れる。 アメリは、なんて魅力的で、現代的で、お茶目で、恥ずかしがりやな女の子だろう。 他人とのコミュニケーションを求めているが、不器用で、内向的で、思いがなかなか相手に伝わらない。つい「わかるわかる」と言いたくなる。つまり、どこにでもいる、普通の女の子だ
2位 「気狂いピエロ」(1965年 ジャン=リュックゴダール監督 ジャン=ポール・ベルモンド) 色彩がきれいだ。青い空、フェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)の赤いシャツ、黄色のダイナマイト、フェルディナントの顔に塗られた青いペンキ、黄色い爆発の炎、倒れた男の赤い血。 色彩が主役で、ストーリーや引用が脇役のように見える。 ラスト、自分の身体にダイナマイトを巻くシーンも現実的ではないが、ランボーの有名な詩とセットで、詩的な「面白味」を醸している。 軽薄な女マリ
3位 「地下室のメロディー」(1963年 アンリ-ヴェルヌイユ監督 ジャン・ギャバン アラン・ドロン) 派手なドンパチこそないが、シャルル(ジャン・ギャバン)とその年取った妻、フランスの義兄、フランス(アラン・ドロン)の母親など、登場人物たちの生活や立場がよく描かれている。 「老い」と「若さ」、「熟練」と「未熟」、「安泰」と「野望」のコントラストが面白い。 すべての流れがラストの「間抜けな」シーンに集約している。 素晴らしい結末だ。派手な音楽も記憶に残る。
1位 「スカーフェイス」(1983年 ブライアン・デ・パルマ監督 アル・パチーノ) トニーモンタナ(アル・パチーノ)は、「仁義なき戦い」(1973年 深作欣二監督 菅原文太)の松方弘樹を思い出させる。 ただ松方弘樹と違うのは、トニーモンタナには、義理も人情も親分も、「そんなの関係ない」。己れの欲のために突き進んで行く。壊れた暴走機関車のようなものだ。 観ていて、ハラハラする。「やり過ぎじゃね」って感じ。 銃撃だけではない。拷問や殺戮シーンも満載。一級のバイオレンス巨編
2位 「ワイルドバンチ」(1969年 サム-ペキンパー監督 ウィリアム・ホールデン) 前半は、単発銃での撃ち合いだが、有名なラストシーンは、機関銃(ガトリング銃)が主役だ。 1913年のメキシコ。単発銃から、大量に人を殺傷するマシンガンの時代が到来した。 列車は、馬や保安官を運び、馬の代わりに、自動車が昔風のならず者の前に登場する。時代は、大きく変わりつつある。 一見すると、初老のパイク(ウィリアム・ホールデン)は、敵に機関銃を撃ちまくってはいるが、僕には、暴走する
3位 「イコライザー」(2014年 デンゼル・ワシントン主演) 「おまえは、だれなんだ?」(デディ) いろんな役をこなすデンゼル・ワシントンだが、これは怖かった。「トレーニングデイ」(2001年)でも不気味な刑事アロンソを演じていたが。 正義のため、善良な市民を守るためには、平然と加害者を抹殺する。そのやり方が静かで、残酷だ。 底知れない恐ろしさをたたえた男マッコール。 いつもは町のホームセンターで働く、真面目で、物静かな店員だが、やる時はやる。 「静かなバイオレ
1位 「ジーグフリート」(1924年 フリッツラング監督) 子供のころ、近所に、洋画、邦画、名画座の映画館が4、5軒あって、映画は身近な存在だった。そんな中観たのが「ジーグフリート」でした。。 男が小さな滝の水を浴びていて、落ちて来た木の葉が男の踵にへばり付くシーンだけ記憶していた。 正確には、ジーグフリートは、ゲルマン神話の英雄で、竜を倒し、その血を全身に浴びることにより、不死身になったが、木の葉が肩にくっつき、血が当たらなかった。それが彼の弱点となった。 後に、
2位 「戦艦ポチョムキン」(1925年 エイゼンシュタイン監督) パルマの「アンタッチャブル」(1987年 ケビン・コスナー ショーン・コネリー)に登場する有名な乳母車のシーンの元となる映画を観たかった。 オデッサ(ウクライナの都市)の階段で、母親の手を離れた乳母車が落ちてゆく場面。思ったより広く長い階段で、さほど感動はしなかった。 多くの監督が、このシーンをオマージュしている。なにが想像力をかきたてるのか。 史実には、「オデッサの虐殺」はなかったそうだ。 スープ
3位 「メトロポリス」(1927年 フリッツラング監督) 僕が観た洋画で、3番目に公開日が古いのが、本編だ。1927年は、昭和2年だ。1984年にリニューアル公開された。(1929年 東京有楽町邦楽座で封切り) 摩天楼がそびえ、「マリア」というロボットが出てきたり、それくらいの記憶しか残ってない。 「マリア」を見ていると、江戸時代の花魁や古代、天の岩戸の前で踊るアメノウズメや、ジュリアナ東京を思い出した。 映画の舞台は、2026年。もうすぐだ。「ブレードランナー」(
1位 「クラッシュ」(1996年 クローネンバーグ監督 ホリー・ハンター) 自動車の衝突、事故によって性的エクスタシーを感じる人々。100%ビョーキの世界だ。真偽は別として、そういうマニアの存在には、驚いた。目からウロコだ。 事故から生じる性的エクスタシーのためには、自らの身体がどうなってもいい。死すら気にならないという人々とそのサークル。ちょっとついていけないド変態ワールドだ。 ヒロインの人妻デボラ(キャサリン-バラード)が、適役だ。捨て身の演技が素晴らしい。あの恍