「黙示の時代に救いはあるか」 詩・本多裕樹
「黙示の時代に救いはあるか」
愛することができなくて苦しむか
どうしても、愛せない
何の感情があるか。
不快な思いと女心
では、愛さなくていいのでは
そうでもなくて善意から
いじめと意地悪、気づかず
心知らず、どちらも利用しあい
女王のような尊厳
そんなものは奴婢のように
自らを貶める
そうして、女は落ちていく
正しい恋愛
幸福な恋愛のためには
女性も訓練がいる
マナーとモラル
人たらすためには礼儀も必要
そんなことも知らずして生きる女あり
女子をそのまま表現しても
一人でいていいはずない
どこかで社会を学び
生き方を学ばなくてならない
野生のままではいけないのか
世界の雰囲気がお前をダメにしたのか
それでも愛されたい
恋に溺れたい
甘えたい
愛し合いたい
それはわがままかしら
女王様のようになれないかしら
せめて、大切にされたい
それは本当にわがままなの
女子が愛されないのは
社会現象であろうか
男が男であることを放棄したのか
それとも精神が老いたのか
男女の正しい交流は昔々にはあったもの
しかし、愛が冷めた時代
黙示の時代はやってきて
冷ややかになったのだろう
夢は消え、
家庭は築かず
自分のことしか考えない
みんな自己中で愛をわすれたのだろうか
男も愛さなくなった
女も愛が冷めた
みんな自己中になり
個人主義が文明を機械的に発展させる
恋愛するにも寿命がある
男女の野生性は若き日の盛りにある
繁殖をし、子孫を残そうと必死だ
そうして種を求め旅に出る
いつまでもヒッピーでいられない
いつまでもフリー◯◯◯をしていられない
ナンパは流行らず
社会は疲労している。そして、最後を迎えるのか
我々は古い生活を過ぎ行き
新しい生活に入る
それは人類の生活の文明の発展の先だろうか
それでも愛をわすれてはならない
男がいくら愛してもそれは叶わない
それを受ける女もいないし、
時代は違うから
いつまでも昭和の世界ではないのだ
私たちは愛をわすれた時代に生きている
愛は失われたのか
だったら、私は少なくとも愛することに努力するしかない
努力が要るのだ。愛するためには
時代は変わる
時代も変わればあらゆるものも変わる
愛の形も変わって行くのか
私たちは愛をどう表現するか。それは努力でしかない
3000年
私たちは進化していない
もっと、4000年前から
進化していない
しかし、文明は発達し
思想も発達し
あらゆる精神の可能性も発見された
戦争もしなくなれば進歩もする
地球を汚し
地球をダメにするも
私たち人類の罪か
許されるものでない
小さな罪が大きくなり
発展し、文明は進歩した
そして、それを刈り取るように
私たちは反省しなくてはならなくなった
私たちが失った
愛を蘇らせ
小さな光を大きな光にして
大地を平和にもたらさなければ
私たちの文明も滅ぶ
愛が冷めた今
愛が求められる時代だ
ただ、愛だけが救いか
だが、誰が愛を知ろう
何も学ばなくても
あなたの心にある光の玉
そこにすべての知恵がある
それが愛であること
愛が知恵であること
愛を表現すること
それで文明は進歩し救いになるだろう
令和6年8月4日 本多裕樹
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