介助という仕事 まだ続いていた・・・
夢を見ました。
僕が20代の頃介助していた
筋ジスの武藤さん(仮名)の夢です。
僕は20代の頃
介助の仕事をしていました。
武藤さん(当時35歳)を6人くらいで
24時間の介助していていました。
僕はそのうち一人です。
「こんな夜更けにバナナかよ」って
映画に出てくるような仕事です。
介護と介助は
仕事内容が全然違います。
介助は主体は武藤さんです。
武藤さんの思うようにトイレに行き
ご飯を食べ、遊んだり
生活をしていきます。
基本的に言われたこと以外しない。
こちらの良かれは必要ありません。
武藤さんは筋ジスで電動車椅子の生活でした。
体が動く場所は顔と手首は持ち上がらないけど
指は動く程度でした。
アパートに一人暮らしをしていました。
僕がすることはトイレや、買い物
掃除、ご飯を食ベるのに手を持つなど
夜は隣に寝て寝返りを手伝う。
基本的な生活の介助していました。
僕も仕事に慣れ始めた頃に
武藤さんの筋肉も衰えてほぼベットの生活
になり、そして数年後には気管切開の手術を
しました。
筋ジスは20歳まで生きればいいと言う
ものらしく、武藤さんは当時は40歳を超えて
いました。
武藤さんは頑固で言葉もきつく、入ってきた
介助者もすぐに辞めてしまってました。
その中で僕がいた時代は安定して
そのタイミングで気管切開をしたようです。
僕も何度も理不尽なことを言われ
もう辞めてやると何度も思いましたが
続いてました。
気管切開をし武藤さんの生活も安定したとこで
僕は彼女もでき結婚を考えるようになり、
将来性を考えてやめることにしました。
そして仕事を辞めても、今まで毎年一回は武藤さんの
家で働いている夢を見てました。
それから十何年も経った今年、
春先に武藤が亡くなったという連絡があり
武藤さんの家に行き、顔を見て最後のお別れをしました。
僕の中で一つの区切りがつきました。
もう夢も見ることがないだろうと
思っていた今日、
武藤さんの夢を見ました。
今まで、ベットで寝ている武藤さんか
車椅子に乗っている武藤さんの夢しか
見ませんでしたが、
今日の夢は、武藤さんが楽しそうに
家の中を歩いて、僕に話しかけていました。
僕も違和感なく話していました。
天国で武藤さんもやっと歩けるように
なったことを知らせてくれたのかなと
不思議で嬉しい夢でした。
誰にもこんな夢面白くないだろうけど
どうしても心にしまっておけなくて
すいませんnoteで書いてしまいました。
介助という仕事も
僕の中で社会の見方を大きく変えさせてくれた
仕事だったので
また機会があれば・・・