ふくのり@元不登校

中学1年生で不登校に。一年半引きこもり、フリースクールに通い、通信制高校を卒業する。現…

ふくのり@元不登校

中学1年生で不登校に。一年半引きこもり、フリースクールに通い、通信制高校を卒業する。現在は二児の父。 僕の不登校の気持ちをYouTubeで→https://www.youtube.com/@user-fukunori

マガジン

  • ホームスクーリング中の息子のこと

    息子のホームスクーリングを通して過去の自分を見つめ合い、思うことなど書いています。

  • 家族こと 両親への気持ち

    家族についてや、親への気持ちなどをまとめています。

  • 学校フリースクールを卒業してからの話

    学校やフリースクールを卒業してから、アルバイトして一人暮らしを始める。就職して結婚をする。不登校をしても、学校に行っている他の人と変わらない平凡な生活です。 学校に行ってないことで困ったことや困らないことなどをまとめています。

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不登校だった頃、母親に家にいて欲しかったか?

母に家にいて欲しかった。 でも2.3時間だけ外に出て欲しかった。 (わがままですね) 不登校だった頃 母親は 家にいてくれてた。 それまでパートをしていたと思うけど 母親が家にいると安心する。 不安で押しつぶされそうになった時、 家に母親の気配があると安心する。 いざとなったら なんとかしてくれる。 そう思えていた。 少しずつ家の生活に慣れた頃は 一日中、人の気配を感じるのは疲れた。 急に部屋に入ってきて 嫌なことを話しかけられるかもって (そんな事ないんだけど)

    • 僕の人生は大きく変わる。〜不登校だった話〜

      不登校になった僕は フリースクールと通信制高校を卒業した。 19歳の春だった。 フリースクールの友達は 大検をとって大学に行ったり 専門学校、定時制高校、就職したり 年齢が上がるとともにフリースクールに 来なくなっていた。 僕が卒業する頃は同年代の子は 数人しか残っていなかった。 卒業すると どこにも属していない自分に 不安を感じる。 世の中から忘れられてしまうのではないか。 自分は何者なんだって。 早く動き出さなきゃ、学校に行けなくなって 家

      • 僕の苦しみは僕のもの 〜不登校だった僕の話〜

        不登校だった頃 僕の事で母が頑張ったり 傷ついたりする事が辛かった 僕のことだから 僕だけ傷付けばいいのに... そんな時、母が ご機嫌でいてくれると安心する。 母は「大丈夫なんとかなるって」 笑顔でいてくれたから、安心できた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 母を苦しめていると感じてたことは 僕の中で不登校中に辛かったことの上位に入る。 不登校になった頃は まだ祖父母(母方)が近くに住んでいた。 だから、母は辛いながらも 何かあれば

        • 与えてくれた人ではなく 聞いてくれた人〜不登校だった僕の話〜

          僕は不登校だった。 その時にたくさんの大人に会った。 今でも心に残っている大人は 与えてくれた人ではなく 聞いてくれた人。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 僕はHSP。 本心を話すのが苦手だ。 だから、本心は話さずに隠している事が多い。 心が苦しくて いっぱいになる。 そんな時、僕は信頼が置けるなって人に 会話の中に本心を少~しだけ 隠して投げてみる。 そして、どんな反応をするかを 見てみる。 気づいて重大なこととして 大袈裟に反応されると

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          15本

        記事

          夏休みの終わりに〜僕は中学をほとんど通わず通信制高校を選んだ〜

          夏休みの終わりに もう学校は、高校から通おう!! 高校になれば、 毎日通わなくても良い所もあるし、 単位だけを取れば良いとこもあるし、 夜だけ行けば良いとこもあるし 学校を通わず高卒認定もある。 友達もいなくても 好きな事があればいい。 僕は中学ほとんど通わず卒業した。 学校になんとか通ったのは一年生の1学期だけ。 中学2年生には始業式の1回 中学3年生は校長室に卒業証書をもらいに 行った。 そんな僕は、高校に通信制高校を選んだ。 定時制高校や 単位だけ取ればいい単

          夏休みの終わりに〜僕は中学をほとんど通わず通信制高校を選んだ〜

          もう学校は、高校から通おう!!夏休みの終わりに〜不登校だった僕の話〜

          先送り 夏休みの終わりに もう学校は、高校から通おう!! 高校になれば、 毎日通わなくても良い所もあるし、 単位だけを取れば良いとこもあるし、 夜だけ行けば良いとこもあるし 学校を通わず高卒認定もある。 友達もいなくても 好きな事があればいい。 僕は夏の終わり、不登校だった頃 「学校に行かなくても大丈夫」って 言葉は胸に響かなかった。 僕は「行きたい」と言うより 「行かなきゃ行けない」 自分自身がそう思って生きてきた。 これを変えることは出来なかった。

          もう学校は、高校から通おう!!夏休みの終わりに〜不登校だった僕の話〜

          不登校だった僕の夏休み

          僕は不登校だった。 中学一年生に1学期に学校に行けなくなった。 毎日学校に行こう、でも行けない 学校にみんな行っているのに僕だけ行けない なんで行けないの? 何度も頭の中で同じ思考が往復を繰り返している。 何もしてないはずなのに もうくたくただった。 そういえば、この間読んだ本で TVのディレクターが取材で富士の樹海を一人で キャンプをして、何もしてないのに 夜の怖さで数日で4キロも痩せたと書いてあった。 それだけ精神疲労は体を蝕んでいる。 僕も疲労

          不登校だった僕の夏休み

          不登校だった僕の世界が広がった時

          世界は広い 不登校になった頃 世界は広いなんて思いもしなかった。 もちろん知識では知っている。 TVでも「世界の車窓」なんて見て いいなぁって思っていた。 そんな僕の世界が広がっていったのは 学校に行かなくても大丈夫って 思ってる大人にたくさん出会えた時。 学校にたくさんの子が行っていないんだ って知った時 そして学校に行っていなくてもアルバイトを 出来るのを知った時。 安心した、生きていける 僕だけじゃない 僕は僕で良かったんだと フリースクールに通い 不

          不登校だった僕の世界が広がった時

          母の育て方は・・・ 〜不登校だった僕の話し〜

          母の育て方は・・・・ 母の育て方が良かったから 不登校になれたんだよ 僕は体が無理だって言っているのに 一生懸命学校に行っていた。 苦しくて、苦しくてどうしようもなくて 他の人の目なんかより自分を守りたいと 思えて、「学校に行けない。」 「行きたくない」って言えた。 そう言えたのはお母さんのおかげ 言えずにいなくなる子もいるんだよ。 僕の一番大切なものを壊す前に 学校に行けなくなれたんだよ。 伝えられたんだよ 母の育て方が良かったから・・ 僕を大

          母の育て方は・・・ 〜不登校だった僕の話し〜

          フリースクールへ続けて行けない〜安定する場所を失う恐怖〜

          安定する場所を失う恐怖 学校に行き渋る頃 僕は不安定なとこに立っていた。 学校、家、その他の場所 学校に行くことが辛くなった時 全てのバランスが狂い出し、 不安定になった。 少しでも選択を間違うと奈落に 落ちて這い上がれなくなるような。 今まで大切にした友達、生活、信頼が 崩れていきそう。 そんな感覚。 そして学校に行かなくなり 、 ますます、家でも気持ちがぐらぐら 歪み不安定さは増していった。 母もいろんなとこで話を聞いて 学んで気持ちが落ち着いてきた

          フリースクールへ続けて行けない〜安定する場所を失う恐怖〜

          枠(コミュニティ)の中にいない恐怖〜不登校だった僕の話〜

          不登校の子は「学校に戻りたがっている」 という言葉に違和感が僕の中にあるんだ。 あの頃、確かに学校に戻りたいって 何度も思ったし本心だったと思う。 なんでだろう?って大人になり考えた時 枠(コミュニティ)の中にいない恐怖が そう言わせたんだって思った。 とてつもない苦しみ、悲しみ、怖さがあった そんな場所に、枠の中に戻りたいはずはない。 社会の「ふつう」と言う枠に囚われていたんだ。 僕はめちゃくちゃ真面目で 人に嫌われないように 型からはみ出すのが大嫌いだった。

          枠(コミュニティ)の中にいない恐怖〜不登校だった僕の話〜

          僕は書くのが苦手〜不登校だった僕の話〜

          きっかけ 僕は不登校になる前から 書くことが苦手だった。 小学3年生まではそれほどでは なかったと思う。 きっかけは漢字のテスト 同じ漢字を何度何度もやり直させられた。 どこが間違っているかわからないし もうやりたくないのにやり直させられた。 悔しいし悲しかったのを覚えている。 僕は横棒の数が上手く数えられない。 「実」「藤」「事」 3本だったり2本だったりましてや4本。 まだ、ちゃんと解ってない漢字があるのに どんどん覚える漢字が増えていく。 もう漢字はこれ

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          ワクワクする気持ち〜家で学んでいる息子〜

          うちには家で学んでいる HSP傾向の小学4年生の息子がいる。 僕が不登校になって色々感じた 事を踏まえて息子と過ごしている。 だいたい大人の良かれは 余計なお世話って 上手くいかないことが多いが・・・ かくいう僕も、図書館で興味ありそうな本を 借りて置いたり。 部屋の隅にドリルを置いたりして 失敗している。 その中で稀にうまくいくことがある。 今、上手く行っているのが 欲しいものを写真して手帳に貼ることだ。 僕のいらなくなった手帳に息子たちにあげた。 息子は

          ワクワクする気持ち〜家で学んでいる息子〜

          不登校になった頃のはなし5

          朝になると苦しい 今の学校に楽しむ余裕はなく 僕は苦しむためだけの 場所になっていた。 そんな場所に向かわないと行けない。 恐怖で思考が止まり 心が動かなくなる 涙が出てくる 見かねた母が「学校休む?」 と声をかけてくれる。 僕の頭に「行かなきゃ、行かなきゃ」 思いがこだまする。 学校に行かないことの恐怖。 僕は「行く」と答える。 教室に入ると 緊張で体にはずっと力が入っている。 常に周りに神経を張り巡らせて 人の目や自分の体のことが気になっている。 休まる場

          不登校になった頃のはなし5

          フリースクールは一つじゃない〜不登校だった僕の話〜

          フリースクールは一つじゃない 僕が不登校になって いろんなフリースクール(フリースペース)に 見学に行った。 僕の時代、フリースクールは そんなに多くなかったけど いろんなタイプのフリースクールがあった。 いろんなフリースクールがあるからこそ その時の自分に合った場所を見つけるのは 難しかった。 元気がない時にたくさんの子どもがいる場所は しんどいし 元気が出ている時に静かな場所は、物足りず なにも前進めてないような 気がして家にいる方がマシなように思えた。 その

          フリースクールは一つじゃない〜不登校だった僕の話〜

          眠ったフリをする〜不登校だった僕の話〜

          フリをする 不登校を周りが 納得する理由が見つからない。 僕が不登校になったきっかけは 心因的頻尿だ。 でも、その後ろにたくさんの物が隠れている。 でもその理由が自分でもわからない。 わからないから説明ができない。 初めのうちは良いのだけど 家は安心できるから 症状は弱くて出て 本当に苦しい部分。 目に見えるとこに出てこない。 見えない部分を見えるようにと 僕はフリをする。 フリをして自分を信じ込ませようと 朝、眠っているフリをする お腹が痛い

          眠ったフリをする〜不登校だった僕の話〜