自然哲学の攻略をどうするか/11月3日から始まった週が終了/本は図書館に返却、購入で対応
一週間の総括
11月3日文化の日から始まった今週は、週の前半は、少しは思索活動的なことができていたものの、後半から全く余裕がなくなって仕事優先とならざるを得ませんでした。仕事の時間帯とか、仕事をするときの体調(眠い時間帯)のコントロールとか、改善すべき点は昔から多々あるのですが・・・。職場から最寄り駅の間に「富士そば」というお蕎麦屋さんがあり、仕事の帰りによらせてもらいました。
参考までに、カレー(500円。早く食べないと電車間に合わないかと思ったので)と、かけ蕎麦(420円ですが、大盛りにしました。大盛りは+150円)です。
ところで、グラント『シェリング以降の自然哲学』はどうなったかというと、早くも遭難の危機ですね。要するに、カントの哲学が確立された19世紀初頭の哲学的環境を理解した上で、次にシェリングがどう考えたかを理解し、それについてグラントが自然哲学を復活させようとしたと考えないと、結局、思想的に遭難する恐れがあります。
ハーマン→ポストカント
グラントは、2007年4月27日にロンドン大学ゴールドスミス校で行われた思弁的実在論(Speculative Realism : SR)のワークショップに参加しました。参加した4人とは、レイ・ブラシエ、イアン・ハミルトン・グラント、グレアム・ハーマン、および、カンタン・メイヤスーであり、一人1時間アルファベット順に発表されたということです。このワークショップについてハーマンにより『思弁的実在論入門』という本にまとめられています。ハーマンは、グラントについて、
(a)ゴールドスミスのワークショップで彼が言おうとしていたこと
(b)『シェリング以降の自然哲学』について
(c)グラントの観念論について
まとめています。なお、シェリングの観念論は、いわゆる唯物論に対する一般的な観念論ではなく独自の観念論であると述べられています。
ハーマンは、1790年〜 1800年をポスト・カント期と位置づけ、ポスト・カント期の哲学における標準的な説明として、当時はカントにより「現象界」と「叡智界」の橋渡しが不可能なギャップであると宣言されている状態であって、人間には、時空間の純粋直感及び人間悟性の12のカテゴリの外では直接的に何かを知覚することはできず、哲学は有限的人間認知に現れるかぎりでの物を議論することしかできいとされていました。
そして、物自体の役目はどんどん軽んじられていくことになり、我々の話題にしうることは、思考の向こうのどこかにあるものではなくて、思考で満たされているという考え方を受け入れることだ、というドイツ観念論の世界が形成されていき、このような哲学的環境の中でシェリングが活躍していた模様なのです。この後、このような環境で、フィヒテ、ヘーゲルなどの哲学者が続きます。そして、その中でシェリングはどう考えているかと解説されています。
グラント→ポストカント
同様に、グラントも『シェリング以降の自然哲学』で、カント以後の状況について最初に触れます。カント以降、形而上学は、認識論と自然学に分離された模様です。グラントは、コペルニクス的転回と呼んでいますが、これは、「現象界」と「叡智界」の分離のことではないか、と今は考えておきます。カントは、「自然」とは、人間の感官の対象であり<もの>の総体であり、自然は<もの>に還元できると考えていました。
この様な状況下、自然は有機的自然と無機的自然とに分かれていて別物と考えられていたようです。両者には大きな違いがあって、有機的自然は、有機的自己組織化が特徴で、これは自己組織化する自然の概念、非線形性、複雑性に注目していることになります。カントは、『判断力批判』第2部「目的論的判断力の批判」の中で、”有機的原因性、あるいは自然目的論にかかわることができるのは反省的意識だけである”と述べていますが、このような目的論的判断は客観的根拠がなく、いわば生気論への道が開かれていました。生気論は、生命は物質に還元できない=意識は物質を捉えられない、という考えのようです。一方、無機的自然は、物理主義的、物体的な自然というものだったようです。
ここで、有機的自然と無機的自然とが別物ではなく、分け隔てていた境界線を取り払うと両者の区別がなくなり、結果的に、無機的自然の物理主義が有機的自然に及ぶようになるし、有機的自然の超越論的かつ観念論的な有機体主義が無機的自然に及ぶこととなります。
今後の進め方
上記は、メモ的に書いたものですが、思想的遭難を防止するために、読む順序を変えることにしたいと思います。ハーマン『思弁的実在論入門』のグラントのことが記載されている章→グラント『シェリング以後の自然哲学』の順に理解していこうかと思います。ちなみに、前者は手元にありますが、グラントの本は図書館の本です。図書館の本は借りている期間が短いし、メモしたりもできないので、この本は結局購入することにしました。
この本はアマゾンで6600円でした。朝に注文したらその日の午後に届いたので、アマゾン恐るべしなのですが。久しぶりに高いと思う本を買ったのですが、そもそも、6600円が高いのか安いのか。
これは、富士そばのカレー13.2食分、かけそば(大盛りでないと)15.7食分に相当します。ちなみに、そばを注文して食べ終わるまで、仮に15分かかるとすると、13.2食分を食べるのに2.6時間程度の時間を消費することになります。ちなみに、購入した本は、420ページあるので、1ページ2分で読むと14時間かかることになります(絶対こんな早くは読めませんが)。
単位時間あたりいくらお金が必要か(かかった費用/時間)という計算をすると、
かけそば 1食420円で15分(0.25時間)とすると、1680円/時間
本 1冊6600円で14時間かかるとすると、 470円/時間
ということになります。もちろん、100時間かけて読んだら66円/時間です。この数字は、消費する側からすると、本はかなりお得だということになりますね。もしかすると、ビジネスをする方から見ると、ひょっとすると、本を作るよりそば屋の方が儲かる、なんていうことになるんでしょうか。
ちなみに、たとえば、2時間の映画を1800円で見ると900円/時間、ディズニーランドの入場料10900円を支払って12時間(9:00-21:00)滞在したとすると908円/時間、新幹線で東京から大阪まで13870円/2.5時間で、5548円/時間、受験料15000円の資格試験の勉強を100時間した場合、150円/時間。