短編小説『珈琲と夏』
高2の夏
今年もセミが鳴き始めた。
いつもなら別の高校に通う親友と待ち合わせてバスで帰宅するが、高校が違うと毎日そうは行かなかった。
そんな時、親友は私に「先に帰って」とメッセージをくれた。
ホームルームを終え、同じ高校に通う友人達に別れを告げて教室を出ると、少し広間のようになっている廊下で部活支度をする野球部の背中が見える。
上裸になった野球部は腕と身体とでしっかりとオセロになっていた。
不思議と少し羨ましかった。(後から振り返ると、勉強意外に毎日取り組める・取り組まなければいけない事があると言うのはそれだけで素晴らしいことだった。)
いつも通りの景色だ。
私の所属した写真部は通称"幽霊部"と呼ばれていて、入部2年目にして先生を交え部活動らしい事をした回数は片手で数えられる程度だった。
絶対に部活動に入らなければいけないこの高校の写真部には、そう言う理由もあって金髪の子や腰パンを格好いいと信じているの生徒も多く所属していた。
活動があまりに少ないので生徒同士が誘い合って部活をする日がある程だった。
今日も部活はない。
玄関で靴を履き替え外へ出ると一気に蝉の声に包まれた。夕方にも関わらずジリジリと照り続ける太陽に逆らってバス停へ向かう。
帰宅するだけと言っても、親友がいない日はやはり心細く、一人ではコンビニに入る気にもなれないので、そのままバス停へと向かった。
たまに吹く風が街路樹のまだ新しい緑を揺らしている。
すれ違った柴犬もお尻をふりふりとさせながら楽しそうにその下を歩いていった。
私の学校から一番近いバス停は、バス券なども売っている営業所と呼ばれる場所で、冬も夏もそこへ着いてしまえばガラス張りの待合室で快適に待ち時間を過ごすことが出来た。
着くと、バスの待合室には先客がいた。
人と静かな空間にいると何かと気を遣ってしまうので、外で待とうかと思ったけれど、そう考えている内に、中にいる先客が同じ高校に通う縞田(しまだ)さんと分かった。彼は中学からの同級生だけれど、特別仲がいいわけではない。
でも、何度か話したことがあり、明るく気さくな人と認識していた。
縞田さんと目があってしまったため待合室へ入った。
▼「暑かったよね、お疲れ」
後ろから2列目に座っていた縞田さんが言った。
○ ○ ○ ○
○ ○ ▼ ○
○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○
*
----出入口----
「おつかれ〜、」
動揺がバレないよう少しだけ微笑んでみせた。
私(*)のために、わざわざ椅子に乗せていた荷物をずらしてくれた所を見てしまっては、隣に座るのを断る事も出来なかった。
*「ありがとう」
以前にどんな口を聞いていたか忘れてしまっていたが、変に気を使わせてはいけないと思い、私もタメ口で話す事を決めた。
○ ○ ○ ○
○ ○ ▼ *
○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○
▼「暑くなって来たね」
*「ね、本当」
▼「蝉も鳴きはじめた」
縞田(▼)さんの手にはブックカバーのかけられた本があり、何となく意外だった。
彼の手が少し大きいためか、手にあるのが文庫本だと気がつくまでには少し時間がかかった。
左手の人差し指がさっきまで読んでいたであろうページに挟まれている。
▼「バスまで時間ある?」
*「ある」
▼「お、アイス食べない?」
*「…!食べる」
▼「よし」
親友がいないからと我慢したものの、実はアイスが食べたかった。
なので救いのような一言に感じた。
縞田さんは栞にしていた指をすんなりと本から外しパタンと閉じてしまった。
スッと立ち上がると縞田さんの背がかなり伸びていた事に驚いた。同じ高校に通って2年目なのに全く気が付かなかった。
中学生の時は寧ろ小柄なくらいの印象だったが、セーラームーンのように足が長くなっている。まさに竹だ。
アイスを食べるため2人でコンビニへ向かう事になった。外はさっきより少し暑くなっていた。
縞田さんとこんなに話したのは、中学校からの5年を合わせても過去一だったのでとても不思議な感じだった。
私はふと今日の昼に見た新商品のアイスの情報を思い出した。
*「そう言えば、新しい桃のアイスが出たらしいよ」
▼「そうなの!いいね〜、それ食べよっか」
なんと言うか、彼の気の使わせなさは私の愛想の無さと足して半分に割っても十分な程だった。
コンビニまでは200mほどなので日陰と日向を何度か繰り返す内、あっという間に着いた。
コンビニの自動ドアが開くとスーッと冷気が流れ出て、足元から全身をゆっくりと冷やした。
真っ直ぐアイスコーナーへ向かうと、そこにはやはり沢山のアイスが陳列されている。
でもよく見ると、目当ての新商品"桃のアイス"は悲劇にも最後の一つだった。
私はこう言う時凄く困ってしまう。
もし縞田さんがさっきの話のせいで桃のアイスを楽しみにしてくれていたら.....と思うと、どちらかがそれを食べられない状況はとても申し訳ない。
私がそんな風に考える内に縞田さんは
▼「おっ最後の一個!あって良かった〜!」
と言った。
思った言葉がそのまま口から出ていると言う感じだ。
*「でも一個しかない」
▼「大丈夫俺は〜、これにする!
夏奈子(ななこ)さん桃のにする?」
*「…えっ、いいの?」
▼「もちろん」
縞田さんは満面の笑みでそう言うと、当たり前のようにアイス2つを手に取り、素早く会計を済ませた。
(彼氏と言うのはこんな感じなんだろうか。).
"夏奈子さん"
私は絶対に夏が付かないタイプの人間なのに、今はこの名前であることが嬉しかった。
コンビニの手前にベンチがあった。
丁度日陰だったので、そこでアイスを食べることにした。さっきよりも外は暑い気がした。
*「ごめん出してもらっちゃって、」
お金を返そうとすると、縞田さんは
▼「食べよっ、溶けないうちに」
と言って私にアイスを渡した。
そして、フルーツバーっぽいカラフルなアイスを袋から出し、彼は美味しそうに頬張りはじめた。
氷系のアイスのシャリシャリ音は、一層夏を呼び寄せる気がした。
蝉の声がつられて大きくなったように感じる。
美味しそうに食べる姿に安心して、私もアイスの袋を開けた。
風が吹き、フワッと桃の香りが広がった。
▼「いい匂い、」
縞田さんはそう言った後、一瞬だけ何か驚いたような焦っているような表情をみせたが、なぜかは分からなかった。
このアイスは、母が昔よく作ってくれた桃のコンポートの匂いに似ていた。コトコトと煮詰めている時の優しく包んでくれるようなあの匂いにそっくりだった。
しばらくはこのアイスを買ってしまうだろうな、と思った。
縞田さんはいつの間にか全部食べ終わっていて、私の顔を見ながら「美味しいね」と言ってほほ笑んだ。
私はそう言う顔でアイスを食べていたらしく、
恥ずかしくなり耳が熱くなった。
縞田さんは「ゆっくり食べな」と私に声をかけると、暑い日向に出て行ってグンと背筋を伸ばし空を見た。定規で引いたように真っ直ぐ綺麗に伸びる飛行機雲が上を通り過ぎて行く。
とても美味しかった。
食べ終えると身体の熱はいい具合に冷めていた。
後ろ姿を見ていると、彼が野球部だと言うことを思い出した。そう言えば部活はどうしたのだろう。
*「部活は…?」
▼「今日は、僕だけ特別に休み」
縞田さんはそう言うと、振り返ってニコッと笑った。
今日聞いた声の中で一番大人しい声だった。
それを否定するかのような、明るい表情を見たら何となくこれ以上は聞けないと思った。
そう言えば最近部活の準備をする縞田さんの姿を見ていない様な気がした。
帰りの200m、
縞田さんは相変わらず、私でもついていける様な優しい内容で話をしてくれていた。根から優しいのだろうと思った。
けれど帰り道は行きよりも少し長く感じた。
私も何か話しかけなければいけないと思ったが、頭に浮かんだのは、縞田さんがはじめに手にしていたカバーのかけられた本の事くらいで、今その事に触れるのが良い悪いか判断できなかった。
*「本読むんだね」
気づいた時にはつい口に出していた。
▼「うん、
ちょっと身体壊してから時間できて、
読むようになった」
*「そうなんだ、、」
▼「今はね、凄いの読んでるっ」
*「おぉ、どんなの?」
▼「表紙が凄いからカバーかけてる、
見ない方が良いかも
おじいちゃんが「読みなさい」って
自分が持ってた本をくれた」
怖いもの見たさの様なものがあった。
*「見せて」
▼「分かった、今度見せるね」
*「うん」
それからまた違う話をして、それぞれバスの時間になり帰宅した。
この日が本当の立夏であったと思う。
縞田さんは結局、2年の秋に入院する事になり学校へは来なくなった。人伝に聞いた所によると病気により手術する必要との事だった。
優しく明るい笑顔で笑うのでそれ程までに悪いとは思いもしなかった。
どうすることも出来ないが、どうしてか居ても立っても居られなくなった。電車に飛び乗って2時間かけ、勢いで"がんセンター"まで来てしまった。
病室の前に来てやっと実感が湧いて来て、
私はどうしてここにいるんだろう、と思った。
そもそもなんの病気なのだろう。
治るんだろうか。
この状況でいくらか立ち尽くしていた。
▼「夏奈子さん!」
縞田さんの声がした。
----------------
僕の病室の前に夏奈子さんの姿が見えた。
本当だろうか?
ここ最近はずっと寝ているので、
これは夢かも知れない、と思った。
何だかふわふわしている。
実のところ後悔していた。
あの後も何度か話す機会があったが
最後まで入院する事は話せなかった。
入院してから
伝えておけば良かったと後悔した。
あの日のバス停でのことは正直
はっきりと覚えていない。
ただただとても緊張していた。
夏奈子さんに駆け寄りたかったが、
ここは病院なので我慢した。
点滴のせいで力もうまく入れられない。
自分の進むスピードに待ちきれず
「夏奈子さん!!!!!!!!!」と、
遠くから声をかけてしまった。
彼女は振り返り目をまんまるくした。
僕に会いにきたのでは無いのかも知れない、
と思ったが、
偶然にでも会えた事が嬉しかった。
あと僕は夏奈子さんに謝らなければいけない。
約束した本の表紙をまだ見せていなかった。
本当に見せていいんだろうか、とも思う、。
▼「ごめん、本、約束してたのに」
*「それより身体は、、」
彼女はどうやら
僕の病気の事を知ってきてくれた様だった。
▼「大丈夫だよ、会いにきてくれたの?」
彼女はこくりと頷いた。
心配そうな顔が少しだけ緩みホッとした。
彼女の手も借りながらゆっくりと病室へ戻った。
こんなことを言うのは不謹慎かもしれないが、
彼女の必死と言うか一生懸命な顔は
とても可愛かった。
病室の窓を開けるとスーっといい風が入った。
ベット脇にパイプ椅子を出して僕はそこに座った。
パイプ椅子は硬いので夏奈子さんには
ベットに腰掛けもらいたかった。
頑なに座ろうとしなかった姿勢と
申し訳なさそうな顔は
今でも鮮明に思い出すことができて
少し笑ってしまう。
夏奈子さんは近くにある
有名なケーキ屋さんに寄って来てくれたそうで、
とても可愛い花とプリンが机の上に置かれた。
花はそのまま置いて飾れる様になっていて、
オレンジや黄色、水色やきみどり、
とても素敵な色だった。
3つあったプリンは2人で食べた。
彼女は自分はいいと断ったが、
一緒に食べたかった。
君はとても美味しそうに食べるから
その顔を見れてとても嬉しかった。
僕にとって今これ以上の幸せはないと思った。
一つ食べたらもう一つ食べたくなり、夕食後に食べようと冷蔵庫に入れたものも出して食べてしまった。
帰り際、彼女はまた来てもいいかと僕に聞いた。
もちろん、と答えると
彼女はにこっと笑って病室を出た。
綺麗な髪が風になびいた。
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縞田くんは3年の春に退院し夏から学校へ来た。
初の甲子園進出で沸いている真っ最中だった。
放射線治療や投薬、長期の入院でがっちりとしていた身体は痩せ細っていた。
けれど彼の太陽の様な明るさは健在で、初日には沢山の友人達が彼に駆け寄り、その事を嬉しそうに報告しては抱き合っていた。
私は病院で話した時間の方が長くなっていたので、久しぶりに学校で会うと、なんだか話すのが下手になったような気がした。
▼「やっと渡せる」
彼から渡されたのは見た目の割にずっしりと重い紙袋だった。
退院後に準備してくれたらしいそれは、私が以前お見舞いの時に一度だけ食べたいと話した枇杷(びわ)と杏子(あんず)のゼリーだった。春、病院の売店に数量限定で並ぶゼリー。
それぞれ、枇杷と杏子がゴロゴロと入っていて袋から出すと差し込む光に反射してオレンジや黄色にキラキラと輝いた。
また袋の底には見覚えのあるブックカバーのかけられた本が入っていた。
彼は
▼「例の、」
と言った。
*「例のね」
と私が笑うと、
▼「お願いだから引かないでよね」
といって苦笑いをした。
*「多分」
と冗談の返事をした。
カバーを外すと彼が心配していた訳を納得した。
知っている人も多いはずだ。
それは米倉斉加年作の本だった。
女性の裸体が日本画で美しくも露骨に描かれている。
私の想像の斜め上を行ったので驚いたけれど、これは完全に美術館のダビデ像だった。
▼「表紙はこんなだけど、内容は違くて、、」
少し心配そうにそう口にしている顔は決して忘れられない。
実は私も上巻は読んでいた。彼の持っていたのは下巻で、こっちはまだ読めていない。
知れを知ると彼の不安そうな表情が一気に晴れた。
なんだかジャーキーを見た犬みたいだ。
▼「…良かったら読む?」
*「いいの!」
それから何年経っただろう。
▼「奈子(なこ)懐かしいの出てきた(笑」
*「なに〜?」
▼「ほら(笑、信じられない、
あれから9年だよ」
*「ドグラ・マグラ〜笑」
▼「ドグラ・マグラ・ヨムカ…」
*「イイネ!コーヒーイレテクル」
あれから9年が経った。
僕たちが結婚して4年になる。
また数年後にも
今日と同じことを思い出して、
こんな風に笑いたい。
穏やに、健やかに。
桃のアイスでも食べながら。
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