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「自分は〇〇をしている時にだけ価値がある」という罠に気づけた人から幸福になれる理由

超高齢化社会の日本では、老後に関する記事がたくさん書かれている。

「肩書にこだわり不幸になった男性」の記事をよく見かける。

会社で重役だったことが自分のアイデンティティだったある男性。彼は、リタイアした後に名刺を配る機会があったらしい。なんと彼が渡した名刺には「元〇〇」という会社勤務時代の肩書が書かれていたという。現在の自分ではなく「元〇〇」と過去にすがらなければ自我を保てない状態だったのだろう。

以前、職業に自分を乗っ取られる危険性について下記の記事で警鐘を鳴らした▼

職業に自分を乗っ取られる人ほど「〇〇している自分には価値がある」と考えている。こういう人ほど、その仕事から退いたときに「仕事をしていない状態の自分には、どんな意味があるんだ?」とアイデンティティがグラつきやすい。

例えば、プロ野球選手がセカンドキャリアに悩みやすいのは「野球をしていない自分」に価値を感じられないからだろう。

人生に没頭は必要だ。しかし猛烈に打ち込み続けた行為ができなくなった途端、ぽかんと心に穴が空いたような感覚になる。

亡くなった伊良部秀輝氏は「人生のチャプター2がある人がうらやましい」と度々、口にしていたそうだ。

やはり理想は、あなたがあなたであることを認め充足することである。

人生を豊かにするうえで、行動や行為は重要である。

ただしそのベースには「私」という存在がある。

あなたが何をしようが、そこにいるだけで十分、価値があるのだ。

過度な完璧主義に陥らず、ありのままあなたを受け入れる。そしてダメな自分も含めて、愛おしく感じることが大事となる。

「〇〇していて人から賞賛されている自分が大好き」という他人軸に傾きやすい考えは危険である。

「自分にはポンコツなところもあるが、それも含めて愛おしい」と思えたあなたは、自分に満足し充足した日々を送れるだろう。

お祭りのような派手な暮らしは、確かに楽しい。

ただし淡々とした日常を送る中に身を置いても、自然体の自分を好きでいられる人ほど、幸せへの距離が近いのかもしれない。

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