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ことり|小川洋子

高校一年生の頃、夕方に家を出て散歩をするのが好きだった。その帰り道に毛も生えていない死んだ小鳥と遭遇した。手のひらで潰せそうなくらい、小さな体だった。蟻が集っていたから多分死んでいた。毛がないから内臓が丸見えで、怖くなってその場から逃げた。葬ってあげなかったことを時々後悔する。『ことり』の主人公である小父さんだったら、その鳥にも寄り添うことが出来ただろう。

物語は小鳥の小父さんが孤独死したところから始まる。孤独死、と聞くととても寂しく悲しく辛いものに聞こえる。その側面がなかったとは言わない。現に小父さんの死体は腐敗が始まっていたし、誰かに看取ってもらうこともなかった。しかし、どうしても小父さんの人生が寂しかったものだとは言い切りたくない。

小父さんはお兄さんのために、小鳥たちのために生きた。小父さんの生き方はとても楽しそうには見えない。ゲストハウスの管理人として暗い地下室で仕事をし、家に帰ればポーポー語(鳥の言葉)を話すお兄さんと静かな暮らし。お兄さんが死んでからは幼稚園の鳥小屋の掃除をボランティアで毎日続ける。旅行はしないし、贅沢もしない。傍目から見たら小父さんはずっと誰かのために働いている。でも、小父さんは誰かのためにという意識はない。それが私にはとてももどかしかった。

もっと褒められて良いはずなのだ。小父さんの生き方はこじんまりとしすぎている!そう思っていたけれど、最後の場面で考えは変わった。
鳴き合わせの会で物のように扱われる小鳥たちを見て我慢ならなくなり、出会う鳥籠一つ一つの鍵を開けていく姿は大胆そのもので、小父さんの生き方を貫き通した場面だった。そのとき私には小父さんがとてもかっこよく映った。

美しく歌うメジロを抱えながら死んでいった小父さんの人生は寂しいものではない。むしろ幸せな人生だったのではないか。お兄さんの意志を引き継ぐように小鳥に夢中になった小父さんだが、本当の意味で小鳥もお兄さんのことも愛していたのだろう。

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