『イッツ・オンリー・トーク』 絲山秋子
イッツ・オンリー・トーク
絲山秋子/文藝春秋
不要不急がどうとか言っていた頃、生きるのに直接関わらないもの全てが「無駄」だと言われた気がした。その期間で気づいたことがある。私は「なくても生きていけるけれど、あったら嬉しい」みたいなものに生かされていたということ。友人との会話、ちょっと豪華なお菓子、新刊の本、そんな不要不急のものたち。
「It's only talk」は、直訳だと「それはただの話です」となる。つまり普通の話、ムダ話ということだ。『イッツ・オンリー・トーク』は、そんな無駄で構成されている。
主人公の元に様々な男性が現れる。この男性たち、みんな愛せる可愛さがある。
・元ヒモのいとこ
・EDの同級生議員
・鬱病ヤクザ
・痴漢(紳士的な)
こう羅列すると、まとまりのない、共通点もない変な並びだ。どの人にも長所と短所がある。この男性たちがムダ話のアクセントとなっている。
ムダ、ムダと書いてきたが、本当のムダ話なら誰も読まない。絲山秋子の凄いところは、「なんでもないこと」へのアンテナが高いところだと思う。小説家とは、言葉にならないもの・ことを言葉で尽くす人たちのことなんだろうと思っているが、絲山秋子の作風はまさにそんな感じ。
久しぶりに再会した同級生との会話、初恋の思い出、祭りで釣った金魚の名前……どれも日常の、生活の、些細なひとときである。そんな一瞬がどうも煌めいて見える。それでも最後には「イッツ・オンリー・トーク、全てはムダ話さ」と言い切るのは爽快だ。
この「全てはムダ話」というのは、何に掛かっているのだろう。もちろん作品に出てくるエピソードなんだろうけれど、私たちの人生のことも言ってくれているのではないか?そう、人生なんてムダ話。そんな風に思えると、たとえ失敗したとしても前を向いて生きていけそうだ。途端に「イッツ・オンリー・トーク」が魔法の言葉のように思えてきた。
「蒲田」という舞台も良かった。作中では「夢で歩いたことがあるかのようにしっくり」きただとか、「猥雑で小汚い」「『粋』がない下町」と言われていて、この登場人物たちにはぴったりな場所だ。別作品『袋小路の男』でも、舞台と内容の相性の良さに感激した。絲山さんは場所を決めてから中身を書き始めるタイプなのかもしれない。
(余談)
この作品が芥川賞の候補になった第129回の受賞作は『ハリガネムシ』(吉村萬壱)だったんですね。あの作品はかなり暴力的な内容で、怯んだことを覚えています。今ならもう少し文学的視点で読めるかもしれません。
そして映画化もされていたみたいですね。イッツ〜ではなく「やわらかい生活」という名前で、今ならアマプラ等で見ることが出来ます。