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『麦ふみクーツェ』いしいしんじ

いしいしんじの『麦ふみクーツェ』を読んだ。私はいしいさんの作品を読むのは初めてで、最初はその不思議な世界観に戸惑った。やがて吹奏楽の話が出てきて、自分も吹奏楽をやっていたので身近な話に思えた。

この小説には作中での言葉を使うと"へんてこ"な登場人物が多い。例えば、
・身長がとびぬけて大きいぼく(主人公)
・音楽に取り憑かれた祖父
・素数に取り憑かれた父
・動作が不自然な用務員
・目が見えないボクサー
・前世の記憶を持つ生まれ変わり男
などなどたくさん出てくる。

ぼくはへんてこに囲まれた生活を送る。その中で自分のように「目立つ」存在のことについて考え始める。そんなときクーツェがこう言った。

──でかいものは目立つ、けれど、でかすぎるとそれはときにみえなくもなる。

p.32(文庫二版)

立ち止まった一文だった。見えていないわけがないけれど、周りの人にとって存在しているかと言われると存在していない。この考えが行き過ぎるといじめに繋がってしまうのだろうなと感じた。

ぼくは音楽を習うため、ドイツへ向かう。そこで出会ったのは色が分からない「みどり色」という名の少女や目の見えないチェロ弾き。ぼくはたくさんの人や出来事と会って一つの結論を出す。

チェロ弾きにへんてこについて聞くと、彼は「へんてこでよわいやつは結局ひとりだ」とぼくに言う。
下の引用は先生であるチェロ弾きとぼくの会話だ。

先生「ひとりで生きていくためにはさ、へんてこは、それぞれじぶんのわざをみがかなきゃなんない」

先生「そのわざのせいで、よけいめだっちゃって、いっそうひどいめにあうかもしんないよ。でもさ、それがわかっててもさ、へんてこは、わざをさ、みがかないわけにはいかないんだよ。なあ、なんでだか、ねこ、おまえわかるか」
ぼく(ねこ)「それは」

ぼく「それがつまり、へんてこさに誇りをもっていられる、たったひとつの方法だから

ぼく「ねえ先生」
ぼく「みどり色は何十万にひとりなんかじゃない。この世でたったひとりなんだ。ねえ、ひとりってつまり、そういうことでしょう?

p.391〜392
一部抜粋

このシーン、本当にとても良い。私もぼくと同じように「へんてこ」の存在について読みながら考えていた。ぼくが使うへんてこが何を指すのか、エピソードと共に少しずつ肉付けされ枠が出来上がったときに、チェロ弾きの先生はそれを壊した。

どこかが普通の人と違くても、誰かが見たら可笑しいと一蹴されてしまう性格でも、この世でたったひとりで、へんてこ=(生きていく)技なのだ!と気づくとき、胸が高鳴った。

『麦ふみクーツェ』はこのシーンにたどり着くまでに、無駄なのでは?と思うくらい色んなエピソードが語られる。私もこの話はどこに行き着くのだろうと思いながら読み進めていた。でも、なぜいしいさんは「へんてこ」な人や出来事をふんだんに盛ったのか、このシーンを読んで分かった気がした。

不思議な作品だけど、大切な自分を見つけたような気でいる。493頁(文庫版)と簡単に読める作品ではなかったが、じっくり自分と向き合う時間にもなった。『アサッテの人』と合わせて読むと面白いかもしれない。

〈余談〉
『麦ふみクーツェ』にたくさん出てくるエピソードの中で、私が一番好きなのは「あめ玉ください」しか話せないおうむの話です。

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