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太陽が消えた夏②


前述の①の後、入院の話に戻ろうと思っていたのですが、気持ちを整理する為に夏の回顧録を先に残します。


「社会に私の居場所が無い」

娘は新卒採用で入社した会社も、その次の会社も人間関係が上手くいかなかった。
娘はただ自分が必要とされる居場所が欲しかっただけだ。それは誰しも望むことで、珍しいことではない。家にこもりがちになった娘はネットの中に居場所を求め、特定の人達とチャットや電話でよく話すようになった。
娘が繋がったのはおそらく、社会はおろか親や家族に対しても偏見を持っているような人達だったのだろう。娘はだんだん私と話すどころか目も合わせなくなっていった。

最初は反抗期のようなものだと思っていた、ネットの人達と電話で話す様子は普段の娘と何ら変わらず、楽しそうな様子だった。でも私が話しかけるとあからさまに嫌な顔をし、ほとんど目も合わさずに返事をするだけ。私を睨みつけたり、返事すら返って来ない時もあった。食事を一緒にすることも無くなり、外出も増えてきて鬱の症状が治ってきたのかと思うほどだった。
良く言えば活動的、でもお金を使うことに以前ほど躊躇しなくなり(娘はどちらかと言えば節約するほうだったので)、明らかに娘らしくない行動が目立つようになった。攻撃的で敵視するのを私だけでなく、他の大人や社会に対して…と言わんばかりの態度になっていった。あわや犯罪に巻き込まれそうになったこともあった。

ある日家に来客があり、その客人に対しても全く話を聞き入れない態度だったので、私が娘にちゃんと話を聞くよう諭した時だった。

「お母さんは黙ってて、お母さんと話してない。そういうのが嫌いなの」

「そういう目で見られるのが、前からずっと嫌だった」

娘の口から私を非難する言葉…いや、存在を全否定するような言葉が、他にもどんどん溢れ出てきた。

「どんなにお母さんのこと嫌いでも、間違ってることは間違ってるってお母さんは言わなきゃいけないの」

気丈な母親を装って言ったけど、本当はズタズタだった。色んなことがありながらも良好だと思ってた母娘関係が実は、娘にずっと嫌だと思われてきたこと、嫌なのに嫌だと言えずずっと我慢させていたことがショックだった。私のことが嫌いでも、父親がいれば逃げ場所もあっただろうに、娘が小学生の時に離婚している。私の父母も同居しているが年代が違うこともあり、相談相手や心の拠り所というほどの関係ではない。
家に誰も相談出来る人もおらず、娘からしたら私は毒親のような存在だったというのか…

「ずっと嫌な思いさせて、駄目なお母さんでごめんね」

私の顔を見るのも嫌なら、そうLINEするしかなかった。

他の人と比べれば親の離婚、不登校、うつ病と辛い体験ばかり経験させてしまったのだ、そんな娘の母親の自己肯定感がそもそも高いわけがない。それでも一生懸命守ってきたつもりだった、宇宙で一番大好きで大事な娘の何の力にもなってあげられなかったうえに、こんなにも嫌われていたなんて。

春二人で一緒に旅行へ行ったのは何だったのだろう…
彼氏の話、職場の話、何かあるごとに相談にのり…上手く相談にのってあげられていたかは分からないけれども、私が出来る精一杯のことをしてきたつもりだったが、今までの全てはいったいなんだったのか…



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