今月の推し本ベスト3【2024年7月】
今年の春に関東へ引っ越した。
人生初の電車通勤を始めた。
片道1時間の道のりと会社の昼休み(から、ごはんを食べる時間を除いた時間)を全て読書にあてれば、1日1冊くらいは本を読めることに気がついた。
読んだ本をそのままにしておくのもなんだかもったいないので、毎月ベスト3を選んでnoteで書き留めておくことにする。
ネタバレには配慮していませんのであしからず。
今回は2024年7月分。
木庭顕『誰のために法は生まれた』(朝日出版社)
今期の朝ドラ『虎に翼』が面白くて、本屋パトロールの際に法学の棚もざっと確認するようになった。
これはそうして出会った一冊で、ローマ法研究者の木庭顕が、中高生約三十人に対して行った講義を書籍化したものである。映画やテクストをもとに法学の考え方を学ぶ。
講義といっても授業は限りなく双方向的だ。徹底的な対話の中で、生徒たちは自分の手で答えをつかみ取るため試行錯誤する。
講義の中では第二回、映画『自転車泥棒』を扱った回が最も面白かった。
窃盗とグループの関係性、父の隣を必死に走る息子の象徴性、「本当の勉強とは何か」……。トピックはくるくると移り変わり、しかし結局はひとつのところへたどり着く。
最近『自転車泥棒』を観たばかりだったのもあって若干贔屓目が入っている可能性はあるけれど、こういう授業を受けられたら楽しいだろうなと素直に感じた。
とは言っても、いちばん興奮したのはやっぱり最終講義かもしれない。
最後の最後、今までの講義が全部繋がって、人間のアプリオリな権利である基本的人権(ここで取り上げられるのは主に自由権)の話に集約されていく流れは、背中がぞわぞわするくらいに見事だった。
講義で取り上げられる作品は『近松物語』『自転車泥棒』『カシーナ』『ルデンス』『アンティゴネー』『フィロクテーテース』(+ふたつの判例)と多岐に渡る。どれも易しいとは言えない作品ばかりだ。
しかしその作品の選択こそが、木庭先生の姿勢の現れでもあるのだと思う。
選ばれた作品や講義の進め方は全て、大人が子どもを舐めてはいけない、「一緒に学問をする相手」と見なして真剣に向き合えば、相手もまた真剣に答えてくれる、というメッセージであったように、私には読み取れた。
奈倉有里・逢坂冬馬『文学キョーダイ!!』(文藝春秋)
奈倉有里と逢坂冬馬の姉弟対談。
姉弟でありながら、「逢坂さん」「奈倉さん」とお互いを尊重した話し方をしていて好ましい。
特に示し合わせたわけでもなく、それでもふたりともが、それぞれ違う角度から「文学」「戦争」というふたつのテーマに向き合い続けていることが印象的だった。
逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』は(未読ですが……。今年中には読みたい!)言わずもがな戦争を真正面から描いた小説だし、奈倉有里『ロシア文学の教室』は「今が戦争の時代であること」を繰り返し描いた上で、「その今、文学を読むとはどういうことか?」を丁寧に掘り下げた本だ。
だからこそ、「戦争」というテーマについて改めて語られるPart3では、ふたりとも語調に力が入っている。
戦争への反対を表明する方法は色々あるけれど、何をするときでも、上に挙げたふたりの言葉は常に胸に留めておきたいと感じた。
戦争について友人と話すこと。
虐殺国家に支援を行っている企業にお金を落とさないように努めること。
「SAVE GAZA」と書かれた缶バッジをリュックにつけること。
売上の一部あるいは全部を寄付に使っている団体/個人に協力すること。
戦争のない社会のために私ができることはほんの僅かなことにすぎない。
でも、その小さな行動が何かを変えると信じ続けることがおそらく大切なのだ。
戦争へと向かってゆく、大きな力に抗うために。
(ベスト3には入れられなかったけれど)戦争に関連する本でいうと、木村草太『増補版 自衛隊と憲法』(晶文社)も非常によい本だった。
対談の中で触れられている佐藤功『憲法と君たち』の解説を書いている方の本で、タイトルの通り自衛隊と憲法に関わる論点を網羅して解説しているもの。憲法9条に関する政府解釈の論拠を説明している部分がかなりわかりやすいので、ここだけでもぜひ、たくさんの人に読んでほしいな~。
自衛隊が違憲か合憲か、みたいな話をする前にこの本を読んでおくと、一通りの前提知識は頭に入れられると思う。
図書館で借りて読んだのだけれど、辞書的に使うために家にも一冊置いておきたくなった。こうして本が増えてゆく……。
綿矢りさ『パッキパキ北京』(集英社)
シンプルにただただ面白いことってめちゃくちゃ強い。
北京に赴任してから適応障害気味の夫に呼び出され、中国に移り住むことになった菖蒲(あやめ)。彼女の北京での生活。
あらすじにまとめてしまえばこれだけの話だ。それだけのはずなのに、この小説はどうにも面白くて仕方ない。
なんだろう、この軽やかさ。この可笑しさ。
読み始めたが最後、菖蒲が北京の街を闊歩する様子から目が離せなくなってしまう。
日本にいるときは辛いものが苦手だった菖蒲だが、中国に住み始めてからは急激に味覚が変化して、辛い麺やら食べるラー油やらを食べまくる。
その描写を読みながら、ああ、この小説は中華料理の味がすると気がついた。
馴染みのないものがたくさん出てきて、びりびりと刺激的で、辛い辛いとこぼしながら箸は止まらなくて、食べるとなんだか元気になる。
菖蒲の名前は「ショウブ」とも読み、銀座ホステス時代の後輩からは「ショウブ姐さん」と呼ばれている。
私にはその「ショウブ」の音が「勝負」に聞こえた。
菖蒲は世界に対して、勝負を挑み続けているからだ。
私にとって、菖蒲は決して友だちになりたいタイプの人間ではない。
マウントはとりまくるわ(物語の冒頭8ページ目で「私みたいな小さな膝頭と細長い脛を持ってる美脚の人間には、何歳になってもミニスカを履く権利が永遠にあるけど、娘さんはどうかな」という攻撃を炸裂させている)、手癖は悪いわ(北京で知り合ったカップルの彼氏側に手を出して修羅場に陥る)で最悪だ。
それなのに『パッキパキ北京』を読んでいると彼女がどうしようもなく魅力的に見えてくるのは、菖蒲が「自分で決めて、自分で動く人間」であり、もっと言えば「自分ひとりで闘い続ける人間」だからなのだと思う。
菖蒲と夫が魯迅『阿Q正伝』について話すシーンは必読だ。