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読書 『本質を見通す100の講義』

「自分をはっとさせる言葉」に、無性に出会いたいときがあります。

価値観をゆさぶるような、自分がとらわれている「常識の殻」をぶちやぶってくれるような、切れ味のするどい言葉を。

日常に退屈に感じ、変化を求めているからかもしれません。

そんな言葉を、つぎつぎとなげかけてくれるのが本書で、自分で考え、自分で判断する力を養いたい人におすすめです。

森博嗣さんのファンにとっても、彼の思考の断片を楽しめるのはもちろん、周囲に流されがちな人にも、他の人とは違った見方をすることに勇気を与えてくれます

森博嗣さんの気づきや思考の深さは、まるで別次元のようで、はっとさせられるような新しい視点が満載。

例えば、以下の言葉。

よく考えてみれば、きっとわかるだろう。
スタートの音は、走るべき人間にしか聞こえない。
周りの声援も罵声も、その音でかき消されているはずだ。
自分で自分の音を聞いたはずなのだ。
少々遅れても問題はない。
スタートするだけだ。
必ず走れる。
絶対に走りきれる。

p155

そして、特に本書の「まえがき」に記載されている、読書の価値についての考察も秀逸なので紹介します。

本は書かれている内容よりも、「自分がどう感じ、どう考えたか」が大切だと、再認識させてくれます。

本というのは、窓から射し込む光のようなものであって、それで貴方の部屋が明るくなることもあれば、埃や汚れを際立たせることもある。でも、それは貴方の部屋なのだ。光が作ったものではないし、僕は、貴方の部屋を知らずに書いているのである。
 
あるときは、その光で貴方自身の影がくっきりと壁に映し出されるかもしれない。自分の姿のアウトラインは滅多に見られるものではないから、じっくりと観察して、楽しんでもらいたい。本を読む醍醐味は結局はそこにある。作者を知るために、太陽を見ても眩しいだけだ。それよりも、自分の部屋に目を向けた方がずっと有益だろう。
 
光は、ただすべてを照らす。少し色が着いていたり、多少の明暗の演出はあるかもしれないけれど、見えるのはあくまでも貴方の部屋であり、見るのは貴方の目だ。

感覚的にも、これほど読書について、的を得ているたとえはないように思えます。

読書とは、まずは自らが本の世界に足を運び、「影響を受けよう」と思いながら読み進め、「本の世界」と「自分」と照らし合わせ、本の世界に個人的な具体性を付与してきます。

その際、必ずしも筆者の意図を汲み取る必要はなく、たとえ誤った解釈であれ、独自性を磨けるのであればよしとします。

そんな、うまく言語化できていなかったことを、言語化することを助けてくれました。

そして、「読むこと」と対になる「書くこと」について示唆的だったのが、ブログを書き続けてる人が減ってきたということ。

ブログを続けられる人は、仕事としての報酬を得ているか、あるいはボランティアのいずれかで、どちらにも共通しているのが、不特定多数に対する「サービス精神や奉仕」の気持ちです。

「自分をわかってほしい!」と訴える人は長続きしない、ということです。

作者について少し紹介しておくと、著者の森博嗣さんは人気ミステリィ作家で、1957年の愛知県生まれ。

工学博士であり、某国立大学工学部助教授として勤務するかたわら、1996年、『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞し、ミステリィ作家としてデビューしました。

数多くの作品を発表しつづける森さんが、「いかにコンスタントに売れる小説という商品を量産するか」について語った『小説家という職業』では、商売の視点で、職業として小説を作るとはどういうことかを教えてくれます。

少しだけ内容を紹介すると、小説は自由な表現が面白いのだから、他の作品の分析やテーマなどは不要で、ただ小説を書きはじめなさいと断言していました。

そういった合理的な考えや視点は、本書でも活かされており、何気なく過ごす中で見落としている、物事の本質とはなにかを考えさせてくれます。

自分で考える、自分で判断するという作業を、日頃から意識して行い、遠回りすることで、初めて辿りつける面白さがあることを教えてくれます。

本書は100のテーマについて「問い」と「その答え」が1行で書かれており、目次を見れば本書の要点がつかめる構成。

それぞれ各2ページで、世間で常識や一般論だと考えられていることを掘り下げており、さっと読めます。

最初から順に読んでいくというよりは、気になるトピックを目次で選び、つまみ食い的に読むことのほうが向いており、「考えて生きる」ための鋭い視点を身につけるのに役立つでしょう。

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