退屈と付き合ったり、勉強したりするために読む本 #退屈と生活の楽しみ編

はじめましての方ははじめまして。谷川といいます。

執筆時点では、京都市立芸術大学に勤めています。哲学×宗教学×政治思想×消費社会みたいな学位論文を書き、博士号を取得しました(ベースは哲学です)。

人と直接交流する時間がなくて、本やコンテンツを勧めてほしいという声をちょいちょいもらうので、ざっくばらんに、何回かにわけておすすめしていきたいと思います。

退屈と付き合う、そして、それから逃れるために何かを学んで、できれば生活を楽しんだり、人にちょっと優しくなれたりする、みたいなテンションで書くつもりです。

ある種の気質の人は、常々「退屈さ」に向き合っているはずですが、「人に会うな」という命令の下にあることで、多くの人が、(たとえやるべきタスクが無数にあったとしても)この種の「無為」に直面しているかと思います。

複雑な縛りはないですが、絶版でなく、手に入りやすいものという条件だけは設定しておこうと思います。同人誌とかはなしってことですね。

今回は「退屈」と「生活を楽しむこと」をテーマに何冊かおすすめします。

あと、このシリーズをマガジンにまとめました。


ぐるぐるの線


1.國分功一郎『暇と退屈の倫理学』

まず最初は、暇や退屈をストレートに扱った本書。

内容は、出版社の説明を借りさせてください。

……本書をつらぬく著者の関心は、「人間らしい生活とは何か?」です。
パスカルの有名な断章「部屋にじっとしていられないから、人間は不幸を招く」を皮切りに、文化人類学、考古学、経済学、消費社会論、動物行動学、そして「退屈論の最高峰」と著者が考えるハイデッガーの『形而上学の根本諸概念』を渉猟し、答えに接近します。(中略)
「私たちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばならない」――このウィリアム・モリスの宣言を真正面から受けとめ、現在と未来に生かそうというのです。潑剌と、明るく、しかも、哲学的な根拠をもって、「私はこう考えた。みなさんはどう思いますか?」と問いかけます。

この本には個人的な縁もあります。趣味縁というか、読書会のサークルである「関西クラスタ」の出会いに関わるからです。

2011年、特に専門も進路も決めていなかった私は、なんとなく始めたツイッターで、京都にて『暇と退屈の倫理学』の読書会があると知りました。その時点で、國分功一郎さんについては名前も知らない状態だったのですが、思想系のことに興味のあった私は、知り合いが一人もいないなか、その読書会に参加しました。

当時どれだけ正確に読めていたかというと難しいところがありますが、この読書コミュニティとの出会いは、思想や哲学に関する本を読む上での一つの指針になりましたし、この読書会をきっかけに読んだ『暇と退屈の倫理学』には、主題設定や関心の持ち方の点で大きな影響を受けました。

この本は、(そんなつもりは当初なかったのに)私が研究者になった、遠因だと思います。直接のきっかけではないにせよ。

すみません、個人的な話にすぎました。「生活を楽しむ」「よく生きる」という視点に貫かれていて、ちょうど今のような「自分」や「生活」を否応なく意識させられる時期にこそ、読んでほしい一冊です。


2.ケイン樹里安・上原健太郎編『ふれる社会学』

若手研究者による、読んで楽しい社会学入門。それぞれのテーマは単に面白く読み物として読める。

個人的には、コラムがとてもいい感じだと思う。コラムは、研究の舞台裏を明かしているところがあって、研究の雰囲気もわかるし、「あーなんか、先生も人間なんやな」って思えるんじゃないでしょうか。

まぁとにかくむっちゃいい本です。

わたしたちをとらえて離さない社会。メディア、家族、労働、余暇、ジェンダー、セクシュアリティ、差別、人種等の視点から、身近な、そしてエッジのきいた14のテーマを読み解くことを通して、社会の大きな仕組みにふれる。また、執筆者と研究との出会いを記したコラム「研究のコトハジメ」や、初学者読者応援ページ「コトハジメるコツ!」では、大学での学びのお役立ち情報を掲載し、より深い学びをサポート。

出版社には在庫があるので直接問い合わせてもいいかも。あと、ウェブサイトには色々な教材もあがっているので、併せてどうぞ。

この本のもう一ついいところは、何か突き詰めて考えると現実の一概に言えなさがわかってくるけれど、それでも言いたいことや言わなきゃいけないことがあるよな、みたいな心地にさせてくれることです。

別の言い方をすれば、探求の面白さに目覚めるトリガーがあちこちに埋め込まれていて、それに従って考えるうちに、たぶんちょっと優しくなれるんだと思います。


3.東浩紀『弱いつながり』

「かけがえのない個人」など存在しない。私たちは考え方も欲望も今いる環境に規定され、ネットの検索ワードさえグーグルに予測されている。それでも、たった一度の人生をかけがえのないものにしたいならば、新しい検索ワードを探すしかない。それを可能にするのが身体の移動であり、旅であり、弱いつながりだ――。SNS時代の挑発的人生論。

エッセイ的な文体で書かれた、ページ数的に薄い本です。電子版もあるし、入手が容易かなと思ってあげました。

今の自分を離れるために、新しい(=手元にない)「検索キーワード」を手に入れるべきで、そのためには気楽かつ半ば無責任な「観光」のような試みが必要だ、というのが基本的な趣旨です。

ここでの「観光」を、いわゆる観光に限定する必要はありません。ちょっと環境を変えてみるとか、普段読まない本や映画に手を伸ばすとか、友人の特に深く聞いたことのない側面を深堀りしてみるとか、そういう「物見遊山」的な軽さのことを指しているのだと思ってください。

そして、そういう姿勢はとても大切だと私は思います。何より、気楽に自分の生活を楽しむためにも必要なことなんじゃないかなと。


4.伊藤計劃『ハーモニー』

夭逝した小説家、伊藤計劃さんの作品です。

以下は、上のhontoというサイトから見られるレビュー(投稿者くまくま)ですが、とてもよくまとまっているので引用させてもらいます。

 21世紀後半に起きた大災禍は人類に滅亡を感じさせた。旧来の政府が弱体化した代わりに、人々は生府という共同体を作り、個人の情報をすべてオープンにして危険を事前に回避し、また、個人の身体を共同体の資産として管理することが常識的となった。
 だから、自らの体を傷つけるような行為は常識的ではない。人々はWatchMeという恒常的健康管理システムを導入し、異常には瞬時に対応することにより、人類から病気や苦痛という単語はほぼ駆逐された。その代償として、酒やたばこ、カフェインなどの嗜好品も健康に悪影響を与えるものとして遠ざけられているのだが…。
 そんな世界において、霧慧トァンは友人の御冷ミァハの誘いに乗り、一緒に自殺をしようとする。自分の身体を自分のものとして扱えない世界に対して、決意表明をするためだ。しかし、トァンの自殺は失敗し、生き残ってしまう。
 それから十数年後、螺旋監察官という世界の生命権を保護する立場に就いたトァンだったが、少女時代の影響はこっそり残り、どこか世界の在り方に対して息苦しさを感じていた。そんなとき、世界中に点在する数千人もの人々が、何の前触れもなく、一斉に自殺するという事件が起こる。その事件の影には、死んだはずの御冷ミァハの影が見え隠れしていた。

物語の核心に一切触れていないので、これくらいは大丈夫です。

この作品のキーワードの一つが「生命主義」(生命尊重主義)です。とにかく生きていることが大事であり、それが何よりも優先されるべきだという考え。

もちろんこうした発想には大切なものが含まれているし、パンデミックで現実に他人や自分の「命の危険」を意識しなければいけない状況では、微妙な論点も含まれているとは思います。

今読む上で一定の危うさがあると知りながらもそれでもなお勧めるのは、「単に生きること」と「よく生きること(よく死ぬこと)」という対比が本書の背景にあり、生命主義が先鋭化した先にある「ただただ生きさえすればいい」という発想のグロテスクさをあぶりだしていることです。

そして、「よく生きたい/よく死にたい」という欲望の背景には、生命維持(ただ単に生きること)をグロテスクなまでに推し進める世界の「退屈さ」という論点が隠れてもいます。

『ハーモニー』という小説そのものは、どちらかの発想に加担することはないのですが(両義的な描かれ方です)、むちゃくちゃ読みやすいにもかかわらず、射程の深い論点が色々に含まれていて、一読を勧めたいです。

ちなみにコミカライズもされていますかなりいい感じです)。もし本作が刺さったのなら、独立した小説ではあるけれど連続した世界観を舞台にした、以下の小説もおすすめです(こちらもコミカライズあり)。


5.サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』

ヨドバシカメラの通販でも本は買えます(ポイント貯まるのでおすすめ)

少し角度をかえて選びました。演劇の脚本で、はっきり言ってシュールだし、「一気に読みました!!!」みたいな、鬼滅の刃みたいな(?)、面白さは一切ないです。

けれど、こういうもの "も" 面白いと思えることは、生活を楽しむうえで大切なことだろうと思います。

あらすじもなにもない話ではありますが、商品紹介はこんな感じ。

田舎道。一本の木。夕暮れ。エストラゴンとヴラジーミルという二人組のホームレスが、救済者ゴドーを待ちながら、ひまつぶしに興じている。そこにやってきたのは…暴君ポッツォとその召使いラッキー、そして伝言をたずさえた男の子!不条理演劇の最高傑作として名高い、ノーベル文学賞作家ベケットを代表する傑作戯曲。

ゴドーは「ゴッド」の変形なわけですが、ゴドーはこないし、何を待っているかもわからないまま、時々「待っている」ことを忘れたりもしながら、ただただエストラゴンとヴラジーミルは雑談を続け、どうでもいい話をする、みたいな感じで全編が書かれています。

こいつら突然ポケットに人参が入っていることに気づいて、「いる?」「……いらん」みたいな会話するんですよ。

個人的な萌えポイントは、ベケットという頭もセンスもいい人が色々考えて作った実験的な作品であるにもかかわらず――というか、恐らくそうであるがゆえに一層――どうしようもなく感傷的な気分にさせられるということです。なんかわからないけど、とにかくエモい。シュールなのにエモい。

退屈をまぎらわせるように、友達とどうでもいい会話をする感じとかと重なっているからでしょうか。最初は「シュールやなww」って半ば笑って読むんだけれど、エストラゴンやヴラジーミルは、自分の似姿だという感じがします。

あるいは、彼らの会話を聴きながら、彼らを隣人や友人のように感じていくというか。

まぁそんな感じです。こういう本が一冊本棚にあるってことは、(いっそその本を読んでいなかったとしても)家を豊かにする気がします。知らんけど、私個人はそう思っています。


魚たち


てな感じでした。気楽に書き続けられる限りは書きますね。

なお、映画については、おすすめをすでに書いたのでこちらをご覧あれ。

ではまた。










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