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中川夏紀先輩のこと

 明日は夏紀先輩の誕生日らしい。
 というわけでストロベリーシェイクを飲んでつらつら考えたことを書く。

 夏紀先輩が聖人枠であることはだれも異論をはさむものはいないだろう。
 けれども意外なことに「作劇上都合の良いいい人」だと感じる人もいないのではなかろうか。
 物語には時々そういう登場人物が登場する。なんの根拠もなく、なにかを許したり、慰めたり、役割を果たすためだけに登場する人物。
 中川夏紀がその分類に入れられるとは、すくなくとも僕には思えない。

 中川夏紀の根本にあるのは「罪悪感」だ。
 吹奏楽ガチ勢の南中出身者と緩くやる派の宇治北吹奏楽三年生の対立。その結果としての南中出身者の退部。
 その際に希美の退部をとめなかったこと。止めることができたのに止めなかったこと。それが夏紀先輩の罪悪感であり、優しさの原因だ。

 みぞれにやさしいのも、希美が復帰するのに手を貸すのも、あるいは副部長としての責務を果たすのも、この罪悪感が根っこにあると考えると理解しやすい。
 もちろん、Aメンバー争いで自分に勝った久美子を励ましたのも動機は同じだ。

 これに関しては昨年一年間練習を真面目にしていなかった自分が勝てるわけがないと思っていたのかもしれないし、対立していた先輩たちへの反発もあったのかもしれない。ぶっちゃけあの場面の動機については考えれば考えるほど味がある。

 副部長の責務を果たすのは、優子の暴走を止めるという理由もあるけれど、同じくらい自分が摘んだあり得なかった未来を思ってという理由もあるだろう。つまり、希美が部活を辞めないで、部の中心にいて、部長になる。その隣にいる副部長はきっと自分ではなくて優子だろう。
 そんな来なかった未来の話だ。

 そう、もしも希美が吹奏楽部を辞めなかったら!
 滝先生の下で生まれ変わった北宇治の吹奏楽部に希美がいたなら!
 夏紀先輩はきっとそのことを何度も考えたのだろう。
 だが、そんな未来は来なかった。夏紀自身が希美の背中を押してしまったから。
 
 久美子が夏紀先輩を最初に見たとき、真面目に練習をしている様子はなかった。部全体が真面目に部活をする空気ではなかったけれど、それにもまして不真面目なように見えた。
 それは希美の背中を押してしまった自分には真面目にやる資格がないと考えていたのかもしれない。
 
 では、なぜ真面目にやるようになったのか。
 本人に聞けば「部の空気に流されただけ」と答えるだろう。たしかに物語としては部の空気の変化の象徴する役割はある。空気に流されることもあるだろう。しかし、その内面はどうだろうか。中川夏紀という人間は本当にそれだけの理由で自分の信念を曲げるような人間だろうか? 夏紀先輩の不真面目にはある種の信念さえある不真面目さだった。
 
 これは僕の読み込みすぎかもしれないけれども、なんらかの変化が夏紀先輩の中で起こったのだろうと思う。
 それは、例えば存在しなかった未来への渇望、というのだろうか。
 あのまま希美(たち)が部に残り、三年生がいなくなり、部の空気を変えていたら。そんな実現しえない仮定が滝先生の登場で半分は実現しそうになっている。夏紀先輩の目にそれはとても魅力的に映るだろう。
(もう希美たちはいないのだけれども) 

 もちろん、このときの夏紀先輩の胸の内はすっきりしたものではなかったと思うよ。どんなに熱心に練習をしても、本来そこにいるべき人たちはもういない。熱心に練習をしたかった南中出身者たちはもう部活を辞めてしまった。彼女らにどんな顔を向ければいいというのだろう。
 このあたりの罪悪感が、久美子への優しさ、あるいはAメンバーへ執着しないことに現れているのだろう。

 と、ここまで書いてきたのだけれどこのあたりの心情の読み取りは「飛び立つ君の背を見上げる」をベースにしているところが多い。
 この小説は夏紀先輩の視点で書かれているので、かならずしも夏紀先輩の行動の動機を正確に表しているとは限らない。
 人間の行動には自分が思っている以上にいろいろな理由が込められているものだから。
 本人は自分のことを露悪的にとらえがちで、自分をひねくれた悪人だと考えている。
 まわりの人間の「いい人だ」という評は不当だと感じている。
 いい人だ、と思われている行動は本当はさっきから述べている「罪悪感」に立脚したあまり善良でない動機で行われている。

 でも、そんなのは夏紀先輩が自分で勝手に言っているだけで、その行動は
「いい人」の行動だし、そもそもそんなエクスキューズを行わないといけないと思うあたりが善人で聖人な夏紀先輩なんだなぁと思う。

 結局「真面目で、いい人」なのだと思う。
 空気とか、あいまいなもので誰かが流されるのが嫌いで、だから「元部長」として苦しんでる希美の背中を押してしまって、それをずっと気に病んで。
 それが挽回できるチャンスには必死になって走り回って、真面目に責務を果たして。
 これのどこがひねくれた悪人なんでしょうね。
 
 僕が読み取った夏紀先輩はそんな人だ。
 僕の一番好きな物語の登場人物かもしれない。
 誕生日おめでとうございます。
 急いで三期に追いつきます。

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