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『ナルキッソスの涙 3』

※BL小説



「水仙の花言葉ですか。ああ、1組にはいつも黄色の水仙が生けてありますよね」
 いつの間にか同じ国語科の茂木(’もぎ)が、背後に立って大迫のPCを覗き込んでいた。そんなものを調べていた自分を知られて、冷や汗が滲む。
「あれ、生徒がいけてくれてるんでしょう? いいなあ。花を持って来てるのが男子生徒じゃなかったら、誤解しちゃいそうですよね」
 何かカマを掛けているのではないか。注意深く茂木の顔を観察したが、人の良さそうな顔に特別な裏は無さそうだ。
「誤解?」
「やだなあ。ほら、黄色の水仙の花言葉、ここにあるじゃないですか」

    『黄色い水仙の花言葉――もう一度愛して、愛にこたえて』

「大迫先生?」
 呆然としてしまった大迫を訝しむように茂木が呼びかけたが、大迫の耳にはその声がもう届いていなかった。

 週末の間、PC画面に書かれてあった花言葉を何度も反芻した。
(そんな深い意味、あるはずがないんだ)
 何度もそう思っては、頭の中の花言葉を打ち消すことにも倦んだ。
 時は日曜の夕刻である。明日からはまた、教師の顔を取り戻さねばならない。気分を変えるために外で晩飯でも食べようか、と思った。
 車を運転して市街地へ向かう。この辺りは福永の家の近くのはずだ、と思っている自分に苦笑する。
(たった一度のキスで、人生を棒に振るつもりか。しっかりしろよ)
 そんな言葉で、ともすれば黄色い水仙と重なる面影を追ってしまう己に活を入れた。
 駅に近い場所で、駐車場をどこにしようかと視線を巡らせながら、スピードを弛める。花屋の側を通ったとき、一人の少年の姿が大迫の目に飛び込んできた。
 大迫は慌てて少し通り過ぎた場所の路上に車を停めた。車のガラス越しに見るすらりと細く手足の長い姿は、間違いなく福永のものだ。
 花屋の店員に金を払い、受け取ったのは、セロハンに包まれた一輪の黄水仙。
(庭に咲いていたんじゃなかったのか)
 二月に入ってから毎週月曜日に、窓際の教師用の机の上に一輪生けられていた、黄色い水仙。明日の朝になれば、きっと新しい花に生け替えられているはずの花。毎週、福永はこの花屋で、一本の黄水仙を買っていたのだろうか。

 大迫は車を降りて、店を出てくる福永に近づいた。俯いていた少年の顔が上がり、大迫を視界に捉えた途端、水面に落ちた雫のたてる波紋のように狼狽が広がっていく。悪いことをしている現場を押さえられた子供のような、あやふやで追いつめられた表情。
(そうだ、この子はまだ子供なんだ。俺は教師で、もう二十八になる大人で、この子は俺の学級の生徒なんだ)
 踏みとどまろう。そう思っているはずなのに、体が勝手に動く。大迫はさらに少年に一歩近づき、目の前の少年にこう聞かずにはいられなかった。
「黄色い水仙の花言葉、知ってたか?」
 その瞬間、シルバーフレームの眼鏡の奥で、大きく見張った福永の目に見る見る水滴が盛り上がった。こぼれそうでいてこぼれずに下睫の縁にとどまる、朝露のようなそれを見たとき、大迫はもう自分の衝動を止めようがないことを知った。
(自分は何もかもを失うかも知れない。それでももうこれ以上、止まれない)
 大迫は車に戻り、助手席側の車のドアを開けてから、先に運転席に座った。サイドミラーの中で、俯いていた少年は、やがてゆっくりと大迫の車に向かって近づいてきた。

〔了〕


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