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私と食事

こんにちは。

今日は、私自身が何故食事に意識を向けるようになったのか

現役ダンサーとして日々どのように食事と向き合っているのかお話したいと思います。


私は、幼少期、とても身体が弱く酷い難聴でした。

中耳炎で何度も病院に通い、鼓膜を破り、幼き私の記憶にはその頃の痛みは覚えていませんが、母曰く可哀想な事をした、と。

小学校に入った頃の聴力検査では全く聞こえずにいたのは覚えています。

そんな母は、痛がる娘を病院に連れていくのを辞め、そこで『マクロビオティック』と出会いました。

母は、今までの食生活を全て見直し、徹底して玄米菜食を初めました。

幼稚園のクリスマスパーティーで出たケーキも食べれず、

他のこが日常的に与えてもらっているお菓子は一切買ってもらえず・・

小学校になってからは、お弁当の日の苦痛といったら笑

玄米と茶色っぽいおかず、野菜、いわゆる地味なお弁当。

お友達のお弁当に入っているカラフルな冷凍食品やふりかけが本当に羨ましかった。

(今分かる事は、母は本当にどのお友達のお弁当より愛情と時間を注いでくれていました)

でも、そんな母の徹底した食事のおかげで難聴は見事に治りました。

そんな母の食事を食べ続け、中学生になった頃から反抗期の始まり。

中学は毎日お弁当でしたが、冷凍食品を毎日3種類、白米に添加物たっぷりのふりかけは絶対譲らないと言って母を困らせていましたね笑 

バレエをやっていた私はその頃はどんだけ食べても太らず、体型に苦労したこともありませんでした。

高校になると、本気でプロのダンサーの夢に向かい、学校とバレエ教室の往復の日々でした。

この頃から、私はプロになる気持ちを抱く一方、自分の体型に悩むようになりました。標準より全く太っていた訳ではないですが、こんな体型ではプロになれない・・と今度は極度な食事制限を始めたのです。

実はあまりこの時の事、思い出したくないんです・・。

今考えると、拒食症一歩手前レベルだったのではないでしょうか。

家族団欒の食事もしなくなり、カロリーに縛られ、ストイックだった私はとても痩せました。母も間には色々言ってたんでしょうけど、こんな姿になった娘に何も言わずいつものように接してくれました。

母はどんな気持ちでそうしたかはわかりませんが、私はそんな母の接し方のおかげで自分が病的だと実感する事なく、自然にその食から去る事ができました。

全部、母はお見通しだったのかもしれませんね。


そして少し食生活も落ち着いて、高校卒業して、バレエ学校にいく為、一人暮らしが始まりました。

ここからまた更に私の黒歴史!!!


田舎で育った私は、ここで初めて都会に出て、一人暮らしを始めたわけです。

そう、ご想像の通り笑

自由ーーーーーーーー!!!!!

そして田舎にはない雑誌やネットで見る飲食店が沢山あるー!

そして誰もそれを止めない(天国)

とさえ思っていました。

というわけで、田舎者が物珍しくスイーツバイキングやパンケーキなんかにいきまくり、自炊してたとはいえ、スーパーでは添加物だらけの商品買っていました。

そんなこんなで、バレエする為に上京したのに、卒業時にはむっちり。

でも、ダンサーの夢は見続けている、ただの現実逃避している人でした笑

技術どうこうの前にこの体型ではプロ無理でしょ!ってあの時の私に言ってやりたいです!!!!

ついでに、酷く足も痛め、勿論オーディション受ける自信もなく、

なんとなく流れで地元に帰ったのでした。

有難いことに、バレエと離れることはなく、地元では、自分のレッスンもしながら指導をメインに仕事させていただいていました。

色んな気持ちが落ち着き始め(遅)

日々忙しかったのもあり、毋の作ってくれた愛情たっぷりマクロビご飯も文句言わずに食べるようになりました笑

そうすると、見る見る余分なお肉がなくなっていき

半年で体重も黒歴史の上京時代のピークから4キロくらい落ちました。

そして、そうなると自分でも実感するくらい自己肯定感が上がり

やる気が漲ってきたのです。


もう一度、プロ目指して頑張りたい!

やるなら今しかない!

って。

食事も、習慣も、練習も目標も全部1から作り直して1年かけて取り組みました。

そして、本当に運良く、私はプロの夢を掴めました。

プロになって再び上京して一人暮らし。

流石に学生時代の経験や、プロという意識、周りの意識の高さに圧倒され、

大きく体型変動はありませんでしたが、

プロになって直面した悩みは沢山ありました。

その一つはやっぱり体型。

みんなどうやったらその細さで強い体力と身体維持ができているんだろう。

常に考えていました。

『何もしていない』という人多いんですよ笑

でも、確かに元から持っている容姿や、身体が強い人がプロになれているっていうのは絶対あるんですね。

だったら、ここの世界で特別に顔も小さくなければ、手足が抜群に長いわけではない私がどう生きていけばいいんだろう、、。

そんな時、沢山の材料が私に降りてきたんです。

そのうちの一つが、ある先生との出会いでした。

またこのお話は後々しますが、今はその信頼できる先生のもとでご指導いただきながら、食プロ、ファスティングマイスターの資格を取りました。

そして、食について学ぶ日々にたどり着くのはいつも

小さい時からの母の食事と愛情でした。

そんな母は、今でもマクロビオティックのお料理を皆に広め、色んな人たちを笑顔にしています。

母からあんだけ言われてきたことを何処かいつも素直に受け入れられなかった。

それを自分が気付き、学びたいと思った時、先生から学べば学ぶほどその大切さがすんなり入ってくる。

ああ、あの時母もそう言っていたな・・とふと思い出しながら。


でも、これが起こるべき結果でした。

私は先生に出会えたことで、100以上のものを得ています。

それと同時に、母に対する尊敬と感謝が止まらないです。

先生に出会えたのも、幼少期から愛情たっぷりの母のお料理を食べてきたからこそなんだろう、必然なものに思えます。

長くなりましたが、私と食について、でした。

そんな私が、プロダンサー、食プロ、ファスティングマイスターとして、自分の身体や健康と向き合い、日々感じたことを発信し、みなさんと共有できるといいです。

今日もありがとう。

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