息子のスカート。
最近、息子のソラにスカートを借りる事が多くなった。私は借りていると思っているのだが、ソラは「勝手に持っていっている」と言う。
ソラは性同一性障害ではないし、女装趣味があるわけでもない。サークル活動第一、勉強へのやる気はどこかに置いて来ている、何か今まで大きな賞をもらったり、大きな活躍もした事もない男子大学生である。
息子から洋服を借りていると言うと「仲のいい親子なんですね!」と言われる事が多い。そしてちょっと嬉しい気持ちにもなる。確かにソラが大学生になってからは、ようやっと気持ちが落ち着いていろんな話をするようになりコミュニケーションがとれるようになった。しかし、ソラが小学校の頃から高校卒業まで、すさまじい母子バトルが続いた。本当に(お互い)に苦しかった。(と思う)
振り返えると事の始まりは小学校入学にまつわるところから始まったように思う。ソラは小学校受験、中学校受験、大学受験と3回も受験を経験している。冷静に考えると子供の時期に3回の受験は酷であると今は思える。コピーライターのソラの父は近くの公立小学校の名前がどうしても気に入らなかった。そんな理由から小学校受験が始まった。仕事と育児と、まぁまぁ楽しみながら受験対策をして日々すごし○をもらった学校に入学した。この学校はエスカレーター校ではなかったので、中学受験が前提になる学校であった。
4年生頃からまわりは中学受験塾に通い出す。焦るのは子でなく母である。中学受験をしないという選択肢もあったと今にして思えばあるが、中学受験が当たり前の環境に置かれていた中で別の選択肢を選ぶ勇気はなかった。
幼児の頃からあまり丈夫ではなかったのだが、塾に通い出すようになり週に2-3回熱を出すようになった。学校や塾を休む事によって勉強が遅れる不安感や、食事や健康管理に気を配っているのにどうして改善しないの?と、熱を出すたびに「なんで?」と私の中に疑問とストレスがたまるようになっていった。何か悪い病気ではないか?主治医のところに連れて行っても「疲れですよ」と言われるばかりで心底納得がいっていなかった。
中学は都内でも屈指の受験校といわれるところに入学した。いわゆる偏差値のお高い学校である。入学した時点から大学受験に意識が高いご家庭がいっぱいの雰囲気であった。よかったのか悪かったのかそれはわからないが、親子関係においてはプラスに働いた事は少なかった。
思春期に入り出したソラと更年期に入り出した私。お互いのホルモンバラススの崩れは大きなコミュニケーションの崩れになった。
バトルは止まらなかった。
ソラはウソをつくのが当たり前になった。熱は相変わらず出続けた。遅刻の回数が学期の半分にのぼった。ソラのパンチで壁に穴があいた。私は彼の一語一句にオトナの価値観を押し付けた。私は青アザがいくつもできた。鼓膜も破れた。メガネも壊された。アバラの骨にヒビが入っていたかもしれない。止める人はいなかった。母と息子の一騎打ち。止める人がいたとしても止められなかったかもしれない。
誰か止めて!私を止めて!ソラを止めて!
「お子さんの良いところを10個書いてください」書けなかった。「お母さんは大きな気持ちでお子さんに接してください。」「お母さんが一段上になってオトナの対応をしてください。」簡単に言わないでほしい。やれたらやっている。やれないからこうなっているのがわからないの?頭の中でなんども訴えた。
大学受験は本人の受験と言われるが、私はいつもでも「本人の受験」と割り切る事がなかなかできなかった。まわりは東大だ!国立だ!医学部だ!早慶だ!海外大学だ!なのである。ソラは早々に「塾には行かない」「死ぬほど頑張ったら死ぬ」と言っていた。高い目標を持ち、必死に頑張るのが大学受験では?という昭和の私の価値観と彼の価値観は見事にマッチしなかったからである。まわりの受験結果が漏れ伝わってくる。誰それ君は東大合格、誰それちゃんは国立医学部。。。「人は人、ウチはウチ」を認めるのにそこそこの時間を要した。
自分の息子をなかなか認める事はできない事が、頭でわかっていても昇華できない自分が情けなく悲しかった。
大学入学前に2人で洋服を買いにいった。3月なのに雪が降ってとても寒く、傘と荷物でショッピングには最悪の日だった。ソラは渋谷の学校に通っていたのにファッションには全く無頓着、本当に勿体無いハイスクール時代。スエットパンツに皮のローファーを合わせる破壊的なファッションセンスの持ち主でした。ソラが赤ちゃんの時から貯めていた貯金の中から、10万円を彼の見た目に投資した。
原宿のハイブランドショップ、古着屋さん、ファストファッションと巡った。1着50万もするものや500円のものなど、ソラにとっては「価格とはいったいなんなのか?」を勉強する1日にもなったかと思う。この時ばかりは母は軽いレコメンドにとどめ、ソラが気に入ったものを何点か購入して帰ってきた。
古着屋で買った、コムデギャルソンの白いスプリングコート。ソラがお洋服好きになったきっかけの1つになった。
バイト代をお洋服につぎ込んでいる。バイト先も古着屋である。日々メルカリからなんか届く。バッグや靴や小物にいたるまで見事なコーディネートができるようになった。スカートもコーディネートアイテムの1つとしてとりいれるようになった。私が大学生の時の憧れだったギャルソンやヨージとか、お安くてもなかなか可愛いものも仕入れてくれるので、時折シェアさせてもらっている。
大学に入ってから熱を出さなくなった。この間「なんであんなに熱ばっかり出していたのかな?」と聞いてみた。「そりゃぁ、朝6時台に起きて学校行って、夜遅くまで行きたくない塾行ったり勉強して睡眠時間が少なけりゃ疲れるでしょ」と。そうだよね。主治医が言っていた通りだよね。なんであの時は理解できなかったんだろう。精神的に相当におかしかったなと。
そんなソラと一緒に甲州市にある「明治時代に建てられた家」を入手して、この家を何か「場」として使えないかと画策中である。ようやっと「母と子」から「人と人」としてコミュニケーションが取れるようになってきた。もちろん今でも母の心配から起こる干渉はしてしまう。「うるさい!」と返され「うるさいとはなんだ!」とプチ言い争いは起こる。どうにもコントロールできなかった時期とは違い、今はソラを尊重するようにひと呼吸つく事ができるようになってきた。彼はこの古民家をどのようにするのかのアイデアを語ってくれるのを待ちたい。願わくばこの母が生きている内、忍耐が切れる前に。
春がくる。「明治時代に建てられた家」の前にある大きなハクモクレンがほころびはじめていた。これからがタイヘン。だけどタイヘン≦タノシミでもある。
それはそうと、私とソラのウエストサイズが同サイズというのが、どうもこうにも腑におちない。
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