おすすめ映画:SF『メッセージ』 ~言語と心理(他言語を学ぶと世界が変わる)~
ある言語を身につけると、その言語を使用している人々の文化や感覚が身につく、という説がある。
では、宇宙から来た未知の存在の言語を身につけることができたら、その存在の感覚も身につくのだろうか。身につけることができたとしたら、この地球で、この次元で何ができるようになるのか。・・・というのがこの映画の主題の一つだ。
日本語はとても美しく色彩豊かな言語だ。まず、文字の種類が3つもある。
そして漢語・和語(やまと言葉)・外来語など、単語単位でも種類が豊富で、さらにはオノマトペ(キラキラ、ほかほか、ゾクゾクなど)も躍動感や臨場感があって「感じていること」を表すのにこれだけ道具が揃っている言語もなかなかないのではないだろうか。
まるでたくさんの画材道具を持っているかのようだ。
一方で、好きになれないところもある。謙譲語だ。謙遜、という文化。
謙譲語は自分の立場を自ら下げて相手を立てる言葉。尊敬語とも丁寧語とも違う。
「私が参ります」「申し上げます」などがそうだ。主体(一人称)の動作を低めることで聞き手に敬意を表する。
この「自分を低める」という言動に私はどうしても納得がいかない。相手を尊重するために必要なことなのかも疑問だ。
それに紐づく謙遜の文化、褒められた後わざわざそれを否定するのも、好きではない。お世辞であるとしても、私はそのまま受け取り「ありがとうございます。」と感謝を伝えるようにしている。
謙譲語、謙遜の文化に共通する点は「自分を大事にすることをよしとしない。」ということであるように思う。
自己を肯定することが根付きづらい文化だ。
(ちなみに、イギリス人の友人はこの謙遜文化を「なぜ自分を褒めてくれたことに対し否定するのか理解できない。褒めてくれた相手に“あなたは間違っている”と否定する理由がわからない。」と言っていた。)
また、タテ社会の温床になっているとも思う。
そのためか、私は昔から英語が好きだ。比較的フラットでフェアで、自己主張できる(自分を大事にできる)言語であると感じるからだ。(もちろん丁寧な言い回しもあれば差別的な言葉や罵り言葉もあるし、時と場合、使い方によるが。)実際、英語を学び英語圏の文化に触れていくこで、私はいくつもの自由を手に入れた。皆同じでなければならない閉鎖的な環境が多い日本にいても、個性を尊重することや年齢性別関係なく平等であるという感覚を身につけることができた。少なくとも「こうでなければならない」と教えられている以外の価値観の存在を知ることで「そうでなくてもいいんだ。」「いろいろでいいんだ。」ということを知り自由になれた。
他にもフランス語やドイツ語、スウェーデン語などもかじったことがある。
他の言語を学ぶと、自分の世界を拡げることができる。
価値観や世界を見る視点が変わる。もしくは増える。
さて、では本題の映画のお話。
『メッセージ』(Arrival<原題>)で、高次元の宇宙から来た未知の存在とコミュニケーションを取ろうとする主人公の言語学者は、彼らと接触することで何を得たのか?彼女の世界は拡がったのか?彼女はそれを得てこの世界でどう生きていくのか?
ふふふ。
ご興味ある方、どうぞご覧になってみてください!
(Netflixでも今観れます。)